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予報外れの雨

りな20歳おめでとー
お祝いに行きたかったよぅ。
大好きだぞ



+×+×+×+×



それは昨日の夜中、1本の電話が原因でした。
明日は日曜だし夜更かししても大丈夫だーって、ブログ書き終えてパソコンやってたら。

久しぶりに聞く着信メロディーが…。

1ヶ月ぶりだからびっくりしちゃって。
ね、結果4時まで話してたわけで。
それからしばらく寝れなくて。



だから今日11時すぎに起きたのです(゚△゚*)

予報では晴れってことだったから、洗濯して〜布団干して〜とか考えてたんだけど。
…雨、みたいなね。
一気にテンション下がるよね。
しかも寝不足だしね。


だから今日、何もしなかった(笑)

ずーっとパソコンしてた気がする。
で、夕方お昼寝しちゃって。
起きたら夜でした。
なんだか1日ムダにした気がします。

まぁでも…いっか



そいえば父の日ですね。
私ちゃんと電話しましたよ。
うちの父、「電話こんな〜」ってずっと言ってたみたい(´∀`)
遅くなってごめんよ。

「いつもありがと」って言ったら照れてた(笑)
てか、照れ隠ししてた。
すぐ母に代わったしね。
ホントは嬉しいくせに〜。



ふぅ…あと45分。

私の病気


日付も変わり、20歳まであと1日になりました。
この20年で忘れられない、忘れることのできない私の病気について振り返ろうと思います。

個人的かつ少しセンチメンタルになるかと思うので、無理に読まなくてもいいですよ(^ω^)



先天性脊柱側弯症(せきちゅうそくわんしょう)

これが私の抱えていた、また抱えている病気です。
難しい名称で、私も中学になるまでは意味がわかりませんでした(笑)

簡単に言うと背骨が曲がってしまう病気です。
ゆるいS字カーブを想像してもらえれば…。
突発性(後天性)のものがほとんどらしいのですが、私は先天性でした。


この病気にかかっているとわかったのは、保育所での健康診断がきっかけでした。
そのとき私はまだ年中さん。
前屈みになったとき、先生が何度も背骨をなぞってたことを覚えてます。

後日、母に連絡がいき病院で検査することになりました。
検査の結果、先天性脊柱側弯症だと告げられました。
レントゲン写真を見たときのショックは今でも覚えてます。
背骨、まっすぐじゃないんだもん。


発見が早かったというのもあり、まずは体操で治療してみようということに。
ほっとくと骨の成長とともに湾曲がひどくなるから、周りの筋肉つけてこれ以上曲がらないようにするのが目的だったみたい。


体操っていってもハードで。
筋肉鍛えるためだから、まじ運動部の基礎練みたいでした。
5種類?1セットで、主に上半身の筋肉鍛えるメニューを朝晩2回。

1番つらかったのは、腕立ての姿勢(頭から足までまっすぐキープ)で足を押さえてもらい、時計の針みたいにグルA腕だけで回る体操。
まだ5歳の女の子がやるにはきつすぎというのがわかってもらえるでしょうか?
泣きながらやってました。
嫌がっては母を困らせてました。


この体操での治療は小3まで続きました。
その間に地元の病院ではもう限界ということで、埼玉(だったかな?)の病院まで通ってました。


大きくなっても体操はつらい。
なんで私だけこんなつらい目にあわなきゃいけないんだ。
ずっとそう思ってました。

嫌になって泣き喚き、その度に両親に「一緒に頑張ろう」と励まされてました。
今思うと、つらかったのは両親も一緒だったんだよね。



小3のとき、富山医科薬科大学の病院に通うことに。
そこで体操治療の限界と言われ、矯正器具(コルセット)で治療することになりました。

このとき私の背骨は10゜以上曲がってたのです。
肩の高さもちがい、歩き方も見た感じおかしくなってました。


矯正器具つくるとき、型をとらなきゃいけなくて。
その間正しい姿勢をキープしなきゃいけないのが大変でした。
私は湾曲にねじれも重なっていて、難しかったみたい。


いざコルセット着けてみるとロボットみたいでね
服の下に装着してるけど、見てすぐ変だってわかるのが嫌だった。
1日中つけてなきゃいけないから、学校行くときも寝るときもずっと一緒でした。
外せたのは唯一お風呂のときだけ。

まだ小学生の私、ホント嫌でした。
着る服も制限されるし、トイレのときは一苦労だし、着替えも保健室でしなきゃいけない。
男子にはからかわれるし、みんなの不思議そうな顔が嫌だった。


耐えられなくて、両親に当たり散らして泣き叫んだのはしょっちゅうでした。
学校行きたくない!コルセットしたくない!
でも普段優しい母が厳しく、普段厳しい父が優しく諭してくれました。

今頑張らなきゃ、このつらい思いを一生しなきゃいけなくなる。
ゆかりよりもっとつらくて悲しい思いをしてる人もいる。
治せるんだから頑張って治そう。

書ききれないくらい、真剣に何度も何度も説得してくれました。
さっきも書いたけど、つらかったのは両親も一緒。
私のために母が泣いてたのも、父が心痛めてたのも、わかってました。

コルセットも成長に合わせて何度も作り変えた。
めちゃくちゃお金かかるのに。
毎年春休み夏休み冬休み、車で1時間以上かかる病院まで通ってくれた。
両親が私のこと本気で考えてくれてるってわかったから、私も頑張れた。



それともう1つ。
5年生のときに転校してきた子も矯正器具つけてたの。
私は胸から腰までだったから服で隠れたけど、その子は首からだったから目立ってて。
色々みんなに言われてるの聞くと、私もつらい気持ちになりました。

その子は私よりもひどくて。
病院でも私よりひどい症状の人いっぱい見た。
だから尚更、弱音吐いちゃいけないって思いました。



そのおかげで中学生になると、昼間はコルセット外していいことに。
本当に嬉しかった。
小さなことだけど、保健室じゃなくてみんなと着替えられることが。


そして中2の夏、コルセット外していいって言われました。
成長もある程度止まり、背骨もほぼまっすぐになったから。
最初のレントゲンと比べて、ホントによくなってて嬉しかった。
今までのつらさや苦しみが吹き飛びました。


中3で病院通いも終わり、それからは普通に生活できるようになりました。
約10年、長かったような短かったような。
でも早く見つけて治療できてよかった。



今でも完璧にまっすぐじゃないし、足の長さも左右ちょっとちがうし。
さらに滑り症っていう、尾てい骨の2,3コ上の骨がずれてるのもあって。
これはいつか手術しないといけないって言われたんだけど。


でも周りから奇異の目で見られない、普通の人と変わらない外見になってホントよかった
あのとき頑張った自分を褒めたい。
そして、1番両親に感謝してる。

大きくなったとき、この病気のことで負い目感じないように。
治せるなら治してやりたい。
特に女の子だからって。
心を鬼にして、お金と時間をかけて私と私の病気に向かってくれた両親には、ホント感謝してもしきれない。



私が今こうして普通に生活できてるのは、この過去があったから。
今にして思うと私の病気は軽いほうで。
命に関わらなかったし、手術もしなかったし、コルセットしてたけど自由に動けたし。
あのとき自分だけが不幸だと思ってたことが恥ずかしい。


この事実を忘れないで、今の自分の外見に感謝して、20歳を迎えたいなって思います。



長いし個人的なことなのに、読んでくれてありがとう(*´`*)
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