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約束ごとのように。

今日、ああこれは冬の空だなあと思った。もう十月も終わるのか。早い。怖いくらいに。

ここにはいつも恥ずかしいことしか書いてないけど、殊更そうなので、下げます。

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今度こそ目覚めたりしない。

早くも、明後日から本番です。
今回は稽古場公演だから小屋入りも無いし、尺も短いから体力的に死にそうということはなく、精神的にはとても楽しい。またもや舞台上に役の子は居ません。かと言って今回は私も居ません。
面子的に最初は多少やりづらさを感じたけど、いまは本当に楽しい。ああもうずっと芝居してたい。次の舞台、という言葉無しに生きていける気がしない。きっと生きていけてしまうのだけど、その事実が悲しい。とても。いやだと思う。


勉強の方も少し見通しが立ってきました。古代ギリシアだと思っていたら、むしろ現代でした。みたいな。
現代やるなら特に、早くすべてを体系的に浚わなければ話にならない。流れと基本だけでいい、やっとこの学部での勉強の仕方がわかった。早く専門を定めなければ。時間がない。
誰がどんな思想を打ち立てた、なんてどうでもよくて、いや決してよくないんだけど、大事なのはそこから先。このままのやり方じゃ何もできないまま追い出されてしまう。一般教養に留めず専攻にまでした意味がない。気付くのが遅い。
しかし哲学書は高い。教科書買うにも死ぬ思いだ。


本番、楽しみだな。
やっぱり、主宰の下で芝居してるときが最も幸福です。たぶん恋のように、私はこの主宰が好きです。大好きです。
あの舞台からもう四ヶ月とか信じられない。上手く言えないけど、あれは私にとって大きな分かれ道だった。きっとずっと先に、あの舞台に立っていなかったら違った人生があった、と口にするのだと思う。良いとか悪いとかではなく。

いつかあの舞台を越えたいな。願わくは、あの三人で。
私のさいごが主宰の与えてくれた名の下で、はじまりのあの三人だったらいいのに。そうしたら、ほんとうに幸福なのに。
身の程知らずな、ただの願望なのだけど。

叶わない夢、を。

九月は終わりました。
なんだか不思議な感覚でした。役者だけど、そして与えられた役の子を愛せたけど、やっぱりあれは私の舞台ではなかった。見守る立場、というのがいちばん近い気がする。作演と新人たちのキラキラした世界を、外から見守っていた感じ。
なんにせよ、同期に非常に助けられた舞台でした。彼女が舞監だから、あいつが役者として裏に居たから、あいつが卓に居たから、みんながキャパで見守っていてくれたから、あの人が小屋の外で待っていてくれたから、強く進めた。
そして自分の中で、六月の主宰の存在があまりに大きいことを思い知らされて、少し笑えた。今回あいつは演出補だったけど、私にとっての演出は作演ではなく主宰だった。それが良いとか悪いとかは置いといて。
この先、何人の演出に出会えるかはわからないけれど。でもきっと、あいつ以上に私が信頼する演出は居ない。

その主宰の下で、十月は稽古場公演やります。
しあわせです。しあわせすぎて、いましにたい。
でも少し、寂しくもあるのです。
これは本当に、本当にわがままで履き違えた願望なのだけど。
いつかまた、六月の三人だけで芝居ができたらいいな。また、いつか。

君は君を勝ち取るんだ。

明日から本番です。
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本当は誰かに言いたい

ただの弱音です。

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