今日はまず呉へー。
呉といったら軍港。そして戦艦・大和。なので大和ミュージアムへ。
正直、さびれた博物館を想像していたんですが、さびれたどころかびっくりするほどの賑わい。…ていうかツアー客ぽいおじいちゃんおばあちゃん+地元の小学生。そりゃ賑わうわ。
中には大和の十分の一スケールの模型がありまして、それだけで既にたぎってくるものがあります。
展示内容は大和以外に呉で作られた戦艦のことや、戦艦に乗っていた海軍兵士の遺物、記念品などでした。過去に見た軍隊関連の遺物の記憶と照らし合わせつつ。やっぱり陸軍とは違うなー。記念品の磁器の柄が、海軍独特のモチーフとか。瓦の柄が海軍独特の錨とか。この場所に使えよ!指定のされたレンガの線刻とか。
個人的な視点以外にも、呉製の各種戦艦の説明や、揚力や浮力を説明するためのワークショップなど…すげー楽しかった。沈没した大和から引き上げた遺物には沈んだ時の苛烈な状況も垣間見えて、戦時中の雰囲気も少し感じ取ることが出来ました。
お昼に近くのカフェで士官カレーを食べた後は(タンが柔らかくてまじ美味かった)、向かいの海自史料館へ。表にどんと構えた潜水艦がインパクト強くてさ…中身は海自の歴史から掃海任務の内容など。機雷なんかを除去するお仕事ですね。太平洋戦争時や湾岸戦争時に使われた機雷を除去したりしていたそうで。
機雷にも色んな種類があるんだなあと。音や感知はわかるんだけど、磁気探知は驚いた。金属に反応して爆発するので、掃海任務に就く船は木製の物を使うそうです。
そうして除去した機雷が展示してあったけども、こんなんぷかぷか浮いてる海ってのはやだな。誰かを殺すために振り絞った知恵の結果がこれか、と疲れる気持ちもありました。
表に構えていた潜水艦の中もちょこっと見学出来て、潜望鏡も使えたので見てみました。とりあえず背の高い人は頭を一回ぐらいはケガする。計器類がごちゃっと詰まった様は小説を思い出して楽しかったー。魚雷発射艦室はやっぱり軍隊のものなんだなと思い知らされて、物々しさもありましたが。。
その後は広島平和記念資料館へ。言わずもがな、原爆ドームのある所ですね。一度は見に行かないといけないかなと思っていたので、行ってきました。とりあえずここは自家用車の駐車場がないので、行く人は注意だよ!
修学旅行やら社会見学やらの小学生や、ツアーらしき外国人の間を進んで見学しつつ。
ここは感想といいますか…見ていく内にしんどさが募ってきて、途中から泣きそうになるのを堪えるのが大変でした。私が泣きそうになるのはお門違いなんだけどな。
沢山の人を一瞬で、あるいは継続的に殺すには、原爆は有効なんだろうな。
原爆が落ちるまでの広島、落ちた時の広島、落ちてからの広島。教科書やテレビで見るよりも雄弁に遺物は語ってくれます。その遺物の持ち主の皆さん全てが、原爆が落ちて数日の内に、あるいは遺骨さえ見つからずに死んでいった人や子供ばかりで…その瞬間に死ななくて良かった人ばかり。教科書などでよく見た、原爆によって焼きついた人の影や物の影、石壁に食い込んだガラス片、被爆した手から生え続ける黒い爪は威力の凄まじさというより、異質さを訴えます。
人が持ちうるにはあまりに大きい力で、それを抑止力として有効だと言う国はなんなんだと思う。…もう充分でしょうよ、これだけの事実を目の当たりにすれば。
気持ちが詰まる部分があまりに多すぎて、凄まじかった。
それから見た外の風景は平和でね。原爆ドームは写真などで見るよりも小さいです。原爆ドームは年々小さくなっていくね、という被爆者の方の言葉が妙に思い出されて不思議な気分になりました。
周りの風景はぐんぐん進んでいくんですよね。ただ、原爆ドームだけが過去の姿そのままでぽつんとある。
ああこれが歴史ってやつかなあと思いました。
風化させるべきじゃない。
先にも書きましたが、誰かを殺すために振り絞った知恵の結果がこれか、と思うと疲労感を覚える。
ツアーで見に来ていた外国人の皆さんはどう感じたのかなあ…。
核は異様、異質の力。それを作るも使うも人次第で、人の方が核に使われないようにしなければいけないんだなと…より一層、二度と使ってはならない物だと思いました。…後は使った側がどう思ってくれるかだけども。あの資料館はさ……ほんとに辛い。
一度は見に行くべきだと思います。
その後はお宿でゆったりお風呂に浸かり、ご飯を食べて飲んだくれなうです。
このあたりもかつては焼けたのか、と思うとなんともいえない気持ちになります。