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おばあちゃん


昨日の夜中、ひいおばあちゃんが息を引き取りました。



父方のおじいちゃんのお母さんで、年は90歳くらいになっていました。

私が小さい頃から家事をするような元気さはありませんでしたが、それでも手先の器用さから色々なものを作ってくれたりしました。


おばあちゃんの家に行くと、いつも玄関に近いコタツのある居間で私達を待っていてくれていました。

みかんを食べたり、お菓子を食べたり、そこまで何かの話をする訳で無く、それでもおばあちゃんの側は居心地が良いものでした。




昨日の昼前、お母さんから「おばあちゃんがもう危ないらしい」と電話がありました。

急いで家に帰り、昨日の夕方におばあちゃんのお見舞いへ行きました。



うっすらと開かれた瞳は濁っていて、瞬きが出来ないために乾いていました。身体は前よりも痩せていて、体温調節が出来ず握った手は微熱で暖かく以前のようには握り返してくれませんでした。


繋がれているのは酸素を送る機械と、心臓の機能を計測する機械のみ。


尿の排泄が出来なくなっているおばあちゃんに、点滴は出来ないんだそうです。




つまり、もう、死を待つだけの状態でした。




おばあちゃんは、肺ガンだそうです。

今日だけで三回も発作を繰り返し、それでも生きていてくれました。もしかしたら、待っていてくれたのかもしれません。


ぜいぜいと口とかすかに胸が動く程度の、苦しそうな呼吸を繰り返していました。もう肺の4分の1しか、機能が残っていないらしいと聞きました。



もうかなり前、おばあちゃんが入院して、お見舞いに行く度症状は悪化していきました。記憶が混同し、息子であるおじいちゃんや孫のお父さん、もちろん私も誰だかわかっていない様子でした。


おじいちゃんやお父さんが「ばあさん、孫の**(本名)だよ。わかる?」と聞いても「わからない」と言われたときは泣きそうになりました。

でも、おばあちゃんは孫のことがわからないということに、「ごめんね」と泣いていました。


一番苦しいのはおばあちゃんなのに、おばあちゃんは私達を気にかけてくれました。



そんなおばあちゃんが、昨日…やっと、楽になれました。


ただ苦しそうに息をしていたおばあちゃんが、ゆっくり眠れるようになったのだと思うと少しほっとしました。

寂しさはありません。



まだ、実感出来ていないからなのでしょう。
おばあちゃんが眠る姿を、私はまだ見ていません。


ただ、後悔ばかりが頭をぐるぐるしています。



もっと会いに行けばよかった。
もっと話をすればよかった。
もっと一緒にいればよかった。

もっと、もっと…たくさん出来ることが、あったはずなのになあ、と。





お葬式は、明日にでも行われるそうです。



泣かない自信はありません。
今も泣いてしまっているくらいですから、きっと大泣きしてしまうかもしれません。

けれど葬儀中は、なるべく泣かないようにしようと思います。


優しいおばあちゃんのことですから、孫の泣く姿を見たいとは思わないでしょう。

おばあちゃんが安らかに眠れるように、私は努力をしてみようと思います。




…多分、泣いちゃうんでしょうけど、がんばります。





おばあちゃん。

なかなか会いに行かない孫でごめんね。
おばあちゃんのくれた時計、無くしちゃってごめんね。不謹慎だけど、最後の贈り物かもしれないって大切にしてたんだけどなあ。また、探してみるね。

発作、苦しいのに頑張ってくれてありがとう。
最後に暖かいおばあちゃんの手を握れた私は幸せものだね。

おじいちゃん、おばあちゃんのこと心配しすぎて寝不足だったよ。弟さんも、すごく心配そうだった。

おばあちゃんはみんなに愛されてたんだね。私も大好き。



ひいおじいちゃんを見たことはないけど、久しぶりに会うだろうからお土産話たくさん聞かせてあげてね。


たまには、孫のことも思い出してね。

















みよこばあちゃん、


おやすみなさい
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