薬飲みきったのに声が戻りません。私は一生この掠れ声のままなのでしょうか。いい加減本来の自分の声が思い出せないっていうかなんでもいいから今週中に戻ってくれないと稽古に支障が出るよ!
5月は終わりました。
写真は返し前のただのお遊び。通称「四天王照明」。うっかり上手に私が居ます。
…楽しかった(四天王照明でなく)。というのは嘘ではないけれど。
でも、身の振り方を考えなければなりません。6月ですべてに答えを出さなきゃならない。もう時間が無い。あと1年半しか芝居できないのに、迷ってる暇なんて無い。
6月は、「死にたい」です。
ままならない面子でままならない三人芝居を作ってます。
楽しいからこそ、しんどい。空気が、時間が濃密すぎて。
この人たちに失望されたくない。肩を並べていたい。三人で、みんなで一緒に、いいもの作りたい。演出に応えきりたいし、共演者にも応えきりたい。
というわけで足引っ張らないように頑張ります。
っていうかだから声がね!!
続きから、「死にたい」について徒然と。
2011-5-20 07:05
遠い朝を夢見てた
言うても私「死にたい」は思わなかったんですけど。
いま死んだって遅いから。砂の果実じゃないけど、生まれてこなければ良かったのに、の方だった。
うん、マザコンが作用してるのは自分でも分かってる。あれ?逆かな?
今回の顔合わせで呑んだとき、本が本だから濃いめの話を結構して。
共演者に、だから明咲の根底は「ごめんなさい」なんだね、と言われた。
あーなるほどねー、と。重いことは特に言ってないのに、最近仲間に言われて「そうか私ってそうかも」と思うことが多い。自己分析力の欠如。
でもさ。
大学入って、変わったなあって自分でも思うんだよ。
多分それは、自分の力で欲しいものを勝ち取ったから変われたんだと思うんだけど。
楽しくて。毎日。
いいことばかりとかじゃないけど、楽しくて。
あれ?私ってこんなんだったっけ?って。
だから、ある程度あの台詞は(どの台詞だよ)(まあ演出の現状そのままみたいな台詞なんですけど)内側から吐けると思ったんだけど。それはちょっと違った。
演出は「幸せになった」から変わったけど、私はどうやら違うらしい。いや、いま私は幸せだけども。
でも、こうして生きていくしかないんだ、って覚悟をしつつある。それが諦めなのか何なのかは分からないけど。
うーん…あのシーンは難しい。いいものにしたいのだけど。いやするけど。
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