文とまではいかないけれど大切にしている言葉がある。

今日は仕事に行きたくなかった。行けば普通に過ごせるとわかっていても行くまでの気持ちが重いのだ。
そんなところに夢を見て、顔はAの容貌をしているけれど設定はB……というBが現れる。起きたあとは心が曇った。夢が深層心理につながっているとしたらそれは今の私をさらに弱くさせるような夢だった。しかもBはキーパーソンなのにAの顔をしていて、こうして書いている今でもBの顔がはっきりと思い出せない。自身を弱くさせるものを自分で思い出すことができない。


到着してもまだ気持ちが乗らなくて、呪文ではないけれど普段は大切にしまってある言葉をとりだしてから職場に向かった。これでやっとスタートのところまで話が戻る。

わかっていたことで、行けばやっぱり普通に時は流れてつつがなく、雨どころか雷でも鳴ってしまうんじゃないかと噂するほどスムーズに、今日の作業は進行した。いつもこうならもっと楽しいのにとさえ思ったりする。
ただそんな期待も、しかたなしに取り出してしまった大切な言葉も、実は私の力の源などではなくて、私の中に隠している甘えだと思っている。そんな甘えを夢の中からぶつけられるまで気づかない。

そしてわざわざ書き残す、これも甘えのうち。と書くこれも。きりがない。

先日「甘い約束」という言葉が出てくる歌を聴いて、甘い約束とはどんなものかと思いをめぐらせたことがもしかすると一連のきっかけなのかもしれない。
明日の仕事が終わったら甘いフラッペを食べようと思っていて、目下それが甘い約束でしょうか。



ただまひろ
『クレープ屋で働く私のどうでもいい話』

人のもつおもしろさは、きちんと見ていると誰にでも何個でも見つけられるものだと思っている。でも、人とちゃんと関わっているときにしかきっとわからない。知るために向き合わなくてもいいけど、知るためには関わりつづけなければいけない。
私を今の生活にひきとめるものは、このクレープ屋さんが綴っているような発見のある毎日だ。それを失ってしまうことは、日常のきらめき的にはあまりに大きなリスクになる。(出たぞ今日のポエムが!)

出来事をきちんと書き留めておきたいし、わかってくれたらもっと嬉しい。でも何にも書き留めない私にもなりたい。
この煮えきらない感じを叩いてやりたい。
言葉を書きだすことでバランスをとっている時期と、言葉にしないことでバランスをとっている時期とがあって、今は後者のような気がします。思っていることをどうやって書きあらわしたらいいのかわからない。


のぶみ『ママのスマホになりたい』

こういうのはあれですね
子どもが親からの愛を求めるというのはあれです。読んでいてあーって切なくなるので苦手です。私が苦手なだけであって絵本としてはとても良かったです。かんたろうが可愛い。(完)


天才バンド『アリスとテレス』

CMの歌をきいていーなーと思って手に取ったら「琴平電鉄」という超マイナーなうたがあってドキドキしました。ことでん、歌になるとこういうイメージなのかー。


夏になると一巻を読みたくなる。香川で夏休み満喫しちゃってるよーという台詞が好きです。
読んでいるとこの人は私と同じ風景を知っている人なんだと思わされる。ことでんも出てくるよ。