話題:歴史
戦国時代の毛利家、外交を担当する怪僧がいました。
安国寺恵瓊。
安芸武田の血をひき、毛利に滅ぼされた後出家。成人して毛利の外交を担当する僧となります。
備中高松城の攻防戦において秀吉との和睦に奔走。その縁で秀吉政権下では僧侶でありながら、大名となりました。
関ヶ原では毛利輝元を総大将に担ぎ出す事に成功しますが、吉川広家の邪魔だてによって参戦出来ずに、六条河原で斬首となりました。
信長の滅亡を予見したとも言われている恵瓊。他人の最後は予測出来ても、己の最後は解らなかったのかもしれません。
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戦国時代には顕如なども活躍した僧侶ですね。
恵瓊はやはりその先を見通す目は素晴らしいの一言でしょう。ただし、自分の運命だけは.....ですね。
今川の名軍師と言えば雪斉和尚ですよ。お忘れなきように(笑)
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せっかく読んでくれたのなら、少しだけでも興味を持ってもらえると嬉しいです。
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確かに吉川広家からすれば面白くない話ですね。
大名として取り立てられる程に秀吉からの信頼が厚かったのでしょう。
戦国には「名脇役」とも言えるような僧侶がけっこう居ますよね。
「火もまた涼し」の人や、今川の軍師とか←名前をいちいち忘れてるΣ(ノд<)
何のこっちゃわからんし
まったく興味もござらん
でも、恵瓊が本当に大名になったのか?という謎もあるようですが…
何時もコメントありがとうございます。
大名から僧侶になった話ならばそれなりに聞くのだすが、逆はこの人だけでしょうね。
この前の光秀の書簡の件もありますから、新たなる発見に期待したいですね。
結局、天下統一のための犠牲(邪魔者?)と、なったのでしょう。色々な文献は残ってますが、真実は分かりません。
日本初の内戦ですからね。
史実をひっくり返すような文献が、見つかると面白いでしょうね。