『お題バトン』
●指定した三つの単語を使って小説を書くお題バトンです。
●小説ではなく詩でもOK
●表現できるならイラストでもOK
●一次でも二次でもNLでもBLでもOK
●更新頻度は自由。毎日ひとつずつで一週間。

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B隠し事/本/距離(土さち)





図書館を入って、向かって左奥の壁沿いにある本棚。その下から二段目の左端に古びた本があった。マイナーな西洋歌人の詩集らしく、古いながらも傷の少ないハードカバーから暫く誰にも読まれていないことが窺える。背表紙の裏側に付けられた貸し出しカードにも、誰一人の名前も書かれていなかった。
自分でも何故そんな本を手に取ったのか分からないが、何となく目について、気になって、気付けば腕を伸ばしていた。
その場で体を反転させ、本棚に背をもたれながら本をパラパラと捲る。するとあるページから何かが滑り落ちた。
腰を折って足元の落下物を拾い上げると、それは藤色の折り紙で折られた可愛らしいネコだった。黒のボールペンでクリッとした目と猫口が描かれている。紙質からしてごく最近挟まれたもののようだ。
そのネコの背中側を見ると、そこには女の小さな字で一言――




“あなたはだれ?”











それから一週間後の放課後、委員会もないので再びぶらりと図書館を訪れた。
適当に本棚を巡り、気になった本を手に取っては元の場所に戻していた。要は読書意欲を駆られるような本がなかったのだ。
そんな折り、ふと先週手にした詩集の事を思い出した。例の本棚がある場所に行き、左端の下から二段目を覗き見る。

――あった。

やはり誰にも貸し出されることなく、先週自分が戻したのと同じ格好で収まっていた。
ハードカバーの本を手に取り、この間のページを開いてみる。

実は先週、『あなたはだれ?』のネコに対し、面白半分で返事を書いておいたのだ。普段ならそんな面倒なことは絶対しないし、気にもかけず無視してしまうのだが、この本を手に取ったのと同様、本当にただの気紛れからくる行動だったのだろう。
ルーズリーフの切れ端にペンで『3-Z』とだけ走り書きしておいた。

開いたページの間には、自分が挟んだ切れ端がそのままの状態で残っていた。一瞬どこぞの生徒のおふざけに踊らされたかと思ったが、紙をよく見ると『3-Z』の文字の下に同じ女の文字で『私も』と書き添えてあった。

それから俺と名前も知らない誰かとの、奇妙なやり取りが始まった。

最初は一言他愛ない言葉の交換をしているだけで、放課後の単なる暇潰し感覚でやっていた。しかし頻度が一週間から5日おき、更に3日おきになる頃には、次第に自分の中で「相手が誰なのか知りたい」という気持ちが芽生えてきた。
分かっているのは自分と同じ3Zの生徒だという事だけ。性別も――文字から推し量って勝手に女だと決め付けているが――今の所確証はない。
だが一応自分も男なので、もし相手が女っぽい字体の男だったら正直に言ってかなり凹む。場合によっては数週間も男同士でこんなやり取りをしていた事になり、とてつもなく気色悪い展開になる。
そんなこともあって、最近クラスメートの放課後の動きが気になっていた。
最後に自分が向こうからの手紙を確認したのは3日前。しかしまだ俺からの返事は挟んでいなかった。恐らく今日明日には誰かがあの本に近付き、俺からの返事を確認するに違いない。そう踏んで、授業が終わると早々に図書館へと向かった。


この学校では、言っちゃ悪いが放課後まで図書館に籠もって読書や勉強をしようなどと考える真面目な生徒は稀だ。だからいつも4時半を過ぎると室内は閑散としている。
俺はズボンのポケットに紙切れを入れ、人の気配がない図書館の例の本棚に向かった。
すると、誰もいないと思っていたが、本棚の影に人が動いたのが見えた。先を進んでいたそれは、自分が向かっていたのと同じ本棚の前で止まる。
藤色の真っ直ぐな長い髪と、セーラー服の後ろ姿。それは自分が記憶しているある人物の姿に合致していた。

――ネコの主が分かって、不覚にも俺は胸を高鳴らせていた。普段あまり感じる事のないドクドクと期待で脈打つ鼓動に、無意識の内に表情も緩んでしまう。

その理由は、自分自身でよく理解していた。

女は本棚の前で身を屈めると、下から二段目の左端に収まっていたあの本を手に取った。そしてページをパラパラと捲り、本を静かに閉じて溜め息をついた。恐らく返事が挟まれていなかったことに気落ちしたのだろう。
俺は思わずその背中に声をかけた。


「手紙、待ってるのか?」

瞬間、女の肩がピクリと震えた。
その背に更に続けた。

「俺からの返事、待ってたのか?」

すると今度は驚きとは違う――恐らく笑っているのであろう、肩が小刻みに震え始めた。そして徐にこちらへと振り返った。
振り返った女は詩集を両手で持ち、それで顔を隠していた。


「…“あなたはだれ?”」

ふふ、っと言葉遊びを楽しむように言う女に、俺も釣られて返した。


「“3-Z”」
「“私も”」
「“この本が好きか?”」
「“ただ気になって見てみただけ”」

言葉を交わす内に、一歩、また一歩、と二人の距離は近付いてゆく。

「“こんな事に付き合ってくれるなんて暇なのね”」
「“それはお前も同じだろ”」
「“でも楽しいわ”」


そこで会話が途切れる。俺は制服のポケットから、今日挟むつもりだった紙切れを出した。

「俺も」

言いながら女の顔を隠している本に手をかけ、ゆっくりとそれを下ろした。

「猿飛あやめ」

次いで猿飛の手にあった本を取り、いつものページに紙切れを挟んで返した。


「この本を手に取る人が居るとは思わなかったわ。しかもネコに答えてくれる人がまさかいるなんて。それも相手が土方くん」

くすくす笑うと、薄紫の髪が流水のように揺れる。夕焼けの光に反射するそれを、とても綺麗だと思った。
こうして改めて向き合ってみても、まだ少し現実に戸惑っている自分がいる。まさか手紙の主が、猿飛あやめ――実は前から少し気になっていた相手だったとは。
でも、戸惑いながらもそれに勝る嬉しさを感じているのが正直な所だった。


「…相手がお前でよかった」

思わず口をついて出てきた無意識の本音に、言った自分でもハッと焦ってしまった。それは猿飛も同様で、すぐに反応して「え?」と顔を上げた。
近距離で目が合うと何だか無性に気恥ずかしくて、咄嗟に顔を逸らしてしまった。もしかしたら顔が赤いかもしれないが、夕焼けのせいにならないだろうか。


「…私は、あなたの事を好きにはならないけど、とても愛しいと感じるわ」


その時、ポツリと小さな声が耳に届いた。
ドキリとして振り向いた俺に、猿飛は「ううん」と首を振って詩集の中の一節――手紙のやり取りをしていたページだ――を示してみせた。


「一度言ってみたかったの」


そう言って悪戯に舌を出してみせた彼女は、普段の玲瓏で利発なイメージとは異なり、まるで純粋無垢な少女のようで。
じんわりと甘い痛みが胸に広がってゆき、柔らかく心を締め付けた。

(あぁ…こりゃ、やべぇな…)

猿飛の言動一つ一つが俺の気持ちを確信へ