いままで、百円のスリッパを職場で履いていたのですが、先日ついにコレではいかんと思い、三十倍の値がするサンダルに買い換えました。
結果どうなったかって、ものっそ快適そして厚底可愛さ満点FILAのロゴ。って感じです。端的によき。
もう一足、下履き用のサンダルを探している。
スポサンがいいんだけど、スポサン可愛くないって言ってた人のことを思い出してしまう。あの人センスよかったから。
【サンダル】


ふとした空き時間に、職場の外に歩いていく人。窓からみれば三人くらいがそろって、思い思いの缶を手にして話している。それぞれの缶は空っぽ。あの人たちはあそこで煙草を吸うのだ。
喫煙所、あれいいなあ、といつも窓の中から憧れる。私も煙草を吸えばいいのだが吸うほど煙草(を嗜むこと)が好きじゃない。
煙草そのものは好きで、煙草屋をよく探している。銘柄が多くあること、箱に入っていること、もうすぐ消えるであろうもの。そういうところに惹き付けられる。
去年は本屋で知らない人と煙草をわけあった。そんなふうに吸ったことはあるんだよ。

〈甘い退屈 けちらしてくれよ〉

フレデリックの、「うわさのケムリの女の子」という曲が好きでよく聴く。私としてはアクビちゃん(ハクション大魔王)の歌に聞こえるし、煙草の歌にも聞こえるのだが、ライブのケムリだという意見もあったりして真相は知らない。

久しぶりに話した人の何となしなしぐさで、その人がやめていた煙草をまた吸い始めたことに気づく。
煙草吸ってる?と尋ねる。
吸ってる。
どうして?
ストレス。
つい先日こんな会話をしたのが印象に残っている。なぜなら、私がその人の禁煙にひと役買っていたからだ。(どういうことか私もよくわからないけどそうらしい)
煙草は、体には毒でも心には良く作用するのかと思いきや、そうでもないらしい。
【煙草】


かしましくない、三人娘でもない三人でパンケーキを食べに行く。前の職場の人たちである。年が同じくらいで、いまはみんなばらばらに働いている。パンケーキをろくに分けあうこともせずひたすら切って食べていく。カフェオレ、オレンジジュース、アイスコーヒー。いたってスタンダード。見た目が可愛い飲み物を頼むこともない。自分達が飲みたいものを頼んでいる。
「もっとこうして、一緒にどこかへいったりしておけば良かったね」
とひとりが口を開く。
「でもあのころはみんな心を閉ざしてた。一緒に過ごそうとはしていなかったし、職場がそれどころじゃなかった」
これは私が言った返し。
「お昼もお弁当だった。みんなで行くのが面倒で」とひとり。

あのころはあれが自衛策だった。周りに溶けていかないことで自分のことを守る私たち。
離れたあとのほうがよく話す。今日も笑顔で終わり、今は今で楽しいと知った。
けれどなぜか何となく、あのころの冷めた私たちに戻りたくなる。今はもう、互いを傷つけるかもしれないと距離を測っていたころの私たちのようには、ひりひりとした関係になれない。そしてあんなに近づきたいと、心の奥底で思うことももうない。
幸せなことなのだが、幸せなことがあると傷つく方法を一緒に考えてしまう。
【パンケーキ】


〈一刻も早く終業時間がきてほしいと切望してしまう。生徒にものを教えていても昼飯を食べていても職員会議に出ていても、気はそぞろである。〉

川上弘美「人魚」
(文庫『神様』より)


人魚を拾った男と、人魚を預けられた女が、人魚に心奪われていく話。
この話は、今はもう異動になった好きだった先輩が教えてくれた。
上に引用した部分と、ラストの男の「ずっと離さないでいるだけの強さがぼくにはなかったのかな」という台詞が心に残っている。
大好きだったのに本当は〈好き〉を好きだったことに気づくとか、その感情が本当だったのかわからなくなる、とか、相手の気持ちは実はそんなに関係なくてただ自分が理想とする形で相手のことを好きでいたかっただけで相手から感情が返ってくると急にこわくなってしまう、みたいな。(早口)


会いたいなら会おうよ、とはあるところで聞いた言葉で、どストレートな一言だけど、深く考えると上の「人魚」のラストシーンみたいになってしまいそうな脆さを感じる。聞き手が脆いだけなのか。
【会いたいなら会おうよ】