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見上げた星が降ってきたら

雪の好きなところは、真っ白で、しんしんと音もなく降り積もって、それどころか、音をも吸収するところです。静寂を生み出してくれます。それに、雪の降り積もる様子は見ていて飽きません。


年内にやってしまいたいことを、2つばかり終わらせました。迚清々しい気持ちです。不思議と寂しくもあったけれど、同じくらいに喜ばしくもありました。泪でぐっしょりの出来事だったけれど、泪で洗い流したら、心なし以前よりも綺麗になったような気がします。感謝してもしきれません。


2011年を振り返る

さて、2011年も終わるようなので、今年一年を振り返ってみようと思います。

今年は穏やかな水面下で、川を逆流するように、激しくもがき溺れ過ごした日々が多かったような気がします。ひたすらに毎日が哀しさと虚しさに浸されていたけれど、長い間、もがき溺れていたお陰で、川の流れに身を任せ、受け入れることを覚えた年でした。

長い間、寄り添っていた、いくつもの気持ちとお別れをして、その数だけ、新たな気持ちと出逢いました。

そんな変化を、大樹のように見守って下さった大切な方に心からの感謝を。沢山の愛を注ぎ、大切にしてくれて、本当に幸せでした。


世の大きな出来事としても、東日本大震災がありました。被災地であり、被災者となり、被災生活を送ったこと。あまりにも衝撃的な出来事であった為に、今も尚、許容出来ずに実感が沸きません。不幸中の幸いではあるけれど、身近な人が亡くなるということがありませんでした。

この震災で亡くなった方々のご冥福を年の終わりにして、改めて、祈りたいと思います。そして、今年の振り返りもこれにておしまい。


それでは、さようなら、2011年。

聖なる夜サンタクロースと

空の綿毛がしんしんと降り注ぐ、夜空から聞こえる鈴の音、枕元の大きな靴下、キラキラと光るツリー、真夜中に煙突から入ってくるのは、一体誰なのでしょう。


クリスマス

メリークリスマス(滅入り苦しみます)!皆様は聖なる夜に、如何御過ごしでしょうか。


わたしは家族と一日、ゆっくりと過ごしました。我が家は、イベントが好きなので、そのようなイベントがある日は、とりわけ、BGMを流していたりするのです。


本日のBGMは、大切な方から頂いたクリスマスプレゼントです。わたしの好きなジャズと、JUJUの初回限定盤のCDでした。




迚気に入りました。感謝しています。いつも頂いてばかりなので、わたしも何か贈れること(もの)があれば、惜しみ無く贈りたいのですけれど。一体、何が良いのかしらん。


日中は暖炉の火をぼんやりと眺め、肉きゅうをスタンプのように、窓ガラスに押し付ける愛らしい生物を、時折、膝の上に乗せては、悪戯をしていました。なんとも弄らしい。

また新たに本を一冊読了しました。この休みで読了した本は、改めて紹介したいと思います。

ランチに、母にはパンケーキ、父にはパスタを作りました。それぞれの希望通りに。今日はパンケーキの焼き加減の調子が良く、パッケージのように焼き上げることが出来ました。たっぷりのマーガリンとメープルシロップを添えました。パスタは、和風パスタを作りました。にんにくとシーチキンと卵黄等。どちらも、美味しく頂いてもらえたようでした。


現在も冬空の綿毛が、もの悲しく、うそ寂しく降っています。世界中で訪れる今夜クリスマスイブを、一人でも多くの方々が心温かく過ごすことを、祈ります。

素敵なクリスマスイブを。

狼がフォークで月を食べる

皆既月食

今晩も話は月日を遡りますが、皆様は、皆既月食をご覧になったでしょうか。本格的に欠け始めるのが九時以降であることを知り、わたしは羊の毛で編まれた温かいカーディガンを羽織り、月食を見ていました。

あの徐々に蝕まれるように欠けていく様ときたら、なんて神秘的なことなのでしょう。寒さなど気に止めている場合ではなかったので、気付けば、鼻を林檎のように赤くして魅入ってしまいました。あの日、産まれて始めて月食を見た感動を今も尚、鮮明に覚えています。

写真は送って頂いたものです。見事に月食している様子が撮られていて、カメラにも感心してしまった程でした。

北欧神話によると、皆既月食は魔狼ハティが月を飲んでしまう為に起きるとされているそうです。どれだけ大きな狼なのか、気になるところですね。


今朝の出来事なのですが、寝ようか寝まいか、ベッドの上で考えていると、いつの間にか眠りに落ちていて、そして、温かくて淋しい夢を見たのです。いつでもわたしの夢は支離滅裂で、見ている自分こそ訳のわからないような、トンチンカンな夢なのですけれど、今回もまたもや、そんな夢を見たのです。

それでいて、とろんと目を覚ましても、温かくて淋しい余韻を残しているものだから、それは本当にわたしを不思議な気持ちにさせる夢でした。


そう言えば、つい三日程前に、わたしの学校は冬休みに入りました。その日からと言うもの、主に貪るように本を読み、勉強をして過ごしています。

時折、膝に仔猫を乗せ、愛らしく丸いお腹を撫で、ぷにぷにとした肉きゅうを触っているのです。ほんの少しでも目を離せば、その隙に猫缶の元へ行こうとするのです。嬉々として向かう後ろ姿はどうも憎めません。


気付けば、沢山の方々が購読をして下さっていて、大変恐縮であると同時に、迚光栄に思います。改めて、更新頻度もまばらですので、購読をすることをお勧めします。ちなみにTwitterの方が、割りと頻繁に更新しています。

拍手やメッセージ等も、どうもありがとうございます。追伸にて、お返事をしていきたいと思いますので、宜しくお願いします。
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しおりには銀杏の葉を二枚

灰色の冬の寒空、明け方の部屋の冷たい温度、解除し忘れた携帯のアラーム音で、夢の中から渋々戻り、目が覚めてすぐに本を読み始め、今しがた一冊、読了しました。


もうすぐ、わたしの学校は冬休みに入るのですけれど、今年の冬は、いつもよりも長く、重たい雪の降る実家で過ごすこととなりそうです。

卒業式を迎えたら、間もなく、新しい街へ、引っ越しをするので、まとまって長い時間を実家で過ごすことは、恐らくこの冬が最後になるのだろうと、ここ数日、折に触れてぐるぐると考えていました。

実家には、様々なジャンルの何冊もの本を持って行き、貪るように読む予定です。そして、温かくて優しいハーブティーを淹れては、愛らしい動物を眺めて、心を擽られようと思います。穏やかな気持ちで、空から降る白い綿菓子を眺めて過ごせますように。


最近読んだ本


道端の生えている、名前の知らない草たちを“生かす”ことが迚上手で、何気無く視界にある草たちに存在感を持たせることで、変わらない日常を鮮やかにするのです。好きなものを掘り下げて行くこと、あらゆる知識を脳みそにしまうこと、実に楽しいことであると思いました。


読み進むにつれ、展開が転がるようにコロコロと変わっていくところに、ページを捲る手を止められませんでした。乙一さんの本に興味をそそられました。次は乙一さんのどの本を読もうかしらん。


四人の高校生の主人公。共通点は唯一天文部であること。表面には表さない、それぞれの事情ではスパイとなり、ミッションをこなしていく。それらを乗り越えていく中での人と人の星のような距離感。決して近付くことはないけれど、決して遠ざかることもない、そんな距離感にわたしは迚惹かれました。


共感すること頻りでした。言葉から繊細さが滲み出ていて、儚げな印象を持ちました。多くを望んでいるような、望んでいないような、そんなことが、問題ではなくなるような不思議な温かさに、ほんのりと丸くなったような気がました。


人の細かな心の機微が、言葉に表すことが難しかった名前の無いわだかまりが、みるみる内に稜線を表していきました。読了した時、まるで檸檬スカッシュを飲み干したような感覚が爽快でありました。炭酸のパチパチと弾ける刺激、喉を潤すように、言葉が心を救い、檸檬をアクセントに彩られるのは何気ない日常。


十七歳の少女達が人間関係から感じること。求めること。もたらすこと。短編小説なのですけれど、どの話でも、それらが、言葉よりも“間”に表れているような気がしました。彼女達の汲み取り方を汲み取るのは、実に様々なのだろうと思いました。


最近は、学校生活においても、時間の隙間を読書に充てているので、迚和やかなのです。放課後は学校終了のチャイムが鳴り次第、てくてくと図書館に足を運び、読書をしたり、図書館で関わり合った人達との賑々しい時間を、過ごしています。これが高校生活というものなのかしらん。


最後に小説の一文を。

「もしなにかをわかるのに子供すぎるのなら、いつかわかるときがくる。でも、なにかをわかるのに年をとりすぎているのだったら、その人はもう、永遠にわからないのだ。」

テイスト オブ パラダイス/江國香織

何もないのに何もかもある

最後の定期考査のため、ペンを持ち、机に向かっていたら、いつの間にか十二月になっていました。やれやれ、早いものですね。

そして今日は久方ぶりになんの予定もない土曜日でしたので、昨夜は、そんな土曜日をどのように過ごそうかと、考えを巡らせていたら、まるで、美しい甘味に舌鼓をする前のように、わくわくして寝付けなかったのです。

今日という日は、好きなときに、ふわふわの毛布にくるまり、目を開け、本のページを捲り、温かいお茶を注いで過ごしました。時折、これからのことを考えていたし、あの頃のことを考えていました。暗澹としたものが、泉から溢れ出るようでしたけれど、毛布にくるまり次に目を開けたら、何処かへ行ってしまいました。


最近、夜空を眺めるのが少なくなっていることに気付き、ぼんやりと空を眺めていたら、ふわりふわりと空から、冷たい綿菓子のような雪が降ってきて、少しだけ感慨深くなりました。


冷たい綿菓子が頬に当たり溶けた時に、脳裏にある小説の一文が浮かびました。「帰る家があるのに、愛されているのに淋しい。それが若さというものかもね。」


ひとりごと

今年も残り、二十一回となりましたが、今年の内にやってしまいたいこと。切なくて尊い思い出や、時間のかかる疑問を雪の下に埋めてしまうこと。雪が太陽の暖かさで溶ける頃には、柔らかい新芽と共に、温かい思い出や答えが顔を出すよう。


今の疑問の見つからない答えは、時間をかけて、パンを発酵させるようなものなのだと思います。わたしを納得させる味を答えを時間と共に作っているのだと。そう考えてみると、少しだけ待ち遠しく思います。


今夜の皆既月食が見えますように。皆様も是非。

それでは。


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