写真:いつだったかボランティアのプロジェクトに参加したときのです。小学校に訪れ、国際交流をはかることを目的としたものでした。小さな小さなこどもたち。わたしの小学校時代と重ねてしまいます。ほんのりもも色のほっぺ、くせ毛な髪、華奢なからだ。いつまでもこんな毎日が続き、続いてほしいと思っていました。願いは叶えられません。


ねえねえ、みなさんは見ましたか?何日か前にロシアに隕石がおちたのですよね。映像をみたときは、不謹慎なのかもしれませんが、とてもワクワクしてしまいました。多くの負傷者がでていることは、とても残念なことですが、しかたがないことでもあるのかもしれません。早くけががよくなりますように。

天文が好きであるわたしには、胸を高鳴らせる天体現象のひとつでもあったのですが、あんなことって、なかなかないのですよね。危険なことではありますが、そんな天体現象を見てみたい気もします。

いつかひとつの場所にとどまるならば、家に天文台があったらよいのに、と思っているのです。思いつきのようなものだけれど。


卒業式

あれから、もう1年が経ってしまうようです。いつの間にかにね。わたし、卒業式がいやだったのです。理由は、乱暴にあるひとつの時間をしめくくっては、また次のある時間へとほうり出されるみたいだからです。なんて横暴で、無責任で、退屈なんだろう!って思っていました。

儀式的に、機械的に、そんななんらかの免罪符をもって、ほうり出される。“節目”を打たれているだけで、心はしめくくることなんて、簡単にはできやしないのだもの。少なくともそんなことをわたしは思っていました。それだけに式なんてもの、納得がいかなければ、心がともなわなければ、なんの意味もなくて、空っぽでむなしいだけだったのです。

恩師がひそかに両親に送っていたものを見つけて、わたしもひそかに見てしまいました。だからこんな風に思いふけってしまったのでしょう。ノスタルジーなんてそんななま暖かいものでは、けっしてありません。


それでは。