人は、


”信じるよるべ”が無ければ、


中々暮らせない。。


「何かを見て何かを信じる」


そうやって経験して来た事の積み重ねで、


『自分の正しさ』


が出来上がる。。


・・


育って来た環境が同じでも、


「何を見たか?」
「どこに引かれたか?」
「そして、どう受け止めたか?」


によって、


”一つの物語や歌を聴いた感想が違う様”に、


全く同じにはならない。。


・・


『人の数だけ正しさ』があると思う。


”宗教間の対立”等は、


分かりやすいが、


自分の家族や、友人でさえ、


『正しさは異なる』


”同じ宗教内での対立”


がある程に。。


・・・・


『一人一人の正しさがブツかり合うのは自然』


なのだが、


『なるべく”もめ事”を無くしたい』


という、思いにより、


『自分の正しさを押し殺す』


場合も出て来る。。


・・


コレも、余りに


我慢し続けたら、


『自分の心や精神が壊れる事』は、


”自然な事”


な訳で、


世の中、


『自分正しさを押し通した者勝ち』


という、


分かりやすい、


『弱肉強食の世界』


だと言える。。


・・・・


だから、


どんなに


力が、

立場が、

権力が、


『弱かったとしても!』


”戦わなくては”いけない!!


・・


せめて、


「安易に攻撃され、ヤられてしまわない様に」


”たち振る舞わなければ”


いけない。


『簡単に捕食』されてはいけないんだ。


・・・・

・・・・


人と人は、


『正しさをブツけ合った先にしか』


”分かり合えない”


と、私は思う。。


・・


”建て前”として、


『取り繕う事』は、


いくらでも出来るが、


”強い絆”が欲しければ、


避けては通れない。。


・・


”相手を信じ”


『ブツかり合う事』が、


どうしても必要になる。


例え、


『ブツかり合って関係が破綻しても!』


それは、


破綻する時が、


少し早まっただけで、


”いづれ破綻”するだろう。。


・・


もし、


「ブツかり合った相手を失いたくないなら」


『お互いが納得するまで、正しさをブツけ合えばいい!』


『正しさをブツかり合える相手を”選べば”いい!!』


・・


何回もブツかり合う事は、


一見、


良くない事に思えるが、


「ケンカする程〜」


と言うように、


”仲が良い証拠”とも言える。。


言い方を変えれば、


『信頼し合っている』


とも言える。。


・・


だってさ、


人と人の正しさは、


必ず違うのだから。。