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親愛なる暴力

最近読んだ本のことを書きます。お久しぶりです。
「好きって絶望だよね」(桜庭一樹『砂糖菓子の弾丸は撃ちぬけない』より)
そんな本が多い。こんな本を読んでいますと人に告げると、病んでいるんですか?と返されます。

岸見一郎『愛とためらいの哲学』

『嫌われる勇気』の人。なんともミニツマサレルンダナー。
恋愛うんぬんもためになるのですが、
仕事を辞めたい人になんと言うか、という項目があって、仕事でも仕事以外でも、悩みを打ち明けられたときに自分は相手のことを否定してしまっていたのかもと思った。ミニツマサレルンダナー。

田中慎弥『共喰い』

ある人と話していたとき「田中慎弥の小説みたい」というフレーズが出たので。
暗くぬるっとした雰囲気のなかで唯一、千種の「死んでくれん?」とかの乱暴な台詞に笑ってしまうんだけど、そこが可愛い。それが言えるから千種はある意味この物語のなかでの聖域みたいになっているのかも。
タイトル「共喰い」については、フィーリングでこうだなという理解はあるのですが(さっと言葉にまとめられないけど)、自分の話をすれば私は、自分と似た誰かと話しているときに共喰いしてるなあと思います。
「共」が男と女のことなのか、親子のことなのかで「喰い」の解釈は変わるんだけど両方あるのかな。
表紙の絵は『誰もいない』という題のもので、そこがまたいいと思う。



川上弘美『おめでとう』

この本読んでいると泣いてしまうんです。
日常のささいなきっかけのなかに、離ればなれになることへの予感と恐怖がひそんでいることをうまく書いている。ずっと一緒にいられないことを自分に言い聞かせながら、そうではないと言ってもらいたがっている、そんな感じがする一冊。また機会があればくわしく書くね。

『絶望図書館』

このなかに収められている川端康成の「心中」が忘れられないんです……。
私はきらいなんだけど、違う人は好き……と言っていた。たしかに完成度がとても高く、忘れられない掌編であることだけは確か。

最果タヒ『夜空はいつでも最高密度の青色だ』

このごろはやりの「恋愛格言」めいた本をひとりでちくちくと読む女の子たちに、同じ感覚で最果タヒの本を読ませてみたい。それが私からの暴力。

ねむれなエンド

友達からおはようと連絡がきていて、あいさつなんてめずらしいなあと思いつつ返事をした。
あとから聞くと、ゾンビだらけの街で一緒に逃げていて、安全なところに入ったのに私が鎌で殺されて(そのあと同様に友達も死んで)しまうというスプラッタな夢を見たらしい。だから連絡があったのか。と思った。
友達は寒いときによく怖い夢を見ると言う。
しかしそんな話を聞いたからなのか、かえってこの日から私は眠れるようになった。
夢に見てくれてありがとう。


大塚愛『aio piano』

あいタイミング

生ごみを捨てる夢。
トイレットペーパーが真ブルーな夢。
人がわざと素通りしていく夢。
生ごみを捨てる夢。

新年あけましてろくな夢をみていません。生ごみを二回も捨てました。
けれど現実の世界でもおうちに帰ってきてからさっきまでの出来事がまるで夢かのように思ういま。不思議な時間だった。お好み焼食べながら泣いてた。給食をたべきれず昼休みに居残りさせられた子どもみたいだった。
あれは残酷なようだけどきちんとしているところなら見てくれてる先生がきちんといるはずで、そう考えると残酷なだけの世界ではないよね。守られているから。

わたし年末に、藤末さくらの漫画を買ったんです。それとは別に本日、藤末さくらの本を借りてきたんです。それを紹介します。これも現実なのに夢みたいな気持ちを題材にした物語だと思います。

〈はしゃいだ夜と/日常のギャップに/少し/戸惑った自分を隠した〉
藤末さくら
『春夏秋冬days(1〜5)』

なんで三巻の表紙かというと三巻の表紙が最も好きだからです。色合いと玉城くんが。

あらすじ
主婦の吉乃は、友人の呼び掛けで数年ぶりに高校時代の同級生と再会することになった。
しっかり者だがバツイチのなべさん。定まらない関係に身をまかせる小説家の瑠璃。タイプは違えど青春をともに過ごした三人はブランクを気にせず意気投合する。
偶然その場に居合わせた同窓生の青年・玉城と知り合った吉乃たちは、やがてみんなで集まって遊ぶ仲になる。
玉城と吉乃のあいだには付かず離れずの不思議な関係性が生まれ、ふたりはメールでやり取りをするようになるが、大学卒業とともに結婚・出産をした吉乃には、大切な夫と子どもがいて……。

〈藤末さん、不倫の話描きませんか?〉
おまけ漫画にあるこの言葉通り、不倫のまんがです!読むまで知らんかったがな。普通の青春ものかと思いきやアラサーもの(?)かつ主婦ものだったとは。
とはいえ、アウトにさしかかるまではわりとゆったり進んでいきます。そもそもアウトになってもローめのアウトで、とくに懲罰もなく、ただ罪悪と呼ばない罪悪のようなものがそこはかとなくただよっている空気。
でもこれでいいの!
表立って波は打たないけれど、心の奥底で静かにくすぶっていくものがある、この感じが藤末さくらワールドなの!!かえってその地味さがリアルだし好きなの。
とくに二十四話の、引き返してくるところはとっても良かったですね。客観的にみればとんでもなく痛い場面なのにたぶん自分でも同じことするだろうなあと思ってしまってかなしい。
あと、この回の玉城くんの「一番に好きなものじゃないから失くなっても大丈夫」という言葉のカス加減も好き。
ラストはどういうことなんだろうと思って何回か読み返しました。
〈いつかは終わる恋よりも/終わりのない関係になりたいの〉
つないでおくということなんだろうなと思うけどそうか…………。このね、モヤッとまではいかないモ……くらいのくすんだ終わりかたが相変わらず藤末ワールドなのでした。でもこういう選択をする人は現実には一番多いのかも知れないし、あえてドラマチックに描かないところがよいと思います。
まあ吉乃さんは環境に恵まれているとは思う。

あいまにはさまれる瑠璃と郡司のエピソードに癒されていました。郡司はオダギリジョーが演じてくれ。
アマゾンレビューではボコボコにされてますが私はわりと好きですこのまんが。読書メーターではわりと好評価でよかった。



〈どうしても今きみに会わなきゃいけないんだ/ねえ/どうしたいとか別にないんだけど〉
DAOKO「ワンルーム・シーサイド・ステップ」

打上花火のイメージが強かったので
こういうCHARAみたいなの歌うんだ!と思ったり

〈全部嘘だけど信じてくれる?〉
DAOKO「BANG!」

この二つの歌は同じ香りがする。あと単純に、読んでた漫画の内容に合ってた。

むかし友達から、「自分は全部が嘘だらけ」って言われたことある。全部が嘘ならそれでもいいから全部うまくつききってくれという気持ち。

最近読んだ漫画


ところで今日は習いごとのお稽古はじめでした。やっぱり楽しいねって感じでした。
年下の子たちがそれなりに年ごろになってきて、少しずつきれいになっていたり大人びてきていることに気づいてそわそわしました。


ねむれまセント

ねむれません
文章もうまくかけません
生活のしかたがわからない
敗北を知りたい(負けっぱなし)

どうぶつの森に出かけてずっとお花を育てている。どうぶつの森でお花を育てて髪を染めて部屋のもよう替えをして、ということを繰り返している。マイネスト。

ねても夢には不安なものばかり出てくる。
起きていてもお花を育ててしまう。
DA PUMP飛んできてくれ。

〈もしも君がひとりなら 迷わず飛んでいくさ/(俺の行く末密かに暗示する人honey!)/もしも誰かといた時は 解けるのかな魔法は〉

DA PUMP『if…』

オレノイクスエヒソカニアンジスルヒトハニ!!で完結するイメージがあるけど、そのあとの部分まで聴くと意外とヘビーっすね。

かなでるダイアリー

日記をここでつけはじめて、なんと五年目に入ってしまった。

私は働きはじめてから本を読まなくなった。学生のころのように一冊を「じっくり」「ひたりながら」「読む」ことができなくなった。本に向き合うことが嫌になった。本のなかには魅力的で理想的に切なくて淋しくていとおしい世界がある。働きはじめて余裕をなくした自分はそのことを許せなくなった。若者と呼ばれなくなっていく。本のなかで主人公たちが出会うなにもかもを自分は手に入れていない。私は本どころではなかったし、本に向き合うガッツがなかった。
それどころか文章も書かなくなった。
Twitterはしていたが、思考を短絡的にツイートとして流すのは、日記のように消したり直したりして書きためていくこととはまた別物だと思っていた。
要は長い文面で自分の気持ちを書きたかった。
そしてここで日記をつけはじめてTwitterをやめたのが二〇十五年。時おり途絶えながらも書いてきて、四年の月日がたってしまった。こんなに続いてしまうとはー。
大きな声では言えないが、このブログサービスが終了すればここのデータはすべて消えてしまうと思う。(調べてみたけどたぶん私の力ではバックアップがとれない)そうすると五年分の私のつれづれは消滅……本当にそれでいいの!?
私は学生時代、とくに思うことがあるときは紙に日記をつけていた。高校生の頃は毎日つけていた。今でもときどき読み返すと……まあまったく忘れていることばかり。でも紙媒体なので形としてはしっかり残っている。
他人にとっては私が日記を残そうが残さまいがどうでもいいと思いますが。でも自分としては残らないのは残らないのでなんだかもったいない。
どうなる私の日記!

さてここからは本の感想です。ただし私のこともまざります。

藤崎彩織『読書間奏文』


小説の『ふたご』が好きだったので読みたくなって買いました。今年はじめての本です。
さおりさんが読んだ本のことを書いているエッセイなのですが、感想メインというよりは、さおりさんの日常や気持ちをまず書いて、それに即した本をそっと置いてくるようなかんじの本の〈間奏〉文です。
エッセイとレビュー、どちらに属するのか難しいですがその日常と本の紹介はんぶんこ、という書きかたがいいなと思います。
あと、さおりさんのバックグラウンドに「音楽」があることが文章を綴る上でも大きな魅力になっていると思います。
私は本を見るときにその本を手に取る人間のほうにも興味を持ちます。
本は本でも、美容師さんが読む本、科学者が読む本、本を読まないひとが読む本、先生が読む本、映画好きなひとが読む本、と、そこにいる人間を見ることで見えてくる本の側面がある。
肩書きを外してもさおりさんの文体は読みやすいのだけど、音楽家という視点で付加される魅力もあるように思いました。ピアノの鍵のエピソードが好きです。
各章の扉が五線譜なのも可愛いね!
セカオワのメンバーも出てくるけどだいたいラブの割合が低いです。(ふたごのときもそう思った)
妊娠のところは読みながら、さおりさんにさくらももこさんの『そういうふうにできている』を読んでほしいなあと思ったり。
さくらももこ
『そういうふうにできている』

子どもが胎内にいると、感情とか環境とかはさておいて、とにかく「そういうふうにできている」ものなんだーって、書かれているのを思い出したんだけど、さおりさんの記述にも似たような文言があったので。

そしてこの本を読んで思い出した本が。
『詩羽のいる街』とかどちゃどちゃ懐かしいね!? 忘れてたよ。
山本弘『詩羽のいる街』

こんなに書いておいてあれなのですが私は詩羽が苦手なんです。
でもいまこの本を読んで自分がどう思うのか知りたいなというのはある。

読んだ本のことを忘れたくない
今日あったことを忘れたくない
思ったことを書きとめていたい

そういうものを私は、やがて消えてしまう時限制の日記帳にぶつけている。忘れたくない気持ちと矛盾していると知っているけど消えてしまうまでが私のつづる日記なのかも。

DAOKO『私的旅行』

今は「ぼくらのネットワーク」を聴いています。

最近読んだ本

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