太陽がジリジリと近付いて来るような暑さの中、初めてこの街の市役所に行ったのだけれど、予想以上に大きくて驚きました。そして何処と無くひんやりとしていた気がしました。建物も、銅像も、人も。どうもあのような場所は得意ではないみたいですね。
売店に聴覚障害者と書かれたものを腕に付けていた、店員のおじいさんが居ました。初めは気付かず、何故話さないのだろうと不思議に思っていたら、そんな訳だったのです。
そんな彼等には、世界がどんな風に見えるのだろうと帰り道とぼとぼ歩きながら考えていました。
愛する人声がどれだけ世界を温かくするかを、音楽がどれだけ世界を彩るかを、知ることはないのだろうけれど、違う感覚でその分を感じているのかもしれませんね。
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旅計画 )
何日か前にヨーロッパから直輸入をしているというお気に入りのお店に行ったのだけれど、そこで以前から欲しかった世界地図を購入することが出来たのです。写真はその世界地図です。
訪れる国を見つめ、訪れた国に思いを馳せます。あちこちの国々に足を運ぼうと考えています。
長期の休暇には三ヶ国、長期の連休には一ヶ国、そうやって世界をふらふらと巡っていきたいです。来年はマレーシア、インド、モンゴル、アフリカには訪れようと眠る前に考えていたのでそうしようと思います。
書きやすいペンとノート、時間を切り取るカメラ、音楽をお気に入りのトランクに詰め込んで、旅をしに行くよ。
そうそう、今更ですけれど、ホームページの名前を変えました。
さあ、今はこの辺でおしまい。
また更新します。
「ねえ、毬絵。私たちのこの一年間は不思議だったよ。人生の流れの中で、ここだけ空間も速度も違う。閉ざされていて、とても静かだった。後で振り返ってみたら、きっと独特の色に見える、ひと固まりの。」
白川夜船/吉本ばなな
好きな小説の一節。
ひとつ前の金曜日、遠くも近くもない親戚のお祖父さんが亡くなったのだけれど、あっけなく一瞬にして弾けて消えた命の欠片をわたしも手にしている気がしている。
今日で大学の試験が終わりました。満足のいく試験とは程遠いけれど、試験期間を乗り越えられたので達成感と、明日からの大学に入り初めての夏休みにドキドキしています。
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夏休み )
夏休みの内に前のようにもっと身体を軽くしたいし、沢山の活字と本に触れたいし、ガツガツと勉強もしたい、いつだって首からカメラをぶら下げて時間を切り取りたいし、言葉にならない感情や思考を音楽にぶつけてギターやピアノの練習もしたいし、心の声を叫ぶように歌いたい、憂鬱の底に沈んで考え込みたいとも思っています。
“したい”と言うよりも“しておきたい”と言った方が正しいのかもしれません。
田舎の夜に隠れて、鈴虫の泣き声を聞きながら夏の匂いを嗅ぎ、三大流星群をいつもの野球場に寝転んで夜通し眺めるのも良いかもしれませんね。
ひんやりとした緑のアイスを頬張りながら、ワクワクした胸の内に弾ける理想の夏の計画を立てましょう。
七月二十一日に母と姉とショッピングに行きました。その時に食べたランチが迚素敵で美味しかったので写真を撮りました。夏野菜がふんだんに使用されているカレーです。カボチャ、さつまいも、オクラ、長芋、ニンジン、パプリカ、等々。食べていて実に楽しかったです。また行きたいと思います。
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メール )
そうそう、いつかのくたびれた真夜中、以前の恋人から連絡が来たのだけれど、今の恋人と揉めているとのこと、話の中にはまだわたしと付き合っているのだろう、と言うことも含まれていたそうなのです。
付き合っていたのは何年も前の話で、話を不思議に思っていたら、彼女が携帯を覗いていたらしいのです!迚驚きました!
“恋は盲目”と言うけれど、相手しか見えなくなるのではなくて、相手の気持ちすら見えなくなることも盲目なのだろうなと思う。なんて哀しいことなのでしょう。
わたしの友人が何日か前に休学をしたそうなのだけれど、ゆっくりと休んで、これを彼女にとって何らかの良い機会にしてくれたら良いと思うのです。
きつく縛られた固定観念や目を逸らし続けた自分自身にそっと静かに向き直るべき時期なのかもしれないですね。長い目で見たら実に良いことな気がします。きっとそれは近道なのでしょう。
日常に誰かの何かの色が加わって、美しくも汚くも彩られてゆきます。わたしの色が美しく映えてゆくような色でありたいと思うのです。
皆様お久しぶりです。うだるような夏の暑さの気紛れかしらん。とても涼しい日ですね。そちらは如何でしょうか。
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最近観た映画 )
初めての大学のテスト期間中なのだけれど、金曜日は試験がなく授業だけだと思った途端に、昨夜バイト帰りにてくてくと歩き、日付が変わる五分前に映画とCDを借りました。
いつかの日曜日に借りた映画。
煩わしい思考や感情を洗い流すようにシャワーを浴びた後、眠る前に一本静かに映画を観ることを日課としているのです。その一本分の映画の時間は、ぼんやりと眠る前までの一日を振り返ったり、目が覚めた後のことを考えます。迚大切な時間であり、どんな時であれこの時間は取りたいと思う時間です。そう、まるで一日の終わりの儀式みたいなもの。
小さな草むらを会場に鈴虫が奏でるメロディーをBGMにして、真夜中に映画を観たり、借りたCDをiPodに入れたりしました。そんなことをしている内に久しぶりに深い眠りの底に落ちていて目が覚めたら、朝の十時半でした。
こうして文字に綴る度に、書ききれないほどの出来事や残したい感情を抱くので、その度に綴りたいと切に思うのです。中々、上手いこと行きませんね。嗚呼、もどかしい。
わたしが長いこと更新しない間にも、購読して下さったり、フォローして下さったりと、どうもありがとうございます。
それではまた更新します。