右下顎の親知らずが反抗期なんですけど。めっちゃ痛い。というか痛痒い感じ。いっそ抜いてしまいたいが、抜いたら腫れそうだしなんかもうめんどくさいし。…というのを去年の夏くらいにも思った。コイツ年1ペースで反抗期くるんだけど。なにコイツ。そういうお年頃かよ。ちったァ大人になりなさいよ。みんな不満くらいあるもんなの。色々納得いかないことばっかなの。でも何とか自分の気持ちに折り合いつけて穏便にやってるわけ。なのにお前、なに人の右下顎でイキってるわけ?そんな狭い世界で何と戦ってるんだよ。そんなんじゃ毎日お前の頭をどついてくる右上顎第3大臼歯は倒せないよ。お前のやり方で倒せるのはお前自身が根を張る私だけだからね。私が痛がって腹立ってお前を歯医者で根こそぎファキナウェイするだけだからね。お前には何のメリットもないから。私にもメリットないから。お互い良いとこなしだから。もうやめよう、毎年毎年こんな不毛な争い事をするのは。私はもう(めんどくさいから)お前を歯医者でファキナウェイしない。だからお前も私に対してファキナウェイかますな。あ、あとお前を毎日どついてくる右上顎第3大臼歯にファキナウェイするのもやめてね。結局最終的に良いとこなしなの私だけだから。歯医者でファキナウェイされるの結局私だから。


さて、映画公開から1週間経ちますが、未だに熱が冷めやらなくって困りますw
拙宅に来て下さる方も、もう殆どの方は1度は観に行かれたのではないかな…?と思うのですがどうでしょう…(´・ω・`)

本当はネタバレガッツリの銀さち感想も書きたいですが、もしかしたらまだ観ていない方も居るかもしれないので…一応ちょーっとだけネタバレ含みますが、できるだけ内容を暈して銀さち語りをしようと思います。
もしちょっとでも内容に触れる記事は絶対嫌だという方が居ましたら、ここでバックしてください。



あと…応他CPに触れる内容も含んでますので、そういうのが苦手な方もバックをお願いします。
ただ少数派マイナーカプだと何かこう追いやられる感が半端なくて(´・ω・`)

ここでちょっと発散させてくださいw






伏せてもしゃーないんで敢えて書きますが…私の周りには何人かNLだと銀妙派な友達がいるのですが、みんな「今回ので決定したね」とか言ってるんですよねー。それで銀さち否定なんかされた日にゃアもうね、苦笑で流せた私を誰か誉めて…orz
でもぶっちゃけ今回の映画によって、全く逆の方向で決定したんじゃないかなぁと思ったり…。


あ、ここからちょっと銀さちから離れた個人的な意見を書いていくので、嫌な方は3スクロールくらいで飛ばしてくださいw


まず前回の記事で「銀さんとお妙さんは信頼できる仲間・もしくは兄妹みたいだ」と感じた理由なんですが、その一つに病室でお妙さんの手に手を重ねたシーンがあります。
あのシーンでは差し出されたお妙さんの手に銀さんがまず手を重ね、次に間髪入れずに新八・神楽が手を重ねていました。これはどういう意味か。

今までに空知先生は病床に着く女性の場面を何回か描いています。
まずミツバ編の時。互いに明確な恋愛感情を持っていたミツバさんと土方さんですが、ここでのポイントは“姉弟である総悟と土方の関係性がちゃんと別個に描かれているということ。ミツバさん最期の場面でも、「総悟とミツバさん」「土方とミツバさん」の感情がちゃんと別々に描かれており、家族感情と恋愛感情が空知先生の中でしっかり別々のものとして書き分けされているということが分かります。

次にメギネ編のさっちゃんが病院で臥せっている場面。ここでは銀さん・新八・神楽、そして全蔵の3人が見舞いにやって来たシーンが描かれています。ここでのポイントは“さっちゃんに触れたのが銀さんだけ”ということ。さっちゃんが銀さんに対して明確な恋愛感情を示していて、それは銀さんは勿論、他の3人も分かっています。だからこそ、敢えて銀さん以外の3人がさっちゃんに触れること―――さっちゃんのパーソナルスペースに踏み込ませなかった。その証拠に、空知先生は本来位置的に居るはずの新八・神楽を敢えて一度画面から消し銀さんとさっちゃん二人だけの場面を切り取っています。それは空知先生の中で、「銀さんとさっちゃん」の関係は「新八・神楽・全蔵とさっちゃん」の関係とはまた別だ、という証拠に他なりません。

それを踏まえて今回の映画での場面ですが、もし皆さんが同じ状況にあった時―――病の床に臥せった兄弟の元に、例えば恋人関係にある人が見舞いに来て二人が手を重ねたらどうしますか?そこに自分も一緒に手を重ねに行きますか?多分大多数の人が空気を読んで手を重ねた二人を見守ると思います。では別パターンとして、もし病の床に臥せったのが友達や兄弟だったならば。自分以外の友達もしくは他の兄弟が手を重ねたなら、この場合なら「自分も手を重ねに行く」という方も多いと思います。

つまり「そういうこと」です。

もし銀さんとお妙さんの間に恋愛感情などというものがあるのなら、一番身近な新八・神楽が気付かぬ筈がなく、例え気付かなくとも迷う間も無く二人も手を重ねに行ったということは、明らかに銀さんとお妙さんの間に恋愛感情を孕んだ空気がなかったという事に他なりません。
例えこの場面を“家族”として考えたとしても、病床のお母さんの手をお父さんが握ったら、子供の立場として自分も一緒に手を重ねに行くのを躊躇する人も居ると思います。私なら躊躇します。でも新八と神楽にはその一切の迷いがなかった。
つまりあの場面は、空知先生の手で公式に「お妙さんと万事屋3人の仲間意識または兄弟意識」を描いた場面だった、という事です。

他にも場面解釈はありますが、そればっかり書いていたら全然銀さち語りじゃないので…w

前回の記事では中盤にあったさっちゃんの神シーンに少しだけ触れましたが、もうあの場面は中の人の演技力も相俟って本当に毎回泣かされてしまう。
あと、あの場面は未来での恋愛模様も本当によく描かれていると思います。髪を切った切らないの場面は実は何気に重要シーンだと思う。
九ちゃんが髪を切ったのは「確実に死期が迫るお妙さんに対し、好きな人を失う覚悟」、月詠は「銀時が消えたことで今まで曖昧に揺れていた銀時への想いにけじめをつけた」ということ。お妙さんは髪の色は変わっても、切ることなく時々新八に解いてもらっているというのは「姿は変わっても、自分がみんなに向けている想いは何一つ変わっていない」ということ。
“髪は女の命”とも言いますしね…さっちゃんが姿を全く変えてない理由は、もう完全に「銀さんを愛してるから」ですね。何か書きながらまたジワジワ目からローションがw

さっちゃんのいい女っぷりが辛い。
最後はちゃんと笑いも取ってくれましたし、あそこで漸く「あぁ、いつもの銀魂が戻ってきたんだな」って実感しました。銀さん呆れてはいても嫌がってなかったしw

個人的に銀さんが馬・豚・人間の選択肢で「じゃあ豚でいいや」って選んだのがウケたwお前ドSなら「人間」取りに行けよw沖田はちゃんと人間ポジションだったぞw
お前あえて汚いオッサンが描かれた豚を選んだということは、普段「このメス豚が!」と罵っている可愛い豚さんに愛着を持っているということだろう。だからそういう場面でも、ついうっかり「豚」を取っちゃうんだよw銀さち見えないとこでちゃんとよろしくやってんじゃねーかw

またちょいちょい時間見て映画銀さちを語りますw