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春の匂いがするって鳴いた

写真:小さい頃、春が近づき、このかわいた道を見ると春が目に見えるようで、とてもワクワクしていたのを覚えています。みじかい通学路をスキップして帰った日は、ちっとも悲しくなんてありませんでした。春になって、庭で産まれる子猫たちに出会うのをたのしみにしているのは、今も昔も変わっていません。


身近な死 )

2013年2月23日5:48

わたしの世界でたったひとりの父であり、わたしの家族のひとりが、惜しみ惜しまれこの世を去ることになった日。


はじまりは去年の12月12日でした。祖母が亡くなる日の午前中、末期のすい臓がん、すでにあちこちに転移があることを宣告され、その日の午後、祖母はやっとの思いで、あの世へと旅立っていった日。

病気を宣告されて、亡くなるまでの期間2ヶ月と12日。この時間は長いか短いか。神様が与えてくださった、わたしたちのこの世で家族そろって過ごす、最期の“家族の時間”。

父が生きたくて生きたくてしかたがなかった今日を、わたしが、あなたが、わたしたちが、生きている。

わたしは父の生きたかった今日を生きていることを、忘れずに忘れずに、生きていくのです。


朝になれば太陽がのぼり、夜になれば星がまたたき、そして朝が近づけば月がしずむ、その事実とおなじところにある、この事実と現実。

“死ぬ”ってどういうことなのでしょう。“生きる”ってどういうことなのでしょう。

少なくとも、“死”は“形を変えること”だと思うのです。形を変えて、この世界に存在し続ける。そういうことなのだと信じていたいです。どんな形で大切な人が、ものが、なくなろうと、そしていつかわたしが死んでも、形を変えてこの世界に存在し続けると、わたしは信じて生きていきます。


またね。
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