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一輪一輪に宿る命の物語さ

写真:父への見舞いの花。父は医療関係に就いていて、病院の重役ということもあり、手厚く対応を受けさせていただいているのですけれど、そのうち、たくさんの花をいただきました。とてもよい香りがします。病室に入ったとたん、病室とは思えぬほどの、鼻をかすめるフローラルの香りがするのです。主に元気が出るよう、早く治るよう、黄色の花が多く、春の花であふれています。まるでここだけ春を先取りしたような空間。たくさんの方々にほんとうに感謝しています。どうもありがとう。


夜が規則正しく明けてゆく頃、目が覚めた父はふいに好んでいた木山裕策のhomeを流し聴きはじめたのです。この曲を聴くたびに父のお気に入りであることを思い出していたから、父が亡くなった後もやはりこの曲を聴くと父を思い出すでしょう。

そんなことを思いつつ、歌詞に集中していると涙が流れたし、時間の流れはいっそう速さを増した気がしました。時計の針はまた変わらず、同じ間隔で時を刻んでいます。たったそれだけのこと。


ありがとう。

そうそう、今日という日は素敵なことに、高校時代の珍しい友人から卒業以来初めて連絡がきたのです。いつだったか将来のことを、教室の窓辺で目を細め、ひなたぼっこをしながらぽつらぽつらと語り合ったことが彼女との思い出です。

そしてね、彼女はなんと言っても男前なのです!そこらへんにいる男の人よりも、おそらくずっと男前であると思います。少なくともわたしの男友だちと比べても男前なので、ホウッと感嘆のため息をついてしまいます。

とにもかくにも、とてもうれしかったのです。彼女とは夢をいっしょに見る仲でもあるので、こんなときに話せたことはほんとうにタイミングのよいことでした。どうもありがとう。落ち着いたら会いに行きます。


それでは。

さあ準備はいいかい子供達

写真:大学の授業がはやく終わる日、アフター6で行ったあざやかな色と夢であふれるディズニーランド。入り口でワクワクしながら、興奮する大学の友人において行かれつつ撮った一枚。


そういえば、久しぶりに高校時代のクラスメイト(女子)と連絡をとったのだけれど、いよいよ“エンジェル”と呼ばれ困った顔ばかりしています。どちらかと言うと、“エンジェル”よりも“デビル”の方がふさわしい気がしているのですけれど、めんどうなのでやはり困った顔ばかりしています。

それと同時にいつだったか友人に言われたことも思い出しました。「ふつうの人になりたいって思うことはあるの?」なんと言いますか、あらゆる前置きはどこへいったのやら、と思うような唐突さと、あまりにも可笑しかったので、わたしはただ笑っているだけでした。だって、自分でよくわからないのだもの。


癒やし

話は変わりますが、わたしの生まれ育った街は雪国なのだけれど、今年はいつもに増して大雪なのです。わたしは雪は好きなのでよいのだけれど、除雪作業に追われてしまうのはあまり好きではないのです。

とは言え、今年は追われるように除雪作業を行っているのだけれど、作業の途中に思いきりひんやりと白い雪にむかってうしろに倒れ、そっと静かに目をつむるのが好きでそんなことばかりしていました。ものすごい解放感と爽快感があります。

それで雲の流れだとか、風の流れだとか、をボウッとながめるのですけれど、こころがなだめられ、しんと穏やかになってゆくのを感じるのです。こころがいつのまにかどれだけ忙しなかったか、波立っていたか、荒んでいたか、よくよくわかりますね。

こころが静かになる時間を持ちつづけたいものです。かなしみもよろこびも忘れて。


それでは。

宙の椅子にお掛けになって

写真:親せきと食事へ行ったのですが、そのお店はまるで“不思議の国のアリス”の、穴へ落ちる場面を連想させるような景観だったのです。天井に吊るされた大きなスプーンやフォーク、大きなツリー、古びたトランク、アンティークの椅子。なんて素敵な世界観だったのでしょう!これにはほんとうに興味津々でした。そしてこの写真はその天井の一部の写真です。


満月の次の晩に、なにもかもがあまりにも悲しいから広い窓辺で、大きな花と並んで本を読みふけりました。その晩の月夜の美しさときたら、涙こそためらいもなく、キラキラと光り輝くことなどできません。

月と太陽が、なぜいつまでもあの距離を保っているのか、その理由がわかった気がしました。おたがいがおたがいをいつまでも優しく、温かく見つめられる距離だからなのでしょう。それも感謝の心をともなわせて。


ごくごくありふれた憂うつな、いつかの日に観た映画や読んだ本たち。







映画は、たしか雨の日の午後、なにもかもをほうり出して、くたびれた足どりでレンタルショップに行ったのでした。こんなに複雑で爽快な気持ちは、こんなときばかりな気がしますね。

本は、いつまでも病室で読んでいたものです。おじの若かりし頃、読み漁った本たちをこっそりと大量に拝借しているのです。それはそれは古い本ばかりで、本にはしみができているし、黄ばみ色あせ、長い時間がたったにおいがします。つまりは素敵な本だということ。


最近

そうそう、最近はじめたことがありまして、それは“満月の日には古いものを捨て、新月の日には新しいものを取り入れる”ということです。

どこかで聞いた話ではあるのですが、それぞれとてもよい効果あるみたいですね。わたしはそれをしてみると、夜空を見上げる楽しさがひとしおになるような気もしますし、自然のサイクルで生活するとなんだか気分がよいような気もしました。

気になった方は、ぜひともお試しあれ。


それでは。

冬の庭園から春へお土産に

今宵の星たちは、ささやくようにおとぎ話をいくつか読み、お月さまは眠たそうにまぶたを閉じていくような形をしている気がします。おのずとまばたきは惜しまれ、呼吸は静かにおこなわれます。


新年初の記事となりますが、喪中のためごあいさつは控えさせていただきますね。


最近の出来事

ふり返れば、師走の月からそれはそれは忙しない日々を送っていました。それでも“心を亡くすこと”だけはせず、しっかりと亡くしてしまわぬよう抱きしめていたのです。さもないと、寒空へ、すうっと溶けこんでいってしまいそうだからです。今後も気をつけたいです。


具体的には、愛する祖母が静かに天国に旅立ったと思えば、とても悲しいことが分かったのです。体調が悪かった父が末期ガンであったということを知らされました。

余命も残りわずかということで、穏やかに家族で過ごすことを決めました。それからというもの、大学病院へ行ったり、地元の病院へ行ったり、抗がん剤での治療が始まったり、西へ東へ、止まることなく動き回る、そんな忙しない日々を送っていたというわけです。


また、わたしの生まれ育ったところは、しんしんと雪が降り積もる雪国なのですが、例年にも増して大雪なので、除雪作業にも追われていました。

それでも雪は好きです。なにもかも白くおおい隠してしまうから。色とりどりのあざやかさがない季節もまたよいものです。一年の始まりと終わりが、まっしろで、まっさらな状態になると、心もまっしろでまっさらにしてくれるような気がするのです。


新年早々、忙しない日々を送っていますが、今年は“温かい人”になりたいです。そして、“表現者”でありたいです。

どうか嵐のような日々の中でも、心は日だまりのように、穏やかで温かく過ごしていけますように。
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