スポンサーサイト



この広告は30日以上更新がないブログに表示されます。

鏡と月と暗号

界は暗号に満ちている――

 有栖川有栖「暗号を撒く男」より



前に読んだまま忘れていたこの話を読み返して串カツ美味しそうだなと思いながら、夜にお酒を飲みに行ったのが二十八日のこと。
(実際に読んだのはペルシャ猫の文庫に収録されている方)

帰宅して、お風呂の中でこの話が私にとってどういう存在になり得るか気が付いたのが日付をまたいで二十九日のこと。

要はこの話の仕掛けが、私がしたかったことなんですよね。記憶を辿ればこの話を読む前からぼんやり願望としてはあって、かといって初めにこの話を読んだときも特に何かを意識したりはしなかった。
けどよくよく考えてみると私の思い描くあれとこれは同じものだよねと思った。どこでどうしたかったのかは置いといて。

私がしたかったことがもうここにあるんだってお風呂の中で気付いてしまって、そのまま湯船の底に沈みそうでした。
ぶくぶくでしたね。.。o○←変換もぶくぶくしてくれた

「暗号を撒く男」のトリックというか暗号は、シンプルだけど美しいと思うんです。うまく言えないけど魔方陣っぽい。
美しいと思うからこそ、私もそれと似た発想に魅力を感じていたのだし。

そうして今日が三十一日の日曜日。

私の目の前に再び、ばらばらに撒かれた記号たち……つまりあの暗号たちが現れたので思わず心臓のあたりがひやっとしました。しかも映像として。

「暗号を撒く男」はドラマのワンシーンとして、なんと映像化されてしまったのです。
そりゃシリーズの映像化なんだからあり得ることなんですけど、こうピンポイントで時期が近いとさすがにどうかと思う。私が。

今日のドラマは「准教授の身代金」でした。
動機に、気持ち悪い(悪い意味で)のにちょっと気持ち悪い(良い意味での)陶酔が見えて好きです。

この日記もなさそうで実はある程度の制約のもとに記述をしています。
たとえばフォントの大きくなっている頭文字を繋げて逆から読むと一月でひとつの文が完成するとか……は無いですけど。

深いところに隠された意図を汲み取らないとわからないこと、一部の世界ではそれを暗号と呼ぶ。

私は自分の思っていたそれが暗号だとは思わなかったのだけど、人間関係におけるディスコミュニケーションの一例ではあると思っていて、まさに〈意図を汲み取らないとわからないこと〉。だから、

話をぶち切るのですが私いま『ペルシャ猫の謎』の文庫をめくりつつ日記を書いていて
(こちらにも「暗号を撒く男」が収録されている)
その中の一篇「わらう月」を読んでいるのですが私の記憶よりだいぶあれな話で、これこんなあれな話だったっけ……と困惑している。
そりゃあ官能小説のオファーもくるよこれ特にオサムくん

「わらう月」は漫画化もされた話だけど、オサムくんのところはまるまるカットされていた……はず。さすがの乙女雑誌アスカであっても……。

わらう月の中で、語り手は月を恐怖の対象であるということは口にしても、その理由や月にまつわる特殊な記憶のことは一切口外しない。
ラストシーンまでにその秘密を知る第三者は読者だけだ。
この作品でいえば月が暗号なのだろう。
月は月だけど月そのものではなく月という枠のなかにある色々な記憶と思惑のことであって、それの象徴が月。そこに迫るのが我々。解けっこないけど。

厳密に言えば暗号ではないけれど、秘密という部分では共通していると思います。
人間の持つ秘密に手をかけるのがミステリなのかな。


〈終電を見捨ててふたり灯台の謎を解いてもまだ月の謎〉(穂村弘)


私のTwitterを知る人にはこの日記がいつ書かれたものかばれますね。

前の記事へ 次の記事へ