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忠宗公のご命日と身内の命日

今日は忠宗公のご命日です。
政宗公の跡を継がれるのは一筋縄ではいかなかったと思います。
忠宗公は政宗公が築いたものを安定させ家が継がれていくようにご尽力された方だとも思っています。

前に読んだ「伊達政宗最期の日々」で出てくる、親子の最期のスキンシップが切なくも素敵でした。




そしてまた今日は身内の命日です。
毎年前日にお坊様が読経に来て下さいます。

このお坊様今はご子息ですが、元々は葬儀に来て下さったお父上のご住職様が来て下さっていました。

我が家はお寺から遠く、檀家でもないし、まして葬儀の時に葬儀屋さんが間違って「違う派閥(宗派は一緒)」のお坊様を呼んでしまわれた…という経緯があるにもかかわらず、毎年来て下さっています。
(お坊様も我が家も派が違う事は気にしなかったという事もあります)
ご住職がお年を召されたのもあったりして、ここ10年位はご子息のお坊様が来て下さっています。

で、この話題が何故「伊達家関連」かというと…

あちこちでよく売っている小さなプラスチックの具足が我が家には「前田利家(親所有)」「伊達政宗公・片倉景綱殿(私所有)」があり、台の下に置いてあるのですが、一昨年お坊様がいらっしゃった際にそれを見つけられ、
「母方の先祖が義姫の家臣だった」
とおっしゃったのです。
それをお聞きし、テンションが上がりましたが、お坊様は
「でも伊達も最上もあまり好きじゃない。蒲生が好き」
とおっしゃっいました…。
しかも蒲生氏郷さんはキリシタン…。

ちなみにお坊様はお話が面白く、説話のようなお話からお好きな歴史や鉄道まで色々なお話をして下さいます。

今年も昨日読経に来てくださいました。
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