人と人はわかりあえなくても、わかることはできると信じたいから君はミステリ小説に惹かれるんだ──違うかい?
……ごめんなさい。
けっこう書けないことが多くて日記としての体をなさない。
書けないような事実があるというわけではなくて、書かなくてもいい思惑が色々ひしめいている。
私は何事もぼかして書く癖があって、さっきも書いてみたけどあまりに抽象的すぎてこれ書いて残しておく意味あるのか……ってなって消しました。
冒頭の文は何かというと、
物語にはその作者の思考が如実にあらわれるところがある。その顕著な例が・食べ物・家族・人と人はどこまでわかりあえるか に対しての考え方だという。
といった言葉を聞いたところからきています。
ミステリ、いわゆる推理小説は、謎がばらまかれているところから始まる。わからないことたちを理解するために、その状況に至るまでの思惑・原因・行動といった一つの始点をつきとめていく。
有栖川有栖先生が「現代社会でミステリを書こうとするとつまるところコミュニケーションの問題にいきあたる」といったことをどこかで書かれていたけれど、探偵と犯人という役柄こそあれどミステリは色々取っ払って考えると人間のコミュニケーションの可能性、および限界を追求する研究のひとつの形だと思う……いえ、急に思いました。
ミステリだけにいえることではなくて、物語はどれもそうなのかもしれないけど。
だから綺麗に閉じられる物語に私は不安を覚えて、美しくわかりあえることはない。人の心がそんなにきっちりと型にはまるはずがないと、猜疑心を覚える。
逆に信じきれないからこそ少し後味の悪い話、どこかで裏切られて、未来が歪に閉じられる物語にこそリアリティを感じてしまう……いえ、これもいま急にそうかなと感じました。
でもだからこそむちゃくちゃハッピーエンドの話に憧れる思いもあります。強そう。
どうしてこんな話をしているんですかね。かといってリアリティだけを求めているわけではなく、フィクションだからこその楽しみと言うのもあるような気がします。
つくりものだからこそ、うまくいかなくても大丈夫だよ。壊れてしまってもいいよ──と、本の外側でほくそ笑む自分。います。
でもこれは現実だから、簡単にはぶっ壊せない──だから、抽象的にしか言うことができない。それは少しも面白くない。
人生一回しかないからたまには全力で殴って殴られるのもいいかなって思うけど、思うだけならまだそれはフィクションの世界にあるから。現実だとけっこう痛いしかなりこたえるだろう。
・親知らずのあれそれからくち周辺が腫れていてまだ収まりきってないんだけどこれはもしかしたらさぬきの言葉でいうところの「けんびき」の一種ではと思った。
◎けんびき……おもには口内炎。またはヘルペス。たまに肩凝り、疲労感、できもの、など。過労や作業時に根を詰めすぎたことで疲れが身体(顔、肩周辺)に何らかの症状として現れた状態を差す。(脳内辞書)
・七夕の短冊を書けばいいのではとふと思った。
・最近見る夢の八割で体育の授業をさぼっている。
・ポータブルCDプレーヤーで曲を聴くのが好き。
・秀美くんは絵で具象化しないほうがよかった。(あれの新しい表紙の話)
尾道と湘南が楽しそう。
旅で一度だけ訪れるのとそこで暮らしていくのは全然違うんだろうな。そうだよな。
懐かしいです
「はやとちり」という曲が好きです