スポンサーサイト



この広告は30日以上更新がないブログに表示されます。

会いたいなら会おうよ(煙草・サンダル・パンケーキ)

いままで、百円のスリッパを職場で履いていたのですが、先日ついにコレではいかんと思い、三十倍の値がするサンダルに買い換えました。
結果どうなったかって、ものっそ快適そして厚底可愛さ満点FILAのロゴ。って感じです。端的によき。
もう一足、下履き用のサンダルを探している。
スポサンがいいんだけど、スポサン可愛くないって言ってた人のことを思い出してしまう。あの人センスよかったから。
【サンダル】


ふとした空き時間に、職場の外に歩いていく人。窓からみれば三人くらいがそろって、思い思いの缶を手にして話している。それぞれの缶は空っぽ。あの人たちはあそこで煙草を吸うのだ。
喫煙所、あれいいなあ、といつも窓の中から憧れる。私も煙草を吸えばいいのだが吸うほど煙草(を嗜むこと)が好きじゃない。
煙草そのものは好きで、煙草屋をよく探している。銘柄が多くあること、箱に入っていること、もうすぐ消えるであろうもの。そういうところに惹き付けられる。
去年は本屋で知らない人と煙草をわけあった。そんなふうに吸ったことはあるんだよ。

〈甘い退屈 けちらしてくれよ〉

フレデリックの、「うわさのケムリの女の子」という曲が好きでよく聴く。私としてはアクビちゃん(ハクション大魔王)の歌に聞こえるし、煙草の歌にも聞こえるのだが、ライブのケムリだという意見もあったりして真相は知らない。

久しぶりに話した人の何となしなしぐさで、その人がやめていた煙草をまた吸い始めたことに気づく。
煙草吸ってる?と尋ねる。
吸ってる。
どうして?
ストレス。
つい先日こんな会話をしたのが印象に残っている。なぜなら、私がその人の禁煙にひと役買っていたからだ。(どういうことか私もよくわからないけどそうらしい)
煙草は、体には毒でも心には良く作用するのかと思いきや、そうでもないらしい。
【煙草】


かしましくない、三人娘でもない三人でパンケーキを食べに行く。前の職場の人たちである。年が同じくらいで、いまはみんなばらばらに働いている。パンケーキをろくに分けあうこともせずひたすら切って食べていく。カフェオレ、オレンジジュース、アイスコーヒー。いたってスタンダード。見た目が可愛い飲み物を頼むこともない。自分達が飲みたいものを頼んでいる。
「もっとこうして、一緒にどこかへいったりしておけば良かったね」
とひとりが口を開く。
「でもあのころはみんな心を閉ざしてた。一緒に過ごそうとはしていなかったし、職場がそれどころじゃなかった」
これは私が言った返し。
「お昼もお弁当だった。みんなで行くのが面倒で」とひとり。

あのころはあれが自衛策だった。周りに溶けていかないことで自分のことを守る私たち。
離れたあとのほうがよく話す。今日も笑顔で終わり、今は今で楽しいと知った。
けれどなぜか何となく、あのころの冷めた私たちに戻りたくなる。今はもう、互いを傷つけるかもしれないと距離を測っていたころの私たちのようには、ひりひりとした関係になれない。そしてあんなに近づきたいと、心の奥底で思うことももうない。
幸せなことなのだが、幸せなことがあると傷つく方法を一緒に考えてしまう。
【パンケーキ】


〈一刻も早く終業時間がきてほしいと切望してしまう。生徒にものを教えていても昼飯を食べていても職員会議に出ていても、気はそぞろである。〉

川上弘美「人魚」
(文庫『神様』より)


人魚を拾った男と、人魚を預けられた女が、人魚に心奪われていく話。
この話は、今はもう異動になった好きだった先輩が教えてくれた。
上に引用した部分と、ラストの男の「ずっと離さないでいるだけの強さがぼくにはなかったのかな」という台詞が心に残っている。
大好きだったのに本当は〈好き〉を好きだったことに気づくとか、その感情が本当だったのかわからなくなる、とか、相手の気持ちは実はそんなに関係なくてただ自分が理想とする形で相手のことを好きでいたかっただけで相手から感情が返ってくると急にこわくなってしまう、みたいな。(早口)


会いたいなら会おうよ、とはあるところで聞いた言葉で、どストレートな一言だけど、深く考えると上の「人魚」のラストシーンみたいになってしまいそうな脆さを感じる。聞き手が脆いだけなのか。
【会いたいなら会おうよ】

ナイフと黄色

仕事場の窓を閉めようとすると、斜め後ろから「まだいますよ」と声がする。ふりかえり、あと十分したら帰ろうと話してカーテンをひく。背中を向けたときにこの人のことが好きだと思う。特別な意味ではなく。
雨が降っていると教えると、もうひとりいた人が、家がこの近くだと教えてくれる。近いから大丈夫だと笑う。ここにいるみんなは優しい。

結局ひとりで残っていると、業者の人がやってくる。ちょうどさっき、くればいいのにと考えていたところだった。「ハッピーバースデー!まだですけど!」というと笑ってくれる。本当は少し早いけど、そのときまで覚えていられる自信がなかった。カレンダーを見るまで忘れてしまっていたのだ。他愛のない話を重ねながら、その残酷さにお互いふれることはない。

台風が来ると誰かが話す声がして、じっとりと湿った風があたる。何か思うことがあるけど感情に蓋がされている。

先日伯母と話したときに、いつも夢に出てくる場所があるという話題で盛り上がった。伯母の夢にはいつも同じ家が三軒(自分の家だったり、自分の家とは少し違う家)ランダムで出てくるのだという。私の場合は学校が繰り返し出てくる。前はよく、授業を休むか休まないかという夢を見ていた。でも仕事が変わってからそういえばあまりその夢を見ていない。学校は相変わらず出てくるけれど。でも学校ではなく、どこなのかわからないけれど同じ空間がもう一箇所、何度も夢に現れる。あれはどこなのだろうと思う。見知らぬ家を夢みる伯母の気持ちがなんとなくわかる。
母は、そもそもそんなに夢を見ないと言う。前も違う人に同じことを言われたことがある。私は、夢にこだわりがあるのかもしれない。

この前、本を積み上げた上に檸檬を乗せる人を見た。妄想でも嘘でもない。そういう体験をする場があったのだ。
私は生まれつき、人より手のひらがあたたかい。手のひらを冷やしたくて机の上に手を乗せる。ひんやりとした天板に熱を移していると、「檸檬」の一文が頭にうかぶ。
「その檸檬の冷たさはたとえようもなくよかった」
おもちゃ売り場にあった、偽物のナイフをなんとなく思い出した。刺せば刃がひっこむフェイクのものだ。
あれと、檸檬、似ている。
この感覚は、本を読まなければ生まれてこなかったものだと思う。こういう瞬間がよくあって、感情より先にいつか読んだ言葉たちが浮かんでくる。私はその言葉をたよりにして自分の感情にたどり着く。
それが、私が思う読書のよさなのだが、いつもうまく伝えられない。


『言の葉連想辞典』

この本はめちゃ良いですよ。今年読んだなかでもピカイチってかんじ。すごく言語欲がそそられるかんじ。

人魚を拾う/穴があく

図書館の本の頁のあいだから人魚が出てきた。
アリエルの形をした青色のクリップ。
なんとなく、とっている。持ち主は誰かわからない。
『図書室の海』という本の題名を思い出す午後だった。

海と言えば、梶井基次郎の作品で「Kの昇天」がすごく好きだと思っていたことをこの前思い出した。そのとき話していた人は、「檸檬」の主人公は梶井とは思っていない派だった。でもあれはやっぱり、梶井基次郎の話だと思う。
あと、「不吉な塊」はわかる人とわからない人がいるんだろうなというのは何となく思う。

梶井基次郎
『檸檬』(乙女の本棚シリーズ)

この本、途中からハワイなんだけど
なんでハワイなんだ。


ふとしたときに胸が苦しくなる。
何言ってるんだと思うけど胸がいたい。
関係ないけど、胸が苦しいと思うと、昔すすめた本を「胸が締め付けられる」って表現してくれた人のことをいつも思い出す。あの人にいまの私からいまの話をしてみたい。

今日はサカナクションの「忘れられないの」をずっと聞いていた。〈素晴らしい日々よ/噛み続けたガムを夜になって吐き捨てた〉という部分が頭に残っていてガムを買った。とりだした一粒めは檸檬の色と味だった。

職場のカレンダーには人の誕生日がメモしてある。誰のというか、いつも職場に来てくれる業者の人の誕生日。とくに何もしないけど、「忘れられているから」とその人が言っていたので忘れないように印をつけたのだった。
そんなことを忘れた夜に、久しぶりに会う子が隣でふいに教えてくれる。「この前二十六歳になりました」

所用で中学校を訪れたら、向こうで驚いている子どもがいた。少し前、一緒に過ごしたことのある顔がふたりいた。声が変わっていたけど、まだ子どものままだった。嬉しかった。

いつも聞かれることがある。「本好きですか?」今日はじめて、「いまはあんまり好きじゃないかも」と答えた。
「でも本を眺めているのは好き」と付け足すと「どういうこと?」と困り顔。「並んでいるなーと嬉しくなるよ」そう言った。
「それはめちゃくちゃ好きってことでしょう」と言われてしまった。好きなのか。

文章が書きたい。ほんとうは面白いこともたくさんあるのに。


植本一子『台風一過』

「私は変わった」と書いて、途中からだんだんと記述が増えていく知らない男の人の名前。人は変わらないのだと思い知りながら、かえってこの人のもつしなやかさを感じとるような読書の時間。読みながらこの人を心の中で汚していって自分を棚にあげていく実感がある。植本さんの本にはいつも、彼女ではなく私たちのうしろめたさがまとわりついている。


吉本ばなな
『吉本ばななが友だちの悩みたちにこたえる』

やっぱりこのおばさん文章うまいな。
的確にとらえ、するどく、品よく突き刺さる答えたち。


最近読んだ本

誰かの海

「海を見に行くといいですよ」
と、言われたことを思い出して
「海を見に行きたいです。今日このまま」
と、いう会話を別の人からされたこともあって。
先日仕事の終わりに海を見に行った。

港に車を停めて、灯台まで歩いた。
海辺には夜でもたくさんの人がいて、海はそう簡単にひとりじめできるものではないのだとがっかりした。そのとき海はすでにそこにいる人たちのものであって、私が邪魔することはできない。海はすでに人のものだった。
この前は太平洋を見た。
綺麗と思うより怖いという感情が先にあった。
それに比べれば瀬戸内海は終わりが見えるのでいいと思う。
歩く舗道は、左右に段差があり、真ん中が低くなっていた。歩いていると真横の海面が高く見えて、自分が沈んでいくように思った。
海を眺めるとなんだか思い出してもしかたないことばかりをたくさん思い浮かべてしまった。
元気を出すために行ったのに、しっとりして帰る道で、波止場に着く船と行く船は夢のように綺麗だった。
アイスコーヒーを飲んでも、平気なところまで体が戻った。体に悪いものを食べてもそう簡単に倒れない。心もそうかも。

こんな恥ずかしい言葉を二度と書けない歳になってしまったのかも。でもこれからも厚顔無恥で書き続けるのかも。
知り合いのSNSに「夏はじまる」と書いてあったのをみて少し笑った。ようやく心がゆるんだ。

元気になるためではなく、自分と向かい合うための海だったと思うことにした。
下から見る赤灯台はグロテスク。

そういえば海辺から本屋さんに電話をかけた。汽笛の音が聞こえていればいい。
なんとなく週末はだめな予感につつまれる。

高橋和巳『消えたい』


信田さよ子『共依存』


この二冊を職場の机の上においているわたし……



ねむようこ『パンドラ』

手放そうとして戻ってきてしまった本。


indigo la End
『忘れて花束』



前の記事へ 次の記事へ