スポンサーサイト



この広告は30日以上更新がないブログに表示されます。

いたちごっこはもう疲れた

写真:いつだったかボランティアのプロジェクトに参加したときのです。小学校に訪れ、国際交流をはかることを目的としたものでした。小さな小さなこどもたち。わたしの小学校時代と重ねてしまいます。ほんのりもも色のほっぺ、くせ毛な髪、華奢なからだ。いつまでもこんな毎日が続き、続いてほしいと思っていました。願いは叶えられません。


ねえねえ、みなさんは見ましたか?何日か前にロシアに隕石がおちたのですよね。映像をみたときは、不謹慎なのかもしれませんが、とてもワクワクしてしまいました。多くの負傷者がでていることは、とても残念なことですが、しかたがないことでもあるのかもしれません。早くけががよくなりますように。

天文が好きであるわたしには、胸を高鳴らせる天体現象のひとつでもあったのですが、あんなことって、なかなかないのですよね。危険なことではありますが、そんな天体現象を見てみたい気もします。

いつかひとつの場所にとどまるならば、家に天文台があったらよいのに、と思っているのです。思いつきのようなものだけれど。


卒業式

あれから、もう1年が経ってしまうようです。いつの間にかにね。わたし、卒業式がいやだったのです。理由は、乱暴にあるひとつの時間をしめくくっては、また次のある時間へとほうり出されるみたいだからです。なんて横暴で、無責任で、退屈なんだろう!って思っていました。

儀式的に、機械的に、そんななんらかの免罪符をもって、ほうり出される。“節目”を打たれているだけで、心はしめくくることなんて、簡単にはできやしないのだもの。少なくともそんなことをわたしは思っていました。それだけに式なんてもの、納得がいかなければ、心がともなわなければ、なんの意味もなくて、空っぽでむなしいだけだったのです。

恩師がひそかに両親に送っていたものを見つけて、わたしもひそかに見てしまいました。だからこんな風に思いふけってしまったのでしょう。ノスタルジーなんてそんななま暖かいものでは、けっしてありません。


それでは。

ハンサムなキツネとの逢瀬

写真:わたしの家の前の道。冬は林をひんやりと白くし、シルエットも冬のうつくしさに変わるのです。林のなかには手作りのログハウスがどっしりとたっていて、週末には遠くから来た人びとの笑い声が、林のなかから聞こえてきます。そして、林の前の外灯の下では、時に猫たちの会合がおこなわれ、夏には昆虫採集を目的とした人でにぎわいます。


自然

朝と夜を何度かさかのぼった晩のこと。シャリシャリと足もとの凍った雪を鳴らし夜道を歩いていたら、林のとなりにポツンとたつ外灯の下に、なにやら太いしっぽをもった動物がいたのです。それはうず高くなった雪壁を上ろうとしていました。よく見るとそれはキツネでした。わたしは突然のことに、足を止めてじっと見ていましたが、とてもハンサムなキツネだったように思います。うつくしかったです。


わたしの生まれ育った街はとても田舎で、野生の動物たちもたくさんいるのです。見たことがあるのは、キツネ、タヌキ、ウサギ、シカ、サル。わたしはまだはっきりと見たことがないのだけれど、よく見かけられているクマ。イノシシはどうだったかしら、忘れてしまいました。うわさではとなりのとなりの小さな山にはいるそうです。

年々、人里にくり出す動物たちが増え続け、田畑を荒らしているのだそう。わたしがこの街で暮らしている頃は、なにも考えずに夜道を歩くことができたのですけれど、今では夜道を歩くのも、危なくなってしまいました。もちろん、襲ってくることがなければ、危険ではないのだけれど。


ある人は言いました。
「昔は人間が人間らしくあったから、動物たちも人里にはおりてくることはなかった。しかし、今では人間が人間らしくなくなり、動物的になりつつあるから、動物たちはそのうすくなった境界線をこえて、人里におりてくるようになった。」

わたしは罠をしかけて捕まえたり、銃声を鳴りひびかせて山に追い返したり、そんなことはあまり好まないので、そんなことは自然が豊かで、人間が豊かで、そうあればそんなことも少なくなり、たいていのことは豊かなになるのではないかと思いました。それもぼんやりと。


わたしのちょっとした考えごとと、思うこと。小さな頭のなかから乱暴にちぎりだした、そのはしくれ。


それだけ。

高い場所からながめる現実

写真:みずみずしい雪溶け水がしたたる晴れの日、薪小屋でひなたぼっこをする猫。この子は顔も身体も、瞳も、見事にまるまるとしているので、「マルちゃん」と呼んでいる。すりよってくるのに、ふれられるのをためらう、かわいい天の邪鬼。






ピクサーのうつくしい画像にハッとさせられます。お決まりのハッピーエンドには、ぜいたくな退屈と安定したしあわせがありますね。







最近観た映画

どの映画もよかったけれど、わたしのお気に入りはなんと言っても“ヒューゴの不思議な発明”です。アンニュイな少年と、本の世界で半分できているような少女。壁の中の家、駅の中の暮らし、こわれた機械人形。用意された感動と、結末までじらされる安堵、心地よい疲労。なにをとっても素晴らしかったです。今のわたしからのおすすめです。


講読者さま、閲覧者さま、拍手をくださる方々、いつもありがとうございます。

それでは。

5つ星のように5つずつよ

写真:最近、購入したわたしの大好きなBrough Superiorのアクセサリー。ひとつの物語がはじまるようなデザインや手作り感が好きなのです。とっても愛らしいです。ワクワクしてしまいます。


星が暗闇に浮かぶこんぺいとうのように映える、この冬のうちに、両耳に5つずつピアスを開けます。これはファッションというよりも、もっと別な意味をもって、わたしにとって大切なことを儀式的に身体に刻んでいるのです。それぞれの意味はわたしだけの秘密。

そうそう、そもそもピアスなんて開けていなそう!とよく言われるので、けっしていかつい風貌ではないようです。洋服は個性的、素朴系女子、森ガールなどと言われますが、自分ではそんな風に思ったことなどありませんでした。変ですね。


音楽

毎晩、せっせと家事を終えると、部屋で白くてつややかなギターに触れています。ギターのブランドに詳しくないわたしが、楽器屋へ行き、今のギターにひとめぼれしたのです。音楽に思いこがれていたわたしは、キラキラとまぶしい街を、未知の世界を背にしているように、うつくしいギターを背にして、戸惑いと期待を体いっぱいにして歩いたことを鮮明に覚えています。

あの日の震える覚悟と高鳴る期待は、いつまでも新鮮なものでなければならないと、わたしは音楽に思いこがれるたびに思っています。

今年はたくさんライブをして、たくさんのアーティストのライブに行き、友人のライブに行きたいです。路上ライブや弾き語りなど、下北沢のとあるカフェで語り合ったことをどんどんやっていきたいです。こんなに心が不安と興奮であふれてしまうのだから、きっとやってみると、たのしくておもしろいことにちがいありません。なんて素敵なのかしら!


話は変わりますが、近ごろは猫をひざにのせ、のどをゴロゴロ鳴らせたり、犬とじゃれあって、声をだして笑ったりしているのだけれど、それがとても癒されるのです。

小さい頃から、動物が大好きだったのだけれど、あちこちを飛び回っているうちに、いつしかふれあうことも少なくなってしまっていたのですね。

こうしてふれあうとどこかやさしくてさみしい気持ちになります。小さい頃は猫を追いかけたり、虫を探したり、林の中を走り回ったり、道ばたの花を両手いっぱいにして、自然とたくさんふれあっていたのに、ずいぶんと減ってしまいました。

かなしいことに気づいたけれど、大人になっていくということは、こんなことではないと思っています。もっと心のやわらかいところで自然を感じて、大切にしていくことだと思っているもの。とても温かい気持ちでね。しあわせになってゆくこと。


こうして長いこと、生まれ育った街で過ごすのは、ひさしぶりであったから、今よりも幼かった頃のことを、事あるたびに脳裏に情景をくり広げています。それは切なくて、かなしくて、さみしいことばかりだけれど、いつかの両手いっぱいに道ばたの草花を大切にかかえていたように、いつか歩んでいけるのかもしれません。これはとても小さな期待、していないに近いものです。

青い家と、煙突からでる煙をみて、考えていたこと。


あたらしい講読者様、拍手、どうもありがとうございます。どうぞ気楽にごゆるりと。

それでは。

積み重ねるパンケーキと私

写真:いつかのカフェで食べたパンケーキがまた食べたくなったので、真似て作ってみました。ココナッツミルクで作ったソースをたっぷりとかけて、叩きくだいたカシューナッツをふんだんにのせました。パンケーキもふんわりと焼くことができたので、ソースもしっかりとしみこんで、とってもおいしかったです。また作ろうっと。


日課

祖母が亡くなる前から、家族でてくてくとまっ白な雪道に足あとを残しながら、近くの小さな観音寺へお参りに通っています。はじめは祖母のことがあってのことでしたが、今は父の病気があってのこと。今では毎日必ず手を合わせることが習慣となっています。これが意外と心地よいもので、手を合わせているときは心がおだやかになっていく気がします。


最近観たものたち。






最近、必然的に家で過ごすことが多いので、家族そろって映画を観ることが多くなりました。家族時間。家族そろってわりとピクサーが好きなので、ピクサーばかりです。


最近購入した雑誌と本。




今年、旅する街や国を考えています。うつくしいところへ行きたいです。息をのむような、知らぬうちに涙があふれてしまうような、だれかの気持ちや考え、過去も未来も忘れて、ひたすらに感動できるところへ。

自分がとても小さいこと、なにも知らないということ、打ちのめされるほど感じたい。


たくさんの閲覧や購読や拍手、どうもありがとうございます。これからも気ままにつづったり、写真をのせたりしたいと思います。よろしくどうぞ。

それでは。
前の記事へ 次の記事へ