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森のパン屋の看板娘はリス

ブランコに乗って大きく揺れる頃の靴を遠くへ飛ばすように、どことなくくたびれた日常を遠くへ飛ばそうと思っています。飛ばした靴を拾いに行くのもさぞ億劫なことでしょう。


パン

この前の実家へ行っていた時、気になるパン屋さんがよく家族で出掛ける時に通る道にあるので訪れたのです。写真はその時の出来立てのパンです。家族で沢山の種類のパンを買って試食会をしました。

迚フワフワしているし、温かい味もするのです。山奥で作っているからかしらん。山鳥の囀ずりや木立が風に揺れる音等が隠し味なのかもしれません。


メッセージの中にアルコールについて言って下さった方がいるのですが、誤解を招いたと思うので、追記ではなくあえてこちらで返信をさせて頂きますね。

わたしの友人の中には未成年ではない方もいるので、その方々はアルコールを摂取しますが、わたしはノンアルコールでした。とは言え、証拠と言うものもブログには存在しないので証明をすることは困難なのですけれど。

メッセージを下さった方、どうもありがとうございました。誤解を招いてしまった方々は申し訳ありませんでした。


沢山の誕生日を祝う言葉をありがとうございました。温かい言葉を紡ぐ方々に祝われることを光栄に思います。そんな素敵な方々のようにわたしも素敵な歳を送りたいと思います。

早送りか巻き戻しを列車で

夏の思い出

あの街で暮らしていた頃の知人達とずっと会わなくても良いと思っていました。これが最後だと、これで最後だと、そうぼんやりと考えていたからです。

あの街を離れて過ごす夏、わたしはなんとなく彼等に会いにあの街を訪れた。山の中の駅、古びた列車を見送る彼等を眺めていたら、その理由が分かった気がしました。

わたしが何処にいて、誰といて、何をしているかを教えて欲しかったのです。わたしの過ごしたあの街から、今の街を、今のわたしを傍観したかったのです。

鮮明で虚空の現実から逃げているような気持ちと、あの街で過ごした温かな日々を生きているような感覚をひしひしと感じていました。

屋根のない田舎のホーム、大きな河に添う線路、列車の側で写真を撮り、ずっと手を振る彼等。見送られた列車の中、二人掛けの席で窓の縁に頭を委ねて、心がわんわん泪を流す中、わたしは暫くの間、ぼろぼろの涙を流した。


人間臭くて温かくてドラマチック。

脱ぎ捨てた十八歳をたたむ

夕暮れにそよそよと髪を揺らすほんの少し涼しく、淋しくなってきましたね。夏は出掛ける準備を始め、秋は少しずつ戸惑いながらやってきています。


誕生日

八月十九日に十九歳になりました。

ここ最近なんとなく心がソワソワザワザワしていたのです。それは十九歳を生きる自分を想像することが出来ないからなのか、また心と経た年月の差が開くからなのか、それともまるで虫の知らせのようなものでこれから生死を分けるとてつもなく大きな出来事が起こるのか、そんなことを考えて過ごしていました。


何人もの方々に誕生日を祝って頂いたのですけれど、この世に、この世界に産み落とされたそんな日を祝うことや、ましてや両親や先祖に感謝することなど、今は出来そうにもないので、祝ってくれる彼等の優しさと真っ直ぐさに感謝を伝えています。


最後の十代である十九歳をどんな風に生きようかしらん。音楽、写真、文字、それらを使って表現する表現者やアーティストで在りたい。一寸先も想像することの出来ないわたしは、創造していく者で在りたいだなんて、なんだか変な感じもするのだけれど、そう在りたいと思っています。そう、今日はそう思うのです。


ブログを更新する度に購読者様が増えているので迚驚いています。どうもありがとうございます。何らかの形で繋がっていることがほんわか温かなことだと思うのです。なのでメッセージやらお話等を是非お聞かせ下さいな。

時計の針にしがみついてる

路傍に転がる蝉の死骸をじっと眺め歩くことが多くなりました。夏の終わりを連想するよりも生の終わりを連想することの方がずっと多いです。メランコリーには慣れているし、ファンタジスタで在りたいと思っているもの。


同窓会

実家に戻ってきているのだけれど、毎日毎夜予定を詰めに詰めています。高校時代の知人達との再会を果たし、アルコールで彩っています。

変わった環境に変わらない姿は、環境の変化をますます浮き彫りにさせるようです。わたしの知らないどこかの街で確かに生きる彼等を感じました。


詳しくその時の話をすると、ファミリーレストランが似合う私たちは似合わない宴会場の食事をつまみ、場の空気に酔い始めた人の流れで流星群を大きな湖のほとりへ観に行きました。

夜空には星が散りばめられているのに、まるで寂しさと各々の葛藤が夜空を埋め着くしているような気がした。その場に居た皆が寂しさを抱えて過ごしていたのだと思う。卒業をして間もないこの時期は、つまりは“そんな時期”なのだろうということを静かに悟った。


彼等と再会する日を自分でも驚く程、心待ちにしていたのだけれど、その理由を実家へと向かう電車の中、空が雷でチカチカと光っていた時に気付いたのです。

なんとなく遣り過ごす毎日を繰り返して、眠りから目を覚ます度に心の弾力が失われていくことから目をそらせなくなっていたのです。くたびれた今から、見慣れた景色の中に戻りたかったのかもしれませんね。

戻れないことを頭で分かっていながら、心に突き付けられてしまったのだけれど。


そうそう、いつの間にか講読者様が増えていました。どうもありがとうございます。それではまた更新します。

本の虫は古本の隙間で眠る

いつかの寒い冬に読んだ本。


本の感想


規則的な生活を感じさせない、自由気儘なゆきのの生活が迚好きでした。弥生の能力、断片的な記憶を繋ぎ、思い出す過去、今までの家族との関係、血の繋がっていない弟との恋。哀しくて、もどかしくて希望に溢れている物語でした。


鳥海人魚という、印象的なヒロインの名前が素敵で、由来は、誰からも愛される子になるように、と言うらしいのです。2つの話の中で、永遠に続くような錯覚をするところ瞬間、これが幸福なのだろうと思いました。


キッチンで寝てしまえるだなんて、凄い。第一声がそんな声でした。読み進めるにつれ、何となくその“理由”が分かってくるのだけれど、“根拠”は未だに分かりませんでした。疑問が生まれたけれど、わたしの生活の中で、いつか花火が打ち上げられるように、パッと分かる時が来ると思うと、待ち遠しい。


「どうして人が遺跡を作るか知ってる?」ユリさんの一言に、その言葉以上の何かが、静かに穏やかに潜んでいるように聞こえます。お気に入りの台詞です。


現代風に仕上げられた、お伽噺。個人的には、“グロテスク”と言える域でした。けれど、何処かで起きていてもおかしくないような話であった気がします。でも、それって、迚悲しいこと。


雪風と七竈の別れの場面が、冷たく輝いていているような、そんな場面で迚好きでした。切なくて堪らない感情など、運命という目に見えない茫漠とした存在感と圧力を持って、二人に容赦しないのです。


短編集のようなものだったのですけれど、どの話も皮肉たっぷりで、しかもそれは、誰でも心の何処かに住み着かせているような、決して特異なものではない“皮肉”であったりした気がします。


時田くんのような人が、身近に存在したら、この毎日が「?」だらけになって、前が見えなくなってしまいそう。けれど、一つ一つに答えを見付けていたら「!」だらけで、それはそれで、愉快だなあ、なんて、ぼんやりと考えては、時田くんに惹かれました。

黄色い髪
嗚呼、これって、とある彼女の為に綴られたのではないかな、と思うような、小説ではなく、自叙伝のような本。この言葉に尽きます。
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