話題:歴史
前回に続き歴史記事です。しかも、以前やった主観で対決の第2回です。最近、歴史記事をやると勝手にシリーズ化しています。(汗)
今回は裏切り者対決です。
エントリーナンバー1
小早川秀秋
あの関ヶ原で三成率いる西軍を裏切り、家康天下の立役者と言えます。その後はほとんどノイローゼとなり、若くして死去。ある意味、似合いの末路ですね。
エントリーナンバー2
明智光秀
株式会社 織田カンパニーの出世頭として活躍するも、一時の気の迷いでクーデター決行。信長を倒すことは出来ましたが、新進気鋭のライバル秀吉に討伐され僅か7日の天下で終わりました。裏切りをしたとは言え、雌雄を決する戦いが出来たのは武士として本望?
エントリーナンバー3
小山田信茂
ボロボロ状態の武田勝頼に自分の城に来るように勧誘。しかし、この時既に信長に寝返っており、近づく勝頼を襲撃。最早これまでと勝頼は自刃。裏切り者だらけの武田家臣団を代表してのエントリー。
最期は信長に拝謁もならずに処刑。
エントリーナンバー4
前田利家
賤ヶ岳の合戦において柴田勝家軍として参戦。ところが、勝手に退却をします。これが原因で勝家方は秀吉軍にやぶれ、やむなく北ノ庄城に退却。天晴れな最期を遂げます。
退却の途中に利家と会った勝家は一言の恨み言さえ残さずに、なんと利家を激励!器の大きさを見せました。
その後、秀吉に仕え5大老に就任。加賀100石の礎を築きました。
以上4名がエントリーしました。
私の主観では先ずは光秀が落選。気の迷いとは言え自分で天下を狙っての敗北。そんなに悪くないでしょう。
続いて小早川秀秋も落選ですね。朝鮮出兵の際、三成は配慮が無さすぎ!恨まれても仕方ありません。
決勝は小山田信茂対前田利家。
ボロボロの勝頼にとどめを刺す卑劣さも許せませんが、最期は哀れ!それに比べると何故か評価の高い利家。
個人的にはこんな裏切り者が高評価を受けるなど許せません。よって、戦国一の裏切り者に前田利家を認定したいと思います。
もちろん、これは私ひっけらーの独断と偏見です。
皆さんはどう思われますか?
何時もコメントありがとうございます。&返しが遅くなり申し訳ありません。
あまりに加賀100石が注目され、賤ヶ岳での無断撤退が忘れられているので、主観による裏切り者No1にしました。
小早川秀秋の場合は養子に出されたり、朝鮮出兵での冷遇など、伏線もありました。ここにも三成が絡んで来るのですが.....
三成は優秀な官僚であって将の器ではないんですよね。やはり、タヌキジシイには適わないのも必然です。
現在の政治家は理念や理想よりもいかに権力を得るかが大切な輩ばかり。
良くも悪くも豪腕が減りましたね。
何時もコメントありがとうございます。&返しが遅くなり申し訳ありません。
世渡り上手な生き方が出来ると楽なんでしょうね。私も納得出来なければ戦うタイプなので、損ばかりしてる気がします。
特に同僚上司の横暴が一番許せないタイプです。
戦国に裏切りは付き物ですからね。仕方ない部分は有りますが、良い感情は生まれませんね。
小早川は、19才でしたからね。
自分自身も最後まで迷ってたんでしょうね。
石田三成は、リーダーとしたら失格らしいですね。
恫喝して、部下を押さえつけるタイプ。
ホトトギス鳴くまで待つ人に、唆される気持ち分からんでもないですよ。
今の日本の政治家でも言えるんでは?
付く人にコロコロ寝返って、出世する人いますよ。
最初は左翼政党と連立組んでたが、いつの間にか自民党と組み、大臣も出した公明党なんて、世渡り上手いのか?
私はイソップ童話から、公明党を蝙蝠党と揶揄してますが(笑)
はっきり言って個人的にはキライなタイプです。
ただ単に自分が要領が悪いからそう感じるだけかもしれませんが(苦笑)
何時もコメントありがとうございます。
穴山梅雪は武田家臣団予選で決勝まで残りましたが、敗れてしまいました。やはり、武田軍団崩壊のきっかけを作った事と、とどめを差したと言う点を比べるとどうしても小山田の勝ちとなり.....((笑))
戦国の世に裏切りは付き物ですね。だからこそ忠君と呼ばれる人間が輝くのでしょうね。
あれ?
エントリーされてない?(汗)
松永弾正もお忘れなく(笑)
まあ、裏切りも彼らなりの生き方だったんでしょうが、確かに評判は悪いですよね。
それだけ、武士道には「忠義」が美徳と言う事の裏返しなんでしょうか?
細川幽斎なんかも、利家みたいにノラリクラリと生き延びてますからね。
一寸先は闇の下剋上の戦国乱世は、生きるのが辛い時代ですよね……