たしにとっては…突然な人

――柊あおい「桔梗の咲く頃」


〈両手いっぱいの/花束のような人〉


夢をみて、博物館と美術館が一緒になったような〈館〉を訪れていた。地下深く何層にもめぐらされた館の中をどんどんと下に降りていくのは楽しくても、どこにも出口が見当たらなくて、けど足は感情と関係なく階段をくだり続ける……という夢。
出口に着けないのは良しとしても、出口がないのは嫌なんだなと目が覚めたあとから思った。

暮らしの中で「今のをもう一度してほしい」と他者に対して感じる瞬間がたまにあって、真面目な人が信じられないくらい面白いことを一瞬言ったとか、顔のきれいな女の子に名前を呼ばれて振り向いたら「呼んだだけです」とはぐらかされたこととか、ものまねを見てしまったときなど、一概にはまとめられないけどレアケースの何かが唐突に起こったとき、もう一度それを見て確かめたくなる。
もう一度びっくりしたいし驚かせてほしいしそこにいたった経緯や背景をもっと知りたい。

けど二回体験できることはほとんど無いんだな。

そういうあれがこの前あって、それをもう一度聞きたいなと思っている。
そういうときにたまたま読み返した漫画です。

「桔梗の咲く頃」は中編読みきりで『耳をすませば 幸せな時間』に収録されています。電子書籍版もあるみたいですね。




自宅の庭先で桔梗を見つめていた女の子に、主人公の男の子が桔梗を切って渡すところから物語は始まります。
ふたりはその出来事をきっかけに話すようになり、距離を縮めていくのだけれど、恋を意識しはじめると遠ざかってしまって……というお話。

はじめに引用しているのは、女の子が友達からの、でもぶっちゃけ彼のことどう思ってるの?という質問に答える場面の台詞です。
いいですね。好きとかイヤとかであらわさないのがいいと思う。明らかに積載量オーバーのロマンが言葉からどばどば溢れているのも、大正義のりぼんっぽくていいです。

私が日常の中で誰かにもう一度してほしいと思うことも、花束とまではいかなくても突然みつけた花のようなものなのだと思う。今日のポエムがでました。

あれをもう一回聞きたい、ってヤマシタトモコの漫画にもあった。

私はこの漫画でいうあれ(もう一度聞きたい言葉)とまったく同じ言葉を現実で聞いたことがありますが……発言したのは私の父です(おい


「まだ血が止まらないの?」

あるところを怪我していて、その傷跡を見た人から言われたこと。
この言葉をまた聞きたい、とは思わなかった。
この前、デリカシーの有る無しってなんなんだろうと考える出来事があったけれど、その有無はその行動主体によっても変わるんだろうなと感じました。私、性格悪いかな。

言葉の良し悪しとは別で、その人だからしてくれてよいこととしてほしくないことが、決定されることはある。マイナスもマイナスだとプラスになって、プラスでもマイナスだと……だめだ性格悪い。

予想外の、例えば出口がまったく検討もつかないようなところに壁を突き破って出てくるような、そういう明るいびっくりならもっとあっていい。