ブログ放置し過ぎたw
でもとりあえずさっちゃんの誕生日にお祝い記事を上げられてよかった!お祝いテキストとか作れなかったのは残念だったけど…orzまぁでもさっちゃん銀さんの誕生日に自分をプレゼントしに行くだろうし、その時一緒にお祝い銀さちプレゼントするねw

最近もうワケ分からなくなるくらい忙しかった。ぶっちゃけ銀さち妄想する時間も余裕もなかった。前半は解剖演習に追われ、中盤はテストに追われ、今は臨地実習に追われ…でもそんな合間に癒してくれたのはさっちゃんの笑顔と銀さちだったよ…。

銀魂前夜祭も束の間の息抜きとして国技館に行ってきました。もうほんと現実逃避最高。思いっきり楽しんでエネルギーチャージしてきました。

そして銀魂映画…!見てきましたよ…!
まだ見てない方もいるかもなのでネタバレはしないように心掛けて感想書きます。

これはまた見に行かないと!というのが一番です。内容理解としても、映画自体の面白さとしても、そして銀さちとしても…!
何ていうか…もうさっちゃんに泣かされた。ほんと、さっちゃん素敵すぎるよ…。さっちゃんの魅力・持ち味・本領が爆発した。さっちゃんがもっともっと好きになった。ほんとに、ほんとにさっちゃん大好き。
作中でさっちゃんだけ変化のない理由が明かされますが、その理由がもう…!ほんとに銀さんのことを心から愛しているんだね…さっちゃん…。あれは“恋心”とかのレベルじゃない。まじでさっちゃんから銀さんへ向けられた“愛情”です。
正直銀魂はあんまりガッツリ恋愛表現…特に銀さん絡みのものはギャグ的要素を強く描いていますが、今回のことはその作中で唯一オブラートなしに描かれた恋愛表現だったと思います。
映画を観る前に「さっちゃんだけが変化しなかった理由はきっと銀さん絡みなんだろうな…そうだったらいいな…」と思ってましたが、今回の描写でさっちゃんの銀さんへ向けた愛情は何年たっても変わらないんだと、原作者の空知先生の手で描かれました。
空知先生がさっちゃんの想いをちゃんとそういう目で描いてくれたことが本当に嬉かった。

他にも色々感想ありますが、書いたらネタバレしちゃいそうなのでwここは銀さちに絞って書いていきます。

今回の映画では各女性キャラの立ち位置も確定したんじゃないかなと思います。
神楽は銀さんにとって新八と同じく何にも変えがたい大切な”家族”であり、万事屋という絆で結ばれた大切な仲間なのだと思います。
お妙さん、お登勢さん、たま、そしてキャサリンは、銀さんにとって信頼できる仲間であり、何も言わなくても全てを察して支えてくれる、そして例え何があっても万事屋3人のことを最も強く想い、全て受け止めて対等な場所で戦ってくれる、万事屋3人の一番の“理解者”なのだと思いました。特に今回のお妙さんは物語のキーパーソンとして、大切な弟と妹分、そして二人の心の拠り所である銀さんのことを常に案じていて、いつも身近で万事屋3人を見ていたからこそ、自分の大切な弟や妹分がまた笑顔になれる道を、そして銀さんが再び万事屋として笑顔になれる道をずっと待っていたんだと思います。映画終盤での台詞も、弟や妹分がずっと辛い気持ちを抱えていたのを知っているからこそ、「もうあの二人を、そして銀さんを待っていた仲間を悲しませるな」という強い想いが見て取れました。お妙さんの設定がなぜこうなったのか、映画を見て「万事屋3人の一番の理解者であるお妙さんじゃなきゃできない役割だな」と思いました。新八の姉であり、万事屋の頼れるお姉さんでもあるんだな、と。だからこそ…CPな話になりますが、銀さんもお妙さんもお互いに恋愛感情があるように見えないんですよね…。新八を通した強い信頼関係みたいな…むしろ銀さんとお妙さんは信頼し合っている兄と妹みたいな関係に見えちゃうんですよね。監督も言ってましたが、今回の映画を見て改めてこの二人に恋愛感情はないんだな、と感じました。それよりも銀さんとお妙さんには新八や神楽と同じくらいの信頼関係があるんだな、と。
まぁそれは置いといて…月詠、九兵衛は、銀さんにとって頼れる存在であり、大切な“仲間”なのだと思いました。

さっちゃんは…普段はギャグ担当で、色んな所で暴走ぎみですが、今回の完結編を見て確信しました。さっちゃんは銀さんにとって“お母さん”であり“恋人”なんだ、と。

生きてきた中で多くの孤独を味わってきた銀さん。今回の作中でも理由があって沢山の孤独や試練を抱えています。でもさっちゃんだけは銀さんに対して無償の愛情を注いでいます。例え銀さんに何があったとしても、自分だけは姿を変えることなく、ひたむきにただ純粋な愛情だけを銀さんに向け、銀さんの帰りを待っています。それは銀さんにとって、普段はぞんざいに接していても心のどこかで「これだけ好き勝手やって感情のままに辛く当たっていても、この人だけは絶対俺のことを許して、守って、そして愛してくれる」と確信できる存在、それが唯一の“母性愛”をもつさっちゃんという存在なのだと思います。
だからさっちゃんは銀さんに対して普段は溢れんばかりの愛情を注いでいるけど、時に厳しく喝を入れ、時に自分の身を顧みず銀さんを助け、銀さんの言動のどこかからいい所を見つけ出して「そんな銀さんも好きよ」って、肯定的に受け入れられるのだと思います。きっと空知先生もそれを意識して描いているんじゃないかな…と、何となくそんな感じがしています。

あと、さっちゃんは銀さんの“恋人”でもあるんだろうな…と。恋人っていっても単純な「好き」とかセックスとかじゃなくて、もっと別次元な感じ。上手く言えないけど、自分が人生を全うして命つきる時、ふと「あの人は私の一生の恋人だった」と思う…みたいな?うん、自分で言っててよく分からんw
とにかく、普段のお互いの言動はアレですが、銀さんの剥き出しの感性と衝動をさっちゃんの母性的な愛情で包み込むような…。夫婦とか家族とかじゃなくて、ほんとに永遠の恋人というか、来世でもまた会いましょうみたいな(何)w
これは完全な妄想ですが、前世は母子、今世は付かず離れず、来世では夫婦になりたいですね、みたいな感じw

作中で銀さんが誰かとくっつくことはないと思います。でもくっつかない代わりに、この映画の中で空知先生が“さっちゃんが未来でも姿を変えなかった理由”として、唯一銀さんとの恋愛表現を描いて未来を示唆してくれたのかなぁ、と。これは銀さち好きの欲目かな。

今回の映画の中、女性キャラの銀さんに対する想いや立ち位置は私的にまとめると以下の感じじです。
神楽は万事屋という唯一無二の“家族”
お妙さんやお登勢さん達は万事屋3人の一番の“理解者”
月詠や九兵衛は信頼できる“仲間”
そしてさっちゃんは無償の愛情を注いでくれる“恋人”

ふと思ったのは、銀さんはもしかしたらさっちゃんに対して、“記憶にないお母さんという存在”も重ねて見てるんじゃないかな。恋愛感情とは別に母性愛も求めている。だからさっちゃんに対してはかなり言いたい放題・やりたい放題。でも絶対自分のことは嫌いにならないって根拠のない確信があるから、要はそれに甘えている。
でもさっちゃんからしたら銀さんへ向けている愛情は“想い人”への愛情で、母性愛的な意識は全然なくて、ひたむきに恋愛色の濃い愛情を銀さんへと注いでいる。
実は銀さんとしてはそこに戸惑っているのかもしれない…と。さっちゃんの気持ちは嬉しい。でも自分はさっちゃんに恋愛感情とは別に“母親”としての存在も求めてしまっている。だから取り敢えず適当にあしらってこのまま付かず離れずの関係でいく、という気もする。
もしさっちゃんが銀さんに対して意識的に母性愛を向けて、「男性が恋人に母性愛を求めるのは自然なことなのよ」って恋愛・母性愛の両面から接してみたら、銀さんものすごくさっちゃんに素直になるかもしれないなw

とまぁ色々妄想交えて書いてみましたが、取り敢えずこの完結編で確定したのは、さっちゃんの銀さんに対する愛情は本物という事です。それは原作者の空知先生自らの手で描いてくれました。
そしてさっちゃんは銀魂という作品の中で、確実に銀さんの恋愛に絡んでいるという事です。しかもかなり空知先生の中でも銀さんに一番近い位置で。公式ばんざい!

また完結編見に行きます。もう何度だって見に行きます!

ちょっとネタバレになるかもしれませんが、映画のEDである曲が流れるのですが、それを見たとき「これって完結編って銘打ってるけど、実は銀魂本編の第1話開始前の前章なのかな」って思ったんです。だから劇場で配られる特典が“銀魂零刊”なんじゃないかな、と。だからこの映画は銀魂のラストじゃなくて、ある種のパラレルワールドというか…ループしてる世界なのかなって。だから「“アニメ銀魂”が作ってきた世界はこれで完結しますが、またここから新たな銀魂世界が始まります」というメッセージにも見えるんですよ。
まぁだからアニメもまたしれっと再開すると思います。