スポンサーサイト



この広告は30日以上更新がないブログに表示されます。

思ってるより軽いタッチで言ってます

今年をね、印象的だった会話で振り返りますよ。もうだいぶ思い出せないですけど。まるいかっこの中はそれを言った人です。


「沖縄に移住したい」
(真冬のハンサム)
このときはねーグラタンを食べていたんですよ私はね。おしゃれなカフェで猪熊弦一郎のもちものを撮った『物々』を読んだんですよ。そのときそこにいたハンサムな人が言ってましたね。沖縄に住んで犬を飼いたいと。
私は香川に住みたいし犬も飼いたくない。そういうことだなーと思いました。その場のすべてを象徴する一言だったんだ。
これはつらい思い出なんですよ。


「一番好きな人は一番好きな人のままでいい」
(春ごろの女神)
これはねー女神とハンバーガーを食べに行ったときに聞いたお言葉です。これが女神テク。結婚する人と一番好きな人は必ずしも一致しないし、しなくてもいいってことらしいです。でも結婚する人を好きではないということではなく、一緒に老いていける大切な人とかなんとかかんとか。
一番好きだった人は、自分の中でずっと、好きだったところに置いていてもいいんだよーみたいな話をしました。


「鬱陶しい」
(夏のはじめの知識人)
ラーメンをね、食べに行った後日の話ですね。これはこの言葉だけを切り取るというワルいことを私がしているのでワルい発言に思えるのですが……まあ間違ってなくて、私がそっと諭されたんです。
でもこれけっこう引きずりました。悔い!!改めよ!!


「忘れてないし約束は守る」
(秋のはじめのいい加減な人)
このときなにも食べてないですね。でもたしかback numberの『わたがし』をけっこう聴いてましたね。病んでたわ。
これはこう言っていたのをきいて、確かにそうだなあと普通に納得していました。いま思うと私が私のものさしでしかものごとを測ってなかった部分もおおいにあったんだろうなあ。
でもだからって違う選択をしたとしても、けっきょくは同じところに立っている気がする。

「じゃあ何が一番大切なことだと思っているんですか?」
(初冬の年下)
このやりとりは仕事のことなのです。私の仕事、色々するべきこと、必要とされる能力はあるけど一番大切なことって何だと思いますか?って私が聞いたら、逆に尋ねかえされたの。
私は、人と関わる、という部分が一番大切だと思っている。そう思っているんだなって、この逆質問で気づかされた。
ただ、人と話したり話を聞いたり関わっていくの難しい。自分には向いていない。と思いながら日々働いている。なかなかうまくいかないですけど。

はい。
ちがうんです。こんなね、五つだけとりあげるのではなく、もっといろんなことをいろんな人から聞いたのに。でもきりがないから。
いろいろあります。あんな人いたなー。あんな事件あった。あの本に出会ったのは今年だった、あの音楽を聞き始めたのは去年だった。あのころはあの……省きますが。
たいがい切ない思い出です。


『読書夜話』

これけっこういいですよ哲学とか文学とかサブカルかぶれな(怒られそう)大学生のひととかに読んでほしい好きだとおもう
あと、私と同じ名前の引用があって、はじめに偶然その頁をひらいたので買ってしまった。
昔は自分の名字も名前も好きではなかったんですけど最近どちらも愛せるようになってきました。

小川仁志『ジブリアニメで哲学する』

個人的にはあまり賛同できなかったけどためにはなりました。


『Casa BRUTUS 1月号』

これ買えば良かったなー


『Casa BRUTUS 8月号 瀬戸内シティガイド』

これは今さらながら拝読しました。表紙かわいいよね!内容も良いと思います!瀬戸芸あるし増刊で出せばいいのに。


あとは気になるジャケット。

畑野智美『水槽の中』


新井素子『ゆっくり十まで』



miwa『Delight』

どの歌も好きなのですが、「サヨナラ」がなんだか水の中で溺れていく感じがして好きです。

ぼくは変わってしまった

〈BABY/もうきみの目を/今までのようには見れない/BABY/もう二度と/ぼくの目には見えない〉

矢野顕子
『海辺のワインディング・ロード』


原曲はRCサクセションのうたなのですが、矢野顕子が歌ってるほうで私は知りました。
これが失恋のうたなのか恋が始まるうたなのか、母と話しあったことがあって、なんとなく私たちふたりは失恋の歌かなあと思っています。
ただひとつ思うのは、矢野顕子が歌っているのを聴くと失恋の歌なんだよなあ。RCのほうでは、どちらともとれるしどちらとも決めがたい。清志郎は「離れたくない」と「BABY」が強く聞こえるし、矢野顕子は「見れない」「もう二度と」が深く耳に残る。


始まりにせよ終わりにせよ、気がつくときにはもう戻れないところまで来てしまっているよね。

ここまでならまだ引き返せるというところを、通りすぎてしまった。
ぼくも変わってしまって、二度とあなたをもとのようには見れない予感がする。


〈二度と/二度と/帰りたくない〉

『RESPECT!清志郎』のライブで矢野顕子が歌ってるのが一番せつないのだー(コア)
RCのほうだとG2のキーボードが素敵ですね。


『マチボンVol.2』

今回良かったですねー
好きな店もでていた


BRUTUS
『危険な読書』

この特集毎年でるのかー
今回は赤です!


酒井充子
『台湾人生 かつて日本人だった人たちを訪ねて』


これきちんと読んでみたいなあ

豚汁ナイト

豚汁を飲み会という謎の催しが高松でありました。(某界隈の忘年会)
「来週、ここで豚汁するんでよかったら!」
という謎の会話を経て
(どうしよう……駄菓子の串カツ【箱入り】でも買って持っていくか……)
という決意をし
謎のサブカル軍団に囲まれながら私も豚汁をご相伴。水餃子もご相伴。
意外といろいろ会ったことのある人がいたりして思っていたより忘年会だった。
酔いどれを見つめながら「見てください。これからの未来はきっと明るくない」と隣にいた人に言われた。
知らない人たちにも「あっ……よいお年を」というやり取りをして解散(勝手に帰った)したあと
本がたくさんあって深夜まで開いている夢のような喫茶店にたちよってぼーっとしているのが今です。

もうね、おともだちともこの前会えたし刀と傘も手に入れたし私も忘年できました。

伊吹亜門『刀と傘』


いや、意外といろいろがんばったよなあ今年。

『タータン 伝統と革新のデザイン』

タータンチェック可愛い

まつざきしおり『直島古民家シェア暮らし』

夢のような生活だなあ

夢のようなといえば、昨日すごく嫌な夢を見て、悪夢を見たときは人に話せという母の教えを実践したらそのあと黄色い薔薇のでてくる美しい夢を見ることができました。蝋梅みたいな、蝋のように美しい薔薇だった。


この表紙かわいい

このごろスクラップ

近頃のことを書きます。なんだかんだで本のことなど多いと思います。

・私の本棚のこと・
本棚の本をすこし処分したのですが、わけへだてをしながら気づいたことが。
星の本。精神についての本。食べ物の本。本についての本。罪を犯す本(ミステリですね)。
が、本棚を多く占めている分野でした。ゆっくり時間を使いながら、自分の嗜好は棚を蝕んでいったのだと思った。

・失恋のこと・
「ふだんは気にせず過ごしているのに、ふとしたときにもういないのだと思ってしまいます」という話を人からされて、どうしたらいいですか?と言われた。お葬式をしたらいいのでは?と答えた。いや、死んではいないんだけど、もうしばらくは会えないっていう自分なりの切ない儀式をどこかで行ったらどうなのかなって。私に相談したらだめですねえ。

・本を読むということ・
「読んでる感じがまるでしない」という、本へのほめ言葉を聞いた。すっと入ってくる言葉は素晴らしく、苦しまずに読むことができるのも素晴らしい。でも、
他人のことばを読むよろこび、いまことばを読んでいる、という感覚を味わうよろこびも私にとっては必要で、心のコンディション、肉体のコンディションにあわせて「そう簡単には読めない」という事実があることが私と本をつなぎとめているのかもしれないと思う。
北村薫の小説の主人公のように「水を飲むように本を読む」ことは私にはできない。ときには覚悟をもって、胃液をすり減らして、なおかつ享受しながら。

・詩のはなし・
「疲れているときにはエッセイを読むんです」と言われる。わかるわかる。私も読む。詩も読む。ただ、詩は一気に読めない。大きなチョコレートボンボン、あるいはフォンダンショコラ。一気に読むとけっこうしんどい。

・題名のはなし・
伊坂幸太郎が好きな人と伊坂幸太郎の新刊のはなしをしていて(※ただし私は伊坂幸太郎の作品をまだ読んだことがない)
「今回の新刊のタイトル、森博嗣っぽくないですか?」
と言いたくて言えなかった。
伊坂幸太郎『フーガはユーガ』


ちなみに森博嗣作品のタイトル(※タイトルだけ)では『詩的私的ジャック』が好きです。


・詩のはなしセカンド
(あるいは耽美のはなし)・
人から急に、吉野弘の「I was born」の話をされて雷が心に落ちる。
私、それ大好きだった。でも今のいままで忘れていた!思い出させてくれてありがとうございます、とふかぶか頭をさげた。
ヘッセとか『姑獲鳥の夏』と雰囲気が似ている。(なんて書いたら色々なところから怒られそう)
〈──ほっそりした母の/胸の方まで/息苦しくふさいでいた白い僕の肉体──〉
という部分を、さも「母」めいた華奢なひとが暗唱してくれた。豪華。

・耽美のはなしセカンド・
お耽美な文体が好きですと言うと、あなたあれでしょう。『姑獲鳥の夏』とか好きでしょう。と言われる。ばれている。

・ナラタージュのこと・

Aimerの『ナラタージュ』を手に入れた。
〈あなたをちゃんと思い出にできたよ〉と歌っているけど、できていないの……映画は観ていないのであまり言えないですが。原作を読む限り思い出にはできていないし、あなたのことは永く思い出にできないのが島本作品の本質のような気もしたり。

・失恋のはなしセカンド・
失恋の話をしてくれた人がいる。
親しくもなくただそこにいる存在だからといって私に告げてくれたらしい。ただ流木のような存在に思われていることはなんとなくこそばゆいが、嬉しかった。

・再読したもの・
金原ひとみ『蛇にピアス』をなにとなしに読む。

よかったです(なにがどうかは秘密)
意外と作中であらわれる問題はなにひとつ解決してないんだなと思った。昔は思わなかったんだけど。

・別れを告げた自転車のはなし・
学生時代に愛していた自転車とばったり再会する。あれ、こんなところにいたの?
少し色あせて、でもしっかり乗ることができる。ともに街を走る。
今朝そんな夢を見た。思い返しながらすこしさみしかった。あの自転車どうしたんだっけ。人にあげてしまった。私のものだったかわいいピンク。
たとえ夢の中でも私に会ってくれてありがとう。また乗れるうちに乗りに行くね。




蜜柑と檸檬

〈得体の知れない朗な心もちが湧き上がつて来るのを意識した。〉
芥川龍之介『蜜柑』


これは「蜜柑」という話の、おわりの一節なのです。

〈えたいの知れない不吉な塊が私の心を始終圧えつけていた。〉
梶井基次郎『檸檬』


いっぽうでこれは私の大好きな梶井の「檸檬」のはじまりの一節。

得体の知れないふたつの感情がはじまりと終わりを彩るのは偶然の符号なのか、意図的な暗示なのか?
私、「蜜柑」を読んだことがなくてこの前はじめて読んだんです。そうすればあら、なるほど。得体の知れない気持ちがここにもあらわれるのかと。
蜜柑での心は、湧き上がって心の蓋をつきやぶってくるようであるのに対して、檸檬は蓋を必死でおさえて心の暴走を閉じ込めようとしているように思える。「檸檬」のほうが作品の成立としてはあとなので、もしかしたらということもあるかもしれない……そうだったら素敵だけど。

なぜ「蜜柑」を読んだのかと言うと、父親から「トロッコ」を読むように言われてそのついでに読みました。


〈何時までも押していて好い?〉
(芥川龍之介「トロッコ」より)

父親はあれを観たのです
『ビブリア古書堂の事件手帖』の映画。

「トロッコ」が出てくるんだなあ。

トロッコはなんだか、ちょっと切なくなる話じゃないですか。よろこびと裏切りと絶望と安心と、いろんな感情が入っているんだけど。
なんかうまく説明できないんですけど、永田和宏さんの言葉をかりるなら、あのデス・パレットな気持ちのなかにもう一度もどってみたい、みたいな。
純粋な感情の爆発を失ってしまった、単調な生活への得体の知れない(ここで使うぜこの言葉!)気持ちというか。
少年の立場から描かれている物語は、喜んだり焦ったりするその姿を可愛く思って、ほほえましく読むこともできるし、とりもどせない喪失感を心地よく味わうこともできるし、絶望を自分に重ねることもできる。

〈これが私の……『トロッコ』〉
片山ユキヲ『花もて語れ(4)』

この巻では「トロッコ」が取り上げられているのです。なるほど朗読ってこういうところを考えて読むんだなあと感心します。

青空文庫のリンクを貼っておきます
トロッコ

わりといろんなことがあったのに物語のはなしだけで言葉をだいぶ使ってしまった。
最近言われて嬉しかった言葉は
「いまの〈くだん〉の使い方、すてきでした」
です。


前の記事へ 次の記事へ