話題:裁判員制度
大阪市平野区で姉を刺殺したとして殺人罪に問われ、一審で発達障害のため再犯の恐れがあると指摘され、検察側の求刑懲役16年を超す懲役20年の判決を受けた無職大東一広被告(42)の控訴審初公判が29日、大阪高裁で開かれた。弁護側は「障害に無知、無理解で誤り」と一審判決を批判し、刑の減軽を求め、即日結審した。判決は2月26日。
松尾昭一裁判長は、弁護側が請求した精神鑑定は不採用とした。弁護側は公判で「被告が(広汎性発達障害の一種の)アスペルガー症候群であるのは本人の責任ではない。量刑を重くするのは差別だ」と指摘。検察側は量刑に触れなかった。
裁判員裁判が始まってから何時かこんな判決が出るだろうとは思っていた。
裁判員は一般の人間で法曹は素人。その一般の感覚を裁判に取り入れるのが目的だったのだろう。
善良な市民は当然のごとく犯罪を憎む。当たり前の話です。他人を傷つけ、命を奪う権利など誰一人有していない。
犯罪者は当然裁かれなければならない。社会秩序を守る為に!
ただ、私はこの判決を見てどうしても疑念が絶えないのだ。
検察は法曹のプロだ。もちろん判事も弁護士もプロだ。そして、裁判員は一般の人間。
検察は過去の事例などを考え求刑する。それに対して妥当かどうかを判断する。否認事件でなければと…
今回、求刑以上の判決が出された中に裁判員の感情が入っていたのなら、法の下の平等に反する行為だ。
判事と裁判員のやり取りは可視化されていない。判決後に記者会見があるとは言え、真相は藪の中と言える。
障害があるとは言え許されない犯罪を犯したのだ。裁かれるのは当然だ。だが、判決の中に感情による判断がなされていたとしたら、法治主義と言えるのだろうか?
何時もコメントありがとうございます。
確かに納得出来ない判決が多いのは確かです。
逆に外国人犯罪に対して、一般人の感覚を入れたりすると、日本人の場合より軽くなったりする事も、起こりそうな気がします。まだまだ、アジアには反省すべきと考えてる日本人も多いですからね。
私は法治主義とは冷徹に判断する事だと認識してしまいます。
感情は人によって甘くなったり厳しくなってはいけない。
今回は厳しい判決が出ましたが、甘い判決が出る事もあるでしょう。
そう考えると素人参加の裁判員裁判が危うく思えるのです。
しかし、世間には理不尽な判決、求刑がされる裁判も少なくないです。
亀岡の未成年者無免許運転での歩行者死傷事故。
被害者側からの感情がどこまで届いたのでしょうか?
こんな奴らや在日中国朝鮮人の極悪非道な事件には、「感情」を込めて裁く事は決して悪い事では無いと私は思うのです。
何時もコメントありがとうございます。
おっしゃる通りです。
私の懸念もその一点につきます。
もし、判事が量刑以上の判決を下したいと考えたとします。この時、裁判員を誘導し判決を出す事が有り得るでしょう。
そうなると裁判員裁判で出た判決なんだから市民感覚が含まれてるとなります。
裁判員制度、見守る必要があると思います。
素人の意見が聞きたいのなら、何か別にやり方がありそうなものだと思うからです。
第一、海千山千のプロに素人が勝てるわけがない。
例えば、調理の世界でも板前が料理を作っている中にド素人が居ても邪魔なだけで何の役にも立ちません。
人の命や法のやり取りをする裁判に何で何もわからない素人を入れるのか意味がわからない。