話題:創作小説
雨が降っている。
雨粒が幾つもの筋を残し流れていく窓の向こうに見える空には、どんよりとした分厚い雲が掛かっている。
何となく薄明るい雲を見るに、今は昼なのだろうか。昼夜問わず薄暗い所為か、時間の感覚も少し狂っているように感じる。最後に青空を見たのはいつだったろう。
『終末には雨が降る』
数年程前から世界中で降り続けている雨は大地を浸食し、今もじわりじわりと飲み込みつつある。
海や川は拡がり続け、山は抱えきれなくなった雨水ごと大量の土砂を吐き出し、人の居場所は徐々に狭められていった。
初期の頃は世界中の学者や各国のリーダーが話し合い、この事態をどうにか乗り越えようと試行錯誤したが、有効な解決策が見付からないまま今に至る。
早い段階で人の手には負えない事態である事を察した裕福な者や、国の有力者は陸を捨てると船で脱出してしまった。
さっさとこの水禍を逃れ、多くの人々からバッシングを浴びせられた彼らだったが、その後の消息は掴めていないらしい。
報道ドローンが及ばないほど遠くへ流されたか、或いは時化続ける波に飲まれてしまったのか…彼らはきっと生きてはいないだろうし、生きていたとしても死ぬより苦しい思いをしているだろう。というか、そうであってほしい。
ノアの方舟という神話があるが、彼らがノアだとは思いたくもない。
話が逸れたが、陸に残された人々は水の浸食が及んでいない内陸へと居住地を移したが、あっという間に追い付かれ壊滅的被害を受けた。と言うよりは、滅んでしまったと言った方が正しいだろうか、そんな末路を辿ってしまった国も少なくはない。
海抜の低い国や、地盤の脆弱な国から順繰りに世界地図から姿を消した。
私が生まれたこの国も最後まで足掻いたもののどうにか出来るわけもなく、各国の例に漏れず滅ぶのをただ待っている。
かつては天空の城と持て囃されたこのタワーマンションも、9割程が水の底に沈み、窓から降り頻る雨粒に波打つ濁った水面が迫っているのが、よく見えるようになっていた。
暫く前まで高層ビルやマンションの姿も周囲に多くあったが、一部を除いて視界から消え去っている。随分と水位が増したようだ。
ふと、つけっぱなしになっているテレビに目をやると、重厚な造りの鉄橋と煉瓦造りの分厚い塀が、黒く染まった水の壁に押し潰され、砕けて流れされる様が映されていた。
スピーカーからは耳を塞ぎたくなる程の轟音が響くと同時に、瓦礫と水の混合液にドローンが飲み込まれると映像が途切れ、顔色の悪いニュースキャスターがポツリと残る簡素なスタジオの映像に切り替わった。
キャスターによると、リアルタイムで撮影された映像の国は先進国で最も海抜が高い国だそうだ。
つまり今し方の映像は、その国が壊滅する瞬間を捉えたもの。
最後まで残っていた世界の主要たる国が壊滅し、様々な知識や技術が水底に沈んだ今、たとえ人類が少数ながら生き残ったとしても文明が再興する望みは薄いだろう。
残念!お気の毒ですが、文明の再興は不可能になってしまいました!
テレビから聞こえるハッキリとしつつもトーンの低いキャスターの声をかき消すように、思ったままの事を敢えて明るく声に出すと、私は再び窓の外に目をやった。
灰色の空からは、相変わらずシトシトと無数の雨粒が降り注いでいる。
『止まない雨はない』という言葉があるが、止まない雨もあったじゃないか。
聞かせる相手の居ない言葉を独り言ちると、ただただ乾いた笑いが漏れた。
近い未来、此処も降り頻る雨によって沈む日が来る。
それが明日になるか、明後日になるかは分からないが、その時は確実に訪れる筈だ。
緩やかに迫り来る最期の日を想いつつ、最後にもう一度、青空を眺めたかったとか、また陽射しの暖かさを感じたかったと考えると、それ以上の思考を停止した。