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君を遺していくことにする

広くて狭い海や高くて低い山をこえていたら、わたしったら気づかぬうちに夏をも越えてしまっていたみたいです。わたしのことを覚えていますでしょうか?そんなことを言うわたしは、いろんなことをすっかりと忘れてしまったようです。忘れていることすら、さっきまで忘れていました。

なにから綴ればいいのかしら。どこから綴ればよいのかしら。いろんな毎日がやってくるものだから、毎日は忙しなく、目まぐるしく過ぎていきました。

とりあえず、わたしはこれから違うところで綴っていこうと思っています。

今まで購読してくださっていた方々をはじめ、読んでくださっていたみなさま、これからまた読むことがあれば、こちらにいらしてくださいね。ツイッターもやっていますので、気が向いたらのぞいてみてくださいな。

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毎日、花の便りを送ります

写真:お話の中に出てきそうな、ロマンティックな三面鏡の前に、亡くなった祖父母や、父の写真を飾っているので、つやつやとした生きた花を飾るようにしています。季節の花や、道ばたの花、時には花言葉をこめて。かけがえない人たちへ。


気まぐれにどこかへ行きたくなっては、気ままにどこかへ行ってしまう、それがきっと自他ともに認めている“わたし”と言うものなのでしょう。(先日はタイに行ってきました。)

お久しぶりです

みなさん、どうもお久しぶりです。わたしの住んでいるところでは、初々しい夏の空気が漂っているのですけれど、そちらはいかがでしょうか?


更新していない間にも、たくさんの出来事がありました。そんな中、かなしみに暮れているのは、今も昔も変わっていません。そのこと自体は、ちっともかなしいことではありません。

そんな更新していない出来事を、ぽつらぽつらと更新していこうと思うので、気がむいたときにでも、のぞいてみてくださいな。


とりあえず、お知らせまで。

春の匂いがするって鳴いた

写真:小さい頃、春が近づき、このかわいた道を見ると春が目に見えるようで、とてもワクワクしていたのを覚えています。みじかい通学路をスキップして帰った日は、ちっとも悲しくなんてありませんでした。春になって、庭で産まれる子猫たちに出会うのをたのしみにしているのは、今も昔も変わっていません。


身近な死 )

2013年2月23日5:48

わたしの世界でたったひとりの父であり、わたしの家族のひとりが、惜しみ惜しまれこの世を去ることになった日。


はじまりは去年の12月12日でした。祖母が亡くなる日の午前中、末期のすい臓がん、すでにあちこちに転移があることを宣告され、その日の午後、祖母はやっとの思いで、あの世へと旅立っていった日。

病気を宣告されて、亡くなるまでの期間2ヶ月と12日。この時間は長いか短いか。神様が与えてくださった、わたしたちのこの世で家族そろって過ごす、最期の“家族の時間”。

父が生きたくて生きたくてしかたがなかった今日を、わたしが、あなたが、わたしたちが、生きている。

わたしは父の生きたかった今日を生きていることを、忘れずに忘れずに、生きていくのです。


朝になれば太陽がのぼり、夜になれば星がまたたき、そして朝が近づけば月がしずむ、その事実とおなじところにある、この事実と現実。

“死ぬ”ってどういうことなのでしょう。“生きる”ってどういうことなのでしょう。

少なくとも、“死”は“形を変えること”だと思うのです。形を変えて、この世界に存在し続ける。そういうことなのだと信じていたいです。どんな形で大切な人が、ものが、なくなろうと、そしていつかわたしが死んでも、形を変えてこの世界に存在し続けると、わたしは信じて生きていきます。


またね。

いたちごっこはもう疲れた

写真:いつだったかボランティアのプロジェクトに参加したときのです。小学校に訪れ、国際交流をはかることを目的としたものでした。小さな小さなこどもたち。わたしの小学校時代と重ねてしまいます。ほんのりもも色のほっぺ、くせ毛な髪、華奢なからだ。いつまでもこんな毎日が続き、続いてほしいと思っていました。願いは叶えられません。


ねえねえ、みなさんは見ましたか?何日か前にロシアに隕石がおちたのですよね。映像をみたときは、不謹慎なのかもしれませんが、とてもワクワクしてしまいました。多くの負傷者がでていることは、とても残念なことですが、しかたがないことでもあるのかもしれません。早くけががよくなりますように。

天文が好きであるわたしには、胸を高鳴らせる天体現象のひとつでもあったのですが、あんなことって、なかなかないのですよね。危険なことではありますが、そんな天体現象を見てみたい気もします。

いつかひとつの場所にとどまるならば、家に天文台があったらよいのに、と思っているのです。思いつきのようなものだけれど。


卒業式

あれから、もう1年が経ってしまうようです。いつの間にかにね。わたし、卒業式がいやだったのです。理由は、乱暴にあるひとつの時間をしめくくっては、また次のある時間へとほうり出されるみたいだからです。なんて横暴で、無責任で、退屈なんだろう!って思っていました。

儀式的に、機械的に、そんななんらかの免罪符をもって、ほうり出される。“節目”を打たれているだけで、心はしめくくることなんて、簡単にはできやしないのだもの。少なくともそんなことをわたしは思っていました。それだけに式なんてもの、納得がいかなければ、心がともなわなければ、なんの意味もなくて、空っぽでむなしいだけだったのです。

恩師がひそかに両親に送っていたものを見つけて、わたしもひそかに見てしまいました。だからこんな風に思いふけってしまったのでしょう。ノスタルジーなんてそんななま暖かいものでは、けっしてありません。


それでは。

ハンサムなキツネとの逢瀬

写真:わたしの家の前の道。冬は林をひんやりと白くし、シルエットも冬のうつくしさに変わるのです。林のなかには手作りのログハウスがどっしりとたっていて、週末には遠くから来た人びとの笑い声が、林のなかから聞こえてきます。そして、林の前の外灯の下では、時に猫たちの会合がおこなわれ、夏には昆虫採集を目的とした人でにぎわいます。


自然

朝と夜を何度かさかのぼった晩のこと。シャリシャリと足もとの凍った雪を鳴らし夜道を歩いていたら、林のとなりにポツンとたつ外灯の下に、なにやら太いしっぽをもった動物がいたのです。それはうず高くなった雪壁を上ろうとしていました。よく見るとそれはキツネでした。わたしは突然のことに、足を止めてじっと見ていましたが、とてもハンサムなキツネだったように思います。うつくしかったです。


わたしの生まれ育った街はとても田舎で、野生の動物たちもたくさんいるのです。見たことがあるのは、キツネ、タヌキ、ウサギ、シカ、サル。わたしはまだはっきりと見たことがないのだけれど、よく見かけられているクマ。イノシシはどうだったかしら、忘れてしまいました。うわさではとなりのとなりの小さな山にはいるそうです。

年々、人里にくり出す動物たちが増え続け、田畑を荒らしているのだそう。わたしがこの街で暮らしている頃は、なにも考えずに夜道を歩くことができたのですけれど、今では夜道を歩くのも、危なくなってしまいました。もちろん、襲ってくることがなければ、危険ではないのだけれど。


ある人は言いました。
「昔は人間が人間らしくあったから、動物たちも人里にはおりてくることはなかった。しかし、今では人間が人間らしくなくなり、動物的になりつつあるから、動物たちはそのうすくなった境界線をこえて、人里におりてくるようになった。」

わたしは罠をしかけて捕まえたり、銃声を鳴りひびかせて山に追い返したり、そんなことはあまり好まないので、そんなことは自然が豊かで、人間が豊かで、そうあればそんなことも少なくなり、たいていのことは豊かなになるのではないかと思いました。それもぼんやりと。


わたしのちょっとした考えごとと、思うこと。小さな頭のなかから乱暴にちぎりだした、そのはしくれ。


それだけ。
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