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夏風邪はじめました。

ぜをひきました。





……がんばらなくちゃ!
何をでしょうか。なんか予測変換にがんばらなくちゃ!って出てきました。
最近はーーー同級生とばったり再会したものの自分との関係性が思い出せず、唯一思い出せたその子の昔の恋人の名前(私の友達と付き合ってた)を言って苦笑されたりしました。というか私のこと知っていたのかーーー……。


あとこのところ忙しくてつらいです。風邪ひくし。もう治るけど。
今日はモモをもらいました。モモをくれるためだけにわざわざ職場に休日出勤してくれたそうです。サンキューです。


〈情緒不安定な人のすることはさほど気にしないから〉

いくえみ綾
『私がいてもいなくても』





初心にかえっていくえみさんの漫画を読もうと思いよみました。


もどかしいことがうまく描かれていてよかったです。
表紙だけ見るとリスカ癖のある女の子が少しずつ生きる意味を見出だしていく生と死のヒューマンドラマというような印象をうけますが

実際は明るくひたむきなフリーターの女の子が漫画家の友人のところでアシスタントのバイトをはじめるお話です。
自分の立ち位置が見つけられない寂しさと焦りがときどき爆発する、いいお話でした。
相手のことを思って、やさしくしたいのにやさしさだと認識してもらえなかったり、それはむしろ自分勝手の裏返しかもしれないと思ったり、そういううまくいかなさがリアルでした。

このころの絵がキレがつよくて好きです。


なんか……疲れました。(遺書みたいなヒキはよくない)


天国系

い出からツギハギした 悲しいダイアリー

――スピッツ「遙か」より



スピッツは「遙か」が好きです


あと「夜を駆ける」も好きなのだけど、頭のなかでなぜか「青い糸の歌」とずっと呼んでいた。青い糸なんて言葉は歌詞に出てこないぞ。〈よくある赤いやつじゃな〉い〈細い糸〉の色を青だと、勝手に思い込んでいていたらしい。

なぜスピッツの歌について話しているかというと後輩さんが「名前をつけてやる」を聴いて「名前をつけられたい」と言っていたから……。

「遙か」のPV、しんでるっぽい感じがある(好きです)。
「青い車」の、りんねのはてへとびおりよう〜〜……も、しにそうですね(好きです)。

先日こんなやりとりをしました。

「探してほしいものがあるのですが」
「はいどうぞ」
「天国……」
「……え?」
「……天国は、まだ遠く……」
「……ないですね」
「他に有るところってわかりますか」
「ミラクルでは取り扱ってるみたいです」
「ミラクル?」
「ミラクル」

しゃんしゃんしゃべれなくてすみません。
DVD屋さんで『天国はまだ遠く』という作品を探してもらったのですがその店にはなくて、ミラクル(そういう店舗名らしい)店にはありますよということです。タイトル口に出すのってけっこう恥ずかしいんだなと思いました。

原作は瀬尾まいこの同名小説で、


自殺しようと遠いところに出掛けるも未遂に終わった女性が、その知らない町でもうひとつの人生をスタートさせるみたいな話です。
遠いところに行きたい……と思ったときにこの話を読み返したくなって、ということを話していたら映画のほうもいいよと言われたのでした。

天国がミラクルにあるという不思議な託宣をうけたものの、ミラクルはわが家から遠いのでまだ行っていません。ミラクルはまだ遠く。


できそこない論

とばにおきかわる前の、心にぽっと存在するなんとなくの感覚を大事にしている。

言葉におきかえるのがわずらわしいと今日は思っていたはずなのに、夢の中では感情がコントロールできなくて迷惑なほど騒いでいた。正確に表現すると暴れていた。どちらが本音なのでしょうか。







一と二巻が薄暗い恋(というより呪いに近い)の話で、三と四巻はポップに薄暗い恋の話。
一と二で呪詛を吐きあっていたふたりの周りにいたモブAとBが三巻からの主役になるため、三巻からまるきり新しい話になる。僕は三と四巻の話のほうが好きです。

女の子は言葉より行為が先走る(相手のからだの一部を絵の具で塗りつぶしてしまう!)タイプで、男の子は一応「好き」という言葉で結論を出しはしているけれどその言葉がどういう意味を持つかの説明ができない。
ふたりが「好き」という言葉の本質を問い直したところに物語の山場がくるのだけど、はっきりした答えが出たかといえば出ていないしかえって沼にはまっていく。模索するも、また絵の具をとりだして言葉より行為が先にくる女の子。

恋よりも同級生のお姉ちゃんが死んだときのエピソードのほうが人間らしくてより本当っぽかった。
でもその場面は言葉によってきちんと感情の説明がなされているから、説得力をもっているのかもしれない。

うまく説明ができないという状態が大切な意味を持つときもある。ということを、うまく説明できない。たすけて。



ブレーカー落とせない

Summer vacation 続く。
髪を切りにいくと、お店がもうすぐお休みになるという。建物を新しくするらしい。今年は改装ラッシュだ。そのあいだ従業員のみなさんは別店舗に散り散りになるそうで、「それはそれで面白そうだから、そのときにあわせて行ってみたい」というとそれに合わせて次の予約を提案してくれた。ビジネスとしてもわくわく感としてもうまくまわっている。
いつもの人にいつもと違うお店で切ってもらうのは不思議な感じでいいと思う。楽しみだ。

とある心理学の本(だいぶ前に買ったきり積んでいた)を読みながら夕寝をする。ひきこもりの体験談などが書いている。
寝ているときに夢を見て、私は体育館倉庫に閉じ込められていた。正確に言うとどこのスイッチを切っても電気が完全には消えなくて、鍵閉め当番の私は出るに出られなくなっていたのだ。ブレーカーを落としてもだめ。外ではもうバスに荷物を積みこんでいるのに……。(バスがどこに行くかは知らない)こんな形でひきこもりたいわけじゃないんだよと焦ってあせって、どのスイッチを入れたのか消したのかもわからなくなる。
起きるとちょうど母から電話がかかってきた。父に電話がつながらないという。親子そろって働かない装置に困っていたらしい。寝ぼけ眼で階下に降りると父は……父も寝ていた。

読みかけの本をもう一度ひらく。装置は人間関係のなかでも存在するという。頭が眠くてあまり理解しきれない。

ブレーカーを落とせなかったように、使い方を間違えている、と思うことはそれはもうたくさんあるんだけど…………。
だめ。今日は書き物も落とせません。
ある意味落としてる。無理矢理落としてる。


山名沢湖『レモネードBOOKS』
この本で描かれている「本という存在についての意識」が私の持つ感覚とほぼ同じで、読んでいると気持ちがぐわ〜〜ってなります。
とてもわかるから楽しいけれど、わかってほしくない、私だけの意識だと思っていたのに〜〜という嫉妬もちょっと生まれる。

登場人物全員が本好きなのかと思いきや主役の女の子は普通の子でした。そこがいいと思うわ。



仲良くなれないけど更新されるインスタはまぁ嫌いじゃないよ、っていう同級生みたいなスタンスで読む本。soupと同じですね。
嫌いじゃない。沈殿しない"可愛い"だし、それこそ「使い方」をよくわかってる子(人じゃないけど)だと思う。コピーのセンスは文字のデザイン含めて好き。

静かな駅

のところ北枕で寝ているとなぜか落ち着く。
それとは関係なく、祖父が引っ越しをするらしく手伝いのために父が頻繁に家に戻ってきている。
私の家は少々へんなので、祖父に対する私の感情はいたってドライなところがある。はじめから関心がなかったわけではなく、一応それなりの理由はあって、私なりに出した結論としてもう十年近く顔を見ていない。ここまで言っておいて今さらではあるけれど、祖父のことが嫌いなわけではない。

というわけで父が今回も帰ってくるというので駅まで迎えにいく。夜十一時をまわって、一番大きなターミナルのはずなのに駅周辺はおそろしいほど静かだった。ゾンビが出てくる前夜の街のようだ。信号機の「まもなく信号が変わります/青になりました/まもなく信号が変わります/赤になりました」という無機質な声だけが響いている。海が近いのでかすかに潮の香りがする。あとは何もない。夜は眠る街。

父に「引っ越すの?」と尋ねる。
「家賃が安くなるからね」と答える彼に
「香川に帰ってこないの?」と聞くと、しばらくの沈黙が返ってきた。
じつは父と母も今度引っ越しをする。それは香川の話ではない。遠い未来ではないがいまはまだ帰ってこないという。私はまだしばらく家守りだろうか。

帰ると葉書が届いていて、末文に「いませんでした」と書かれている。
いませんでした、よく言われる。行ってみたけど、いませんでした。見てみたけど、いませんでした。答えはふたつある。いましたよ。いませんでしたね。
わずかな瞬間でも私のことを探してみたりする人が存在するのかといつもおどろく。言葉だけならそれはそれで、けど「いませんでした」と言うくらいには認識されてることにまたおどろきはする。
いましたね、と言われることもあって、見られていることもあるという発見にいつまでも慣れない。
いるんですか? と聞かれることもある。そりゃーいるときもあるしいないときもあるよ。
祖父がいまどこで暮らしているのか知らない(部屋の片付け父がしてるということは家にはいないらしい)のだけど、父がぼそっと「じいちゃんも日記を付けてたよ」という。部屋で見たそうだ。「読みたい」と反射的に答える。あのひとも日記なんて書くんだな。
「持って帰ってきて」
「なんで」
「読みたいから」
「そりゃいかんでしょ」
「でも読んだんでしょ?」
「だって何なのか確認しないといけないでしょ」
「はい」

人の日記を簡単に読むものではない。父が全面的に正しい。
でも人が書いたものにはひかれてしまう。






活版フェチ(?)……文字フェチにはたまらない一冊。これを買うときに「装丁よりも組版のほうにひかれます、文字が好きなんです」とアツく語ったら聞いてくれてたその顔が引いてた。





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