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季節外れのラムネを頂戴な

ポカポカの疲れを労うように包み込む日溜まりの中、まるで自由気儘な猫みたいに丸くなって眠ろう。目が覚めたら優しいホットミルクをゴクゴクと飲み干すよ。あっという間にね。


今やりたいこと

やりたくないことをやった疲労感と、やりたいことをやった疲労感は比べ物になりませんね。何が言いたいかと言うと、やりたくないことをやる疲労感は充実感と比例しないのです。やれやれ。

ここで言う“やりたくないこと”と言うのはわたしにとって“意味のないこと”ではなく、“有限であるわたしの時間を当てるに値しないこと”を指しています。

とは言え、疲労感と充実感の比例については人それぞれであり、勿論個人差はあるのだけれど、わたしに至ってはとにかく苦でしかないことをここ最近の出来事で確信したのです。

朝早くからの会議、要領も悪く遅い作業、理不尽な掟、食事代に伴わない食事、夜遅くの会議、不満や愚痴を溢す人々、激しく温度差のある組織。

この連日の為に今まで何となく行ってきたのだけれど、それすらも馬鹿馬鹿しいのでポイッと放り出している。


自慢ではないけれど、不思議なことに寝坊と言うものを、この今までの短い人生の間一、二度しかしたことがありません。寝過ぎてしまうことはあっても予定の時間には間に合うのです。

今朝は一度目覚まし時計で起き、まだ余裕があった為ベッドで考え事をしていたら二度目の眠りに入っていました。そして目が覚めた時には予定の時間を過ぎていて、最初に思い浮かんだのは“やらない理由”でした。

それから過度の疲労で痺れるような重たい身体を起こし、部屋着の上に着てみるとこじんまりとする、巨峰色のお気に入りの上着を着て、肌触りのよいマフラーをグルグルと巻き付けて、眩しい朝日に目を細めながらパン屋へと向かいました。

家に着いてからはすぐに溜まった洗濯物を洗濯しました。秋晴れの空の下、近隣の生活音、洗濯日和に沢山の洗濯をするのはこの上なく爽快です。

何本かの映画を観終え、これからすることは、これから先のやりたいこと、やりたくないことを真ん丸いホットケーキを焼きながら考えるということです。さぞよい考えが浮かぶことでしょう。


それでは。

詩集に綴られてる恋の秘密

今日読んだ本






静けさが漂う家の中で、美しい文字の羅列が綴られた詩集を見つけ、二冊読みました。初めて見つけましたが恐らく母のものです。

銀色夏生の詩集は高校を卒業するときに贈られました。ふんわりと冬にくるまる毛布のように、ひんやりと冷たく感覚をなくした心を温めた詩集は銀色夏生の書いたものでした。


木枯らしが舞い散る前、木の実は地に落ち、ススキが風に揺れる秋の日、車椅子を押しながら家の近くを散歩したのだけれど、主張することなく色付く稲穂や木々が心地良かったです。このまま秋風だけを感じて歩む先は、幸福しかないとさえ思えました。

静かに穏やかに命の終焉を向かえる様子を、どんな顔で、どんな行動で向き合うことが出来るかと問い掛けた日は、わたしをどこまでも“生き者”にするような美しい宵でした。月や星だけが生きた輝きを持たず、じっと問い詰めるようにわたしを見つめている気がした。


閲覧者や講読者がみるみる内に増えていくので驚いています。

どこから訪れ、どこへ行き、何を思い、何を考え、どこへ去っていくのかしらん。揺れるほおずきを眺めながら、そんなことを考えたりしてみたのです。

夏の端を隠れて切り取った

夏の思い出


三浦半島、城ヶ島、油壺、初めて訪れたその場所は名前を聞くからに、真面目な日本の海や真っ白いカモメ、塩の香りを思い起こさせた。

その日、そよそよと朝の風が心地良くて、今日は過ごしやすい日だと思ったわたしは柔らかく使い勝手の良いデニムのパーカーを羽織り、塗り絵をしたくなるような薄いスカートを穿き、スニーカーにリュックと、動き回るのに最高の格好で出掛けたのだけれど、予想以上に暑い日でした。


水族館も訪れたのだけれど、アシカは気だるそうに目もくれず、カワウソは何もかもそっちのけですやすやと眠っているし、なんともものぐさなことこの上ありません。それでも十分に可愛いのだけれど。

そうそう、可笑しなペンギンがいたのです。そのペンギンは人に一番近付ける場所まで近付き羽を広げ、口をぽっかりと開けていたのです。それも長時間もです。サービス精神が旺盛なのか、エサを待っているのか、夢中でパシャパシャと写真を撮っていたので、気付けばフォルダは可笑しなペンギンだらけでした。


それからイルカにも会いに行きました。いつだったか誰かが言っていたこと「イルカは幸せな人にしか近付かないんだって」誰が言ったかも分からないそんな言葉を思い出しながら、会いに行きました。

小さな黒い瞳はとても優しい眼差しで、すいすいと流れるように泳ぐイルカにうっとりし、一緒に泳げたらと感嘆の溜め息ばかりをついていました。胸がドキドキしました。


水族館を出てからは、頃合いも良く夕日を見に城ヶ島へと向かいました。遠い海原を掻き分けて吹く潮風は強く、わたしの緩いウェーブヘアーは鳥の巣のようになりました。カモメもトンビも気持ち良さそうに飛んでいました。

あまりの美しさにはっと息を飲むわたしの隣で「また来るから大丈夫よ」と、誰彼ともなくポツリと呟いた言葉に、キラリとした生きる希望の輝きを見ました。


切り取って、お気に入りの入れ物にしまって眺めていたい、そんな時間を過ごしました。夏の思い出の一つ。


お知らせに、ブログの名前を変更しました。

音と声が出ればそれでいい

薄灰色の空、雲の隙間から入り込む太陽の光、隣の部屋のドアが閉まる音。

真っ白な薬をゴクリと流し込み、するりとベッドの中へと入り、意識も身体もとろんとし始めることが堪らなく幸せで、うっとりとしてしまう。

鈍く痛むお腹も、重たい足も、切り傷やささくれが増えた手も、いつの間にか増えている身体の痣も、生きていることを文字通り“痛いほど”教えてくれます。それはそれで忘れっぽいわたしには、生きていることを忘れさせないでくれるので悪くはないと思っています。


季節の変わり目と言うのは、体調が不安定になるので用心していたのだけれど、急激な寒暖の波に飲み込まれてしまいました。

毎度のことのようにカーテンは日差しが入ることのないよう丁寧に閉め切り、くすみがかかった青のチェック柄のバルーンスカートを履き、ふらふらした足取りで買いに行った焼き立てのパンをかじりました。

全ての予定をキャンセルする作業は億劫で爽快であることを、強く感じました。今日のような日に行えば、その感じはひとしおです。



昨日はシュッと水を出した霧吹きの下を潜るような雨が降りました。迚冷たい秋の雨に濡れる金木犀の香り。


バンド

バンドのミーティングをしていたのだけれど、ライブで演奏する曲を決め、担当を決め、今後の予定をざっくりとだけ決めました。

経験者と初心者が半々、全員がO型、そもそも違うジャンルのサークルで集い、違うサークルへも所属を決めたような、自由で可笑しな集まりなのである。そんなわたし達は無名で何もなくて、これからの未来しかない、そんな胸がワクワクする場所に立っている。これから歩むこのバンドの仲間達と仲良く手を繋ぐよりも、荒々しく肩を抱き合ったり、小突き合ったりしながら歩んでいきたいとわたしは密かに思っている。ひっそりと。
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