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待ち侘びた暁光の訪れ

ご無沙汰しております。
長い間更新が途絶えておりましたが地震による被害は特になく、家族共々無事でいます。
ご報告が遅くなったこと、お詫び申し上げます。



3月10日、高校を無事卒業しました。
予想通り最後まで泣くこともなくてあのクラスメイトと別れることも寂しいと思いませんでした。
ただ良くして下さった先生方や可愛い後輩に寄せ書きを書いて貰えたことは嬉しかったです。


1月末の時点で既にいつから登校拒否しようかと考えていました。
緊張ばかりしていた入学当初。
仲良くなれたと思い込んでいた1年目。
私の勘違いから傷付いた2年生前半。
逃げて泣いて苦しかった2年生後半。
演劇以外の全てを諦めていた3年生前半。
受験と舞台に意識を集中させ、その後は卒業までの日数を数えるばかりだった3年生後半。
今思えばクラスメイトと何処かへ行ったのが女子高生にしては大分少なかったように思います。
特に団体行動になる授業外のものには全くと言っていい程行ってません。
最後の行事であった卒業遠足の某ランドにも行きませんでした。
クラス替えの無いことがとても苦痛でした。
3年になるまで他クラスに知り合いが2人しか居なかったので簡単に逃げられず、何度精神不安定になり保健室へ向かったかわかりません。
教室で泣いた事もありました。
知ってか知らずか誰も声を掛けて来ませんでしたが。
蔑ろにされ、話し掛けても応えてもらえず、演劇授業の連絡すらされなかった事もありました。
3年間の集大成である卒業公演の時でさえ、です。

正直、卒業公演の本番直前に組んだ円陣の時に泣きそうになりました。
解放されることへの安心感からです。
もうクラスの顔色を気にしなくて良い、無理に学校へ来なくて良い、全部今日で終わるんだ。
でも周りと同じように「皆で頑張ってきたこと」を思って泣いていると勘違いされたり一緒にされるのが嫌で泣くのは耐えました。
それと同時に「3年あってなお友達にも仲間にもなれなかった」事が凄く悲しかったのを覚えています。
結局このクラスの“皆”や“全員”は“私”を除いた“皆”なんだ、と。
とてもとても悲しかったけれど割り切って客観視すると意外に楽になれました。

きっと入学当初に「うわーそんな事考えるんだぁ」とさりげない拒絶をされたときから私が馴染めない事は決まってたんだと思います。
どれだけクラスの事を思っても仲間でなければ意味はありません。
先生からの連絡事項を教室内で伝えても誰も聞いていなかったり、同じ係りのペアの子が私には教室聞いて仕事内容を教えず他の子とやって私が手伝わないと言い出したり、クラス内での出来事を私だけ知らなかったり、意見を出しても聞いてもらえなかったり。
救助活動の指導を受けた時に「友達の名前を使って呼び掛けてみて」と言われ真剣に「誰のこと?」と思ってしまいました。
3年の体育でバスケのパス練を一緒に組もうと声を掛けたとき、即答で嫌と言われ泣きました。
1年の時によく一緒にゲーセンに行ったその子は2年の中頃から掌を返したように冷たくなり3年では殆ど会話もしていません。
無理矢理会話に割り込んで来るのを嫌がられている事に気づいていなかった子はクラス会議で今後皆で注意して改善する約束をしたにも関わらずそれから2年の間、改善どころか急激に悪化していきました。
個人的には信じられない事ですがあれだけ大騒ぎしたにも関わらずその子が改善の努力を全くしないまま他のクラスメイトは受け入れたようです。
私もいつまでも成長しない彼女を性格は治らないと諦めて受け入れれば良かったのでしょうか。


3年間、本当に色々な事がありました。
卒業式の前日もまた嫌な思いをしなければならないのかと朝から泣き、遅刻ギリギリまで登校を迷いました。
寄せ書きも上記の2名には書いてもらわず、また何も言われなかったので書きませんでした。
自分で言うのも何ですが友達もいない3年間をよく耐え抜いたと思います。
演劇関係、Sound Horizon関係、エムブロ関係の皆様のお陰と思います。
苦悩やあのクラスへの心残りを並べれば書き足りませんが既に長文ですので割愛いたします。


私を支えて下さった方に最大限の感謝を。
4月からは4大生になりミュージカルを学びます。
また既に8月の公演も控える身ですので精一杯頑張りたいと思います。
今後ともよろしくお願いいたします。

丗把
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