彼のキャラソンの脳内ぐるぐる率はハンパないですね。今も回っております。
ので今日は兼続当たるかなーと思ったら当たらなかったので慶幸間違えた回る慶次と泳ぐ幸村です。慶次が回ってるように見えないことなんておれが一番よくわかってる…さ……
眠かったため本日はお題二つだけ。
ここで突然の珠慧梨さんによる知っててもあんまり役に立たない歴史豆知識のコーナーいえーいぱちぱちぱちー。
戦国時代には家督というのはとても大事ですね。家を継ぐ場合は基本的に長男がお嫁さんを貰って継ぎますね。例外もありますが。
女子はもちろん嫁の貰い手があればそちらに嫁入りするわけですが、家を継げなかった次男以降の男子はどうなるのでしょうか。
婿養子として他家に迎えられて、そこで家を継ぐ人もいますね。女子は基本的に家督を持つことはできませんから、男子に恵まれなかった家庭は他家の次男以降の男性に婿養子に来てもらうことで家を存続させなければなりません。一家断絶、というのは絶対避けたいですからね。
それでも婿養子に出ることもなく、もしくは一度婿養子に出たにも関わらず離縁されてしまって家に戻されたりしてずっと家にいる人が出てくるわけです。彼らは家督を継いだ長男一家の扶養を受けて生活しなければなりませんね。そういう男子を「厄介者」と呼びまして、今の「厄介」という言葉の語源になったとも言われているようです。「厄介」の語源は他にも説がありますが。
ここで本当に厄介なのは一般家庭ではなくて貴族や士族などそれなりの地位にいる厄介者男子の皆さん。彼らは「厄介者」とはいえ良家の出身でありますから、かなりの教養をお持ちです。そういう方が婿にもいかず出仕もせずにプラプラしてたわけなんですけども、趣向を変えて音楽や絵などの芸術方面で大活躍された、ということなんですね。
なんでこんなこと突然言い出したかっつうと前田慶次が代表的かつ有名な「厄介者」だっていう話なんですね。当時の前田家の当主は利家ですから。慶次が教養人だということは有名な話ですが、厄介者であるがゆえに彼は芸の道を究めることができ、役者としても有名になったわけです。
っていう話がしたかったんだけど思いのほか長くなった。いや、学校でゲームばっかしてるわけじゃなくてちったぁ歴史の勉強してるんだぜってアピールしたかったんだ……ところで誰か俺の色ヒノアラシ粘り代わってくれ。
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