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ほんのりお山を越えて

嫌な仕事を二件終わってほっと一息です。この一週間の後半が本当に嫌だった。前半は良かったんだけど。なので終わってほっとしてます。また四月の末に向けて何事もないといい。
別の部門で仲良くしている人が、頑張っているのがしんどくなったから辞めたいという話をしていて、あの部門じゃせやな…と頷くしかできないのがつらい。頑張っても報われない、他の人は時間や仕事にルーズ、と不服に思う部分がどんどんたまって爆発しているというか。傍から見てもほんまそれとしか言えないのに、同部門に味方が少ないのがもう…それ仕事してんのと違って学校でのお遊びと違うのと思えて。それも三十代〜五十代のいい大人がだからたまったもんじゃない。

これに関連して他にももやもやする話を聞いちゃったので、今も悶々としてるけど辞めないでほしい。仕事も時間もきっちりとして働く人だから、私は頼りにさせてもらってるし。いなくなったらどれだけ無法地帯になるのやら。

「神」とつくけど神様ではなく

ツイッターで流れてきた論文のコラムを読んでいてそういう言葉が出てきたので、自分はこういう部分をさらっと考えていたなあと思って。ちゃんと資料を調べて言葉にして形にしてもらえることではっきりとしてくるものもあるよなあ。ありがたい。
自分は「神」とつけることで昇格させるわけでも零落させるわけでもなく、「自分とは違う畏怖すべきもの」として日常の世界から線引きするようなイメージでした。日常の世界、自分の世界、自分の常識が通用する世界といってもいいもんか。それとは別のものがありますよ、って線を引いて隔離するような。
祀るのは行動による意味づけで、「神」とつけることその事に意味を持たせるのはそう呼びたい側の話のような。だから「神」とつけたところでそれは良い神でも悪い神でもないってだけの。
銀色夜話で神様だの何だの出したりしてますけど、気持ちはそれ。「神」と名付けたものそれ自体に善し悪しはなくて、それはそのものとしてあるだけのもの。ただし同じ次元で考えるには無理がありすぎるから、言葉で線引きしてみましょうか…ってもう気持ちの問題だけのようなあれですが。基本は適当なので、その場その場ですけどね。

というわけでお久しぶりでした。
気づけば三月でした。もうすぐ四月です。早い。仕事の愚痴もさることながら、楽しみもそこそこ種まきしているので芽吹くのが楽しみです。でも嫌なもんは嫌なんだよ。
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