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夏子と小夏

青柳文子さんの『あお』を買う。




これねーマガジンと銘打ってるだけあってほんとにまるまる雑誌なんですけど、とにかく青色がこれでもか!というほどふんだんに使われていて、あおい雑誌となっています。
文字も背景も服も花も青々あお。
付録もあお色("ブルー"をテーマに作られたデザインペーパー)

企画としては後ろの方に載ってる人生相談のコーナーが面白かった。
みんなそんなこと抱えながら生きてるんだとおもうと面白かなしい。そしてなかなかよい答え方をしている青柳さんに驚く。


〈あお、何かに成り切らない/いつまでも先があるような言葉だと思いました。〉

  (『あお』あとがきより)


先月号ですけどこれも青色がきれいに出ていた。


一巻から通して読んでみたら小夏ちゃんの赤ちゃんの父親の件とかすっかり忘れていた。
(そして五巻に出てくるアイツがアニキというのにも気づいてなかった)

八雲さんが小夏ちゃんに、殺してくれるのを待ってるみたいに言い出したとこ(この場面も忘れてた)けっこう酷いけどよく考えると助六の娘になら殺されてもよしとしてるのなら八雲さんそうとう助六に心を蝕まれている。
そして小夏ちゃんもその、子どもの父親に関して与太さんが言ってたみたいに助六の面影を感じていたとしたら、それは恋愛に依存とかそんなんではなくてもっと別の問題だと思う。子どもの名前は助六さんの本名からきてるのね。



タイトルのもうひとり、夏子さんというのはフユニャンのことです。(前日参照)
母が急に夏子さんとか呼び出して焦った。誰だよ。
(フユニャンって言いたかったらしい)
(でもフユニャンのフユは浮遊のことや……)


嫉妬は最大の、

フユニャンです。
ママンが買ってくれてうちにやってきました。
そろそろ僕らの寝てる間にぬいぐるみ戦争が起きそう。

さて今から相棒の最終回のネタバレを盛大にするのでみたくない人は気を付けるように。
あとだいぶねじれた感想なので純粋に正義を信じたい人も見ないように。



・・・・・・以下ねたばれだよ!








ぼく今シーズンの相棒はぶっちゃけまともに見たのこの話くらいなので何も言う資格はないんですけどそれでもかなりそれこそ劇中の言葉を借りるなら「渡ってはいけない橋」を渡るどころか壊してジャンプしてたなっていうのは分かりました。

まずはじめに端的な感想を言うと、
・気がふさいだ
(エンドロールのあと数秒沈黙した)
・でもよく考えると萌えた
・よくよく考えると自分の好みだと思う
・なんで石坂浩二はこんなクソみたいな役回りが多いのか(そしてうまい)


そう、確かに三年間も隣にいた相棒が最悪の裏切りをするっていう、ドラマを愛していた人からみればある種の禁忌といってもいいようなバッドエンドだったんです
けど、

こういうの好きです。


まず疑惑が点から線になって相棒として成り立たなくなる(ダークナイトの件に関しては君と行動を共にできません、って言ってたあたり)ところの、チリチリと今までの定石が崩されていく危機感が良かった。
主人公またはそこにごく近い環境がゆるやかに狂気に蝕まれて、綻びが出てくるっていう展開が好きなんです。

次にカイトくんが犯人だと自供してしまうところはあまりにあっさりしていてややもの足りなかったけど、そのあとに取り調べの場面を入れていたのが効果的だった。
何がかと言うと、カイトくん本人の口からは
「なぜ犯行を最初の一件でやめなかったのか/どうしてエスカレートしていったのか/自分でもよく分からない/世の中の喝采は心地よかった/警察官としての葛藤はあった」
と月並みな動機しか語らせていないでしょ、ここがミソなんだと思います。
ここで「なんやこの薄っぺらい犯人は……」と思った次の瞬間に、あの石坂さんのシーンを持ってくる構成。
さっきのカイトくんの月並みな言葉とは全く違う、
「完璧な上司への嫉妬/乗り越えられない壁への対抗/それこそがダークナイトを生んだ/杉下右京がダークナイトを作り上げた/杉下は人材の墓場であり劇薬/思っていたよりずっと危険な存在」
というとんでもない推理(言いがかり)が杉下右京(と視聴者)を追い詰めていく。

この場面がたいへん味わいは悪い……んだけど、スルメのように舌を這いまわってくるんです。くるんです!
いわばこれは言いがかりでもあるんだけど裏の視点から眺めた推測でもあるわけで、カイトくんが知らない彼の深層を暴き、さらにそれがあくまでも無意識下でのことだと強調しているシーンでもあって。

もし本当に、例えば一種の嫉妬、コンプレックスにより手を染めたとしたならば(なおかつそのことには無意識に)それは人間の姿として大変狂っているとぼくは思う。

そこが大変おいしい。

人間の心っていうのはねじれたほうが面白いんです。
(※あくまでフィクションの上での話をしています)


杉下さんへの否定はきしべーのころからあったよね
「杉下の正義はいつか暴走するよ」って亀山くんにきしべーが言う場面大好きでした。
亀山くんのときは、単純の純、純粋の純、な亀山くんがきしべーに杉下さんの危険性を指摘されたときに初めて相棒としてのスタンスが揺らがされるところにねじれの美しさがあった。

そしてカイトくんの場合はもうすでにねじ切れて壊れてしまった。これを壊さずに壊すのを防ぐ、というのもドラマの書き方としてはありだけどそれだとハッピーエンドになりますよね。結果としてはねじれなくなる。ぶっ壊しちゃったからこそねじれの味がぼくらに後味わるくわるく伝わってくる。
カイトくんの今回のケースはすべてが結果論として降りかかってくる。そこからどれだけ論理をかざそうが全ては終わってしまったことでもう取り返しがつかない。
そこもまた
よい。

取り返しがつかないっていうのはドラマの醍醐味なのです
(※あくまでフィクションの上での話をしています)


つまり石坂さんの言葉がもし本当だとすれば(100%そうだとは言えないけど)
カイトくんは相棒である杉下さんに少しずつ追い詰められていたっていうわけで、それも自分で止められない域に達していて、そこまでいってるのにあくまで無意識で、杉下さんもそんなことには思い至らなくて、二人で相棒の顔をしていて、しているのにどんどん暗いところに足がとられていって。
視聴者さえ、なにも知らずに悲劇の一部分だけを見ていてどんって絶望に突き飛ばされて。


そう思うともだえるほど苦しくて好きです

ぼく大概でしょう
自分で書いてて引くわ


さっきも書いたけど例えばこれがハッピーエンドもしくはカイトくんが善のままなら、それは普通の終わりになる。みんなが思い描いていた理想の終わり。
それを裏切ることでどうなったかと言うと、ものすごく乱暴に個人の思いよがりで書くと、カイトくんは犯罪者になることでこれまでにはいなかった、ある点で杉下さんにとって最も特別な相棒になってしまった。

あるいは、次のシーズンを迎えるための踏み台にされた。もしくは、叙述トリックに近い「相棒」の名を使った実験のモルモットにされた、とも言えるけど。やっぱり最初の特別な相棒になったというのを推したい。いや推したいというか、そんな風に感じた。

そもそも相棒って頻繁に後味悪い話はさんでくるしこういうのがあってもおかしくはないんだ。

とにもかくも、カイトくんのこの結末はある意味「相棒」という関係の頂点、到達点ではないのでしょーか。
だって「相棒」だった結果、こうなったのだと石坂さんも言っているのだから。



でもね、各シーズン通してずーっと見てきた人とか、成宮くんとか、カイトくんが好きだった人にとってはやっぱ残酷だったよね。
そこを責められてもかまわないという覚悟が製作陣にあってその上でのチャレンジならば大丈夫なのですが。



今回のダークナイトの話と同じような気持ちになった小説などを挙げて話をしたいんだけどそれはさすがにここですると闇討ちされそうなので追記でします。
もう何のどんなネタバレをされてもいいよという人だけ読んでください。
これから読むかもしれないのにそういう(裏切り系、叙述トリック系)話だなんてこと知りたくないわという人はぜっったいに見ない!よーに!

ぼく明日も普通に仕事なんですけどね
考えてたらわーってなってぐわーって書いてしまった


個人的には胸くそは悪いけど嫌いじゃない、そんな最終回でした。

キモい文章書いてしまった感すごい


追記は以下から〜

続きを読む

返せない手紙が届く

郵便受けに私宛ての手紙が一通入っていた。小ぶりな女性の字で書かれていて、なぜか「様」ではなく「行」になっている。
差出人を見ると私の名前だった。

高校生のとき、授業で未来の自分にむけて書いた手紙──二十歳のときに届けられるのではなかったのか、なぜ今。しかも封筒の裏に先生の文字で「遅くなってごめん!」とある。でも同じ面の下側に「2015年1月1日」とも書いてあるから、どうやら今年の年始に受け取りを設定して書いていたらしい。

取り急ぎびりびりと封筒を開けて、中のものを読んだ。便箋一枚ぎっしりと二枚目に軽くかかるくらいの分量で、まだあどけない字が並べられている。書いたときのことは覚えている。十八歳の冬、受験の合格発表の前日だった。もう六年も前の話になると思うとぞっとする。

恥をしのんでいくらか転記する。


〈前略/新春のお喜びを申し上げます。いかがお過ごしでしょうか。/私は今、それなりに苦しくも楽しく過ごしています。
(中略)
そちらは今、24歳でしょうか。4年前に小6の私からの手紙は届いたでしょうか。〉

小6の手紙というのは小学校を卒業するときにタイムカプセルみたいなものにおさめたもので、今もまだ取りに行ってはいない。
手紙の序盤はとにかく質問ばかりで、まあ合格発表の前日だから自然とそうなるのかもしれないけれど、やがて話題は将来の生活のことへ移った。

〈まず、学校はどこを出たのでしょうか。××には、合格したのでしょうか。
(中略)
というか、今何をしているのでしょうか。仕事は、希望通りに就けたのでしょうか。/もしかしたら、でもどんな未来でも、楽しければそれでいいです。〉

でしょうかでしょうか言いすぎな。

もうこれ以上はあまりにもあれなので書きませんけど、なぜか手紙の半分くらいが(今の)私の生死を心配していて笑った。死んでないか、とか落ち込んだときは、とかなんとかなるよ、とか。
そんでもって当時の私も記憶にあるよりは何割か増しで切羽詰まっていそうな雰囲気を文章から感じとる。お前はお前で色々あったんだな。(思い出せない)

あと、京都には住んでいないと思う、って予見されていてどきりとした。でも香川に対しては消極的でどちらかといえば奈良に住みたがっていたようだ。そうとはつゆぞ知らなかった。


元気だし過去の自分としても今の私としてもよかったんじゃない。


この手紙を届けてくれた先生は私のなかで『ななつのこ』のふみさんみたいなイメージ。

未来の自分から手紙が届く話。
高野苺は漫画の中に可愛いだけじゃなく意外に哀しい淋しい空気をつくりだす。

そういえば私の母がレモン柄の手帳を使っているのだけど、それを期に梶井基次郎の「檸檬」を読ませてみた。
母は梶井を知らなかったらしく、読み終えてから初めて過去の人物だと気が付いたそうでひどく驚いていた。
「現代かと思って読んでいたらいつの間にか大正の街に行ってたのね〜」
母はロマンチストです。


ぼくの持ってる「檸檬」はこれなんですけど安野光雄が表紙書いてたの気付かなかった。


物語にしても手紙にしても言葉は時を止めたり運んだりできるけどその発生時以前には決して影響を及ぼせない一方通行な限界がある。

今日、香川県庁舎の旧本館を見たんだけど外観だけでだいぶ迫力があって、ああやって視界からぐわーって時代を持ってこられるのも文章で行うタイムリープとはまたちがうアプローチがあって、心バンって叩かれたみたい。

クリーム、ミルク、あるいは



歯医者にいったらいつのまにか私の車両を特定されていて、ドアが開いたとたんに「(予測が)当たったな〜」と言われたぞ


夜は帰り道にすんごい霧が出ていたぞ


頭文字Dで「白い……闇だ……!」
って言ってたけどまさしく前後左右不覚でトンネルの中を進んでるみたいだった
レースのカーテンをどんどんめくっていくような

むしょうにサイレントヒルがしたくなる
こわいのよあれ






乗れない電車ばかり数えている


〈たしか東京二十二時発だった。/こちらとは番線ひとつの違いなのに、あの寝台特急「瀬戸」に乗って服を脱ぎ、寝台に寝転んでいれば、あすの朝は四国の高松だ。〉

うちに帰ると母が雑誌の一頁を開いてそこを読んでくれと言う。

お腹がすいてそれどころじゃないようと言いながらしばらくして目を通した。
その旅は東京駅のホームから始まる。


〈やさしく寄せる瀬戸の海がある。女木・男木・豊島・小豊島・小豆島と並ぶ島々がある。美味しいおうどんと「何しとるん?」「おいでまぁせ」と話しかける讃岐弁がある。東京の酷薄な日常とは比較すらできない、ゆったりと時の流れる異次元の町。〉


つつけば溢れる水風船のように、読みながら今かいまかと目元が熱くなっていて、本州で読んでいたらたぶんわーわー泣いていたことだろう。
「いい文」だった。
読みやすく優しい。誇張もなく、ごく自然な香川の姿が記されている。
この人は私たちと同じ香川の空気を吸ったことがあるのだな、と、わかる。
彼が思いを馳せる香川は私の知る香川そのものなのだから。

言うなれば香川の景色を、記憶や情緒を織り交ぜて書いているだけの随筆なのだけどここ最近読んだもののなかではとりわけよい出逢いだった。母に感謝。


友人と話していたとき「たまには本州に来てね」と言われて、言われると確かにそうなのだけどそうか自分は本州にいないのだ、と軽く衝撃を受けたことがあった。
岡山駅で新幹線から降りて快速でも一時間強。三宮から船に乗れば四時間の旅になる。天気予報で見る本州との距離がどれだけ近いように見えていても海を隔てるということはそういうことだ。


そして時間の流れが違うというのは事実だと思う。あと空があまり怖くない。さみしくない。(と思う)



〈東京駅のプラットホームに立ち、何度、ああ高松へ行ってしまいたいと思ったことだろう。〉

海を隔てるということはそういうことだよね。(二回目)



上記〈 〉内の文章はすべて
文藝春秋平成16年9月臨時増刊号
徳岡孝夫「和し響きあう風景と言葉」
より引用しました。






〈このままこの電車に乗ってゆけば海に行けるんだな、と思いながら、会社のある駅で降りる。それが二十年も続いて、海には一度も行ったことがない。当たり前と云えば当たり前だが、異常と云えば異常ではないか。〉
ほむらさんのエッセイでこの本が一番好き。
反対側のホームに止まる電車に飛び乗って全然違うどこかへ行きたくなったり目的地でどうしてもどうしても降りたくなかったり、するのに結局いつも同じ駅で降りてしまう決断ばかりさせられるから電車は苦手です。


電車といえば

「Just Missed The Train」が好きで、なぜかたまにスーパーとかでも流れるんだけどそしたら嬉しくなって合わせて歌ってしまう。





本の感想