被災地にて


新聞の隅に書かれていた話。

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鍋の中の首


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3.11



テレビに表示される番組欄を見て、今日はあの震災から丁度一年経つんだなと改めて思う。


あの日は仙台市内で震災に遭い、その時に居た建物が丁度耐震工事をした後で崩れなくて済んだね、良かったねと相棒と云っていた。
外に避難すると揺れはまだ続いていて電柱が、ビルが、周りに建っている家が、全てが揺れていた。しゃがみこんで泣いている人、一生懸命何処かに電話を掛けては繋がらないのか顔を暗くする人、カーラジオから流れる情報に聞き入る人…色々な人が居た。

これからどうすれば良いのだろうか…そう相棒と話していると、カーラジオを聞いていた人が大声を上げた。


『津波が来たって!』


頭の中は真っ白だった。
津波が来た事を知らせてくれた人の車の中にはテレビが付いていて、視せて貰うと吹雪の中で黒い塊が町や畑を飲み込んで行くのが見えた。

こちらでも雪がちらついてきた。

取り敢えず交通機関はみんな駄目だろうからと、明るい内に相棒と別れ帰路を急いだ。
丁度自分が居た場所は街の中心で、歩道は何かのイベントがあったかの様に人でごった返していた。

続く余震に割れた道路。ちらついていた雪はいつの間にか吹雪始め、視界が利かなくなった。

この世の終わりかな…いつ頃からか耳にしていたマヤの予言を思い出しながら、寒さでかじかんだ手を擦りながら歩いていた。

家に着く頃には辺りは真っ暗になっていた。古いアパートは外壁にひびが入っていたが取り敢えず倒壊はしておらず、中は無事だった。
家が無事なのを確認すると自転車に乗り、水や明かり、食料を買いに行く。

いつものスーパーに行くと店の前で水や電池、蝋燭、ライター、僅かな食料を売っていた。
それらを家族の分だけ買い、家に帰る。
家に帰ると母と妹が居た。
無事だった様でホッとしたのを覚えている。

それからは次の日から食料の調達で忙しかった。
幸い水道は出たし、プロパンを使っていたので特に生活には困らなかったが…
あの日から暫くの生活はどうしていたのか、はっきりとは覚えていない。

自分の記憶力が悪いのか、忘れたくて覚えていないのか、一年と云う時間が忘れさせてくれたのかは分からないけれど。


ただ毎日の余震に怯え、家族や友人が無事だと知って安堵し、沿岸部に居た相方が生きて帰ってきた事に泣いて色々な感情を使った日々を送っていたのは確かに覚えている。


今回の震災は津波により亡くなった人達がずば抜けて多い。
きっとあの津波さえなかったら被害も少なくて、あんなに亡くならずに済んだんじゃないかと思う。

今日のあの時間、ほんの数分前までいつも通り平和に過ごしていた人達の中に亡くなった方々が居たんだと思うと切なくなる。

その人達の冥福をただただ祈るばかりだ。



戦利品


ピカチュウゲットでチュウ


このタイプのピカチュウって可愛いと思う



白の部屋


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