子供の事情編
「なんでアンタは、いつもそーやって俺を甘やかすんですかっ?!」
不意に頭を撫でられ、思わず叫んだ。
この人は俺の顔を見る度に、なんだかんだとちょっかいをかけてくる。
今だって、ただに並んで歩いてただけなのに、ポンポン…と、あやすように頭を撫でられて…つい、ムキになって乱暴に振り払ってしまった。
スキンシップは嫌いじゃない。けど、あからさまに子供扱いされるのは苦手だ。
そんな風に扱われた事も、そういう態度で接してくる大人──親ですら──も、俺の周りには居なかった。
尤も、俺にそんな舐め切った態度を取った奴等は、もれなく地面とお友達になる──というか、して来た訳だが…残念ながら、この人にその手が通じないという事は嫌というほど承知している。
この池袋で、最強と謳われる男──平和島静雄──を相手にして、勝ち目などある筈がない。
それ以前に、この人は聞く耳なんざ全く持ち合わせちゃいない。そりゃあもう、ため息つくのが馬鹿らしくなる程、清々しくスルーしてくれる。
何度、頭を撫でるのはやめてくれと言っても、会う度に必ずやられるし、街中であろうが平然と抱き付いてくるわ、唐突にキスしてきたりするわと、訳の判らない行動ばかりする。
そして、挙げ句の果てに──あろう事か、男の俺を押し倒し、コトに及ぶという暴挙に出た。
俺としては、誰かさんに操を捧げるつもりは毛頭無いし、ぶっちゃけ突っ込まれるのが初めて…っつー訳でもない。
自慢にもならないが、どうやら俺は、その手の輩からすると、絶好の的に見えるらしい…。だからと言って、大人しくされる側でいるようなタマでもない。
むしろ、そんな奴等は率先して、二度と変な気を起こす気になれないくらい、フルボッコにしてやるのが俺の主義だ。
ただ…この人がそっち方面もイケるクチだった…という事には、少なからず驚いた。
…まぁ、誰かさんの挑発にあっさり乗せられて、あんなコトしちゃう辺りで充分どうかしてるとは思うが…。
それ以来、街中で会う度に、様々な理由をつけては、俺に世話を焼いてくるようになった。
帝人なんかと一緒の時は、声を掛けてくるだけだったりするけど、今日みたいに独りでブラついている時は、ほぼ、確実に捕捉される。そして、何故か俺の行く先々に延々ついてまわる…という謎行動にでる。
まるで、うっかり餌を与えちまった犬猫に懐かれたような気分になるので、是が非でもやめて頂きたいのだが、以前、人込みに紛れて撒こうとしたら、恐怖映画も真っ青な迫力で猛追され、そのままお持ち帰りされそうになったので──というか持ち帰られた。しかも、肩に担がれるという屈辱的な格好で!──それ以来、無駄な努力はしない事にした。(あれはマジで恐かった…。真顔かつ無言で延々と追って来る様を想像してみてくれ。ハッキリ言って俺は、泣き叫んで土下座して、詫びを入れて許しを乞いたくなるほど恐かった…)
なぞ、ナゾ、謎。 行動全てが謎だらけ。
そもそも、誰かさんの挑発に乗った時点からして謎なのだ。
どう考えても、この人に最初からそっち系の趣味があったとは考え難い。
突如として目覚める奴が居ないとは言わないが、俺の見立てでは、この人──静さんは、その手の輩を毛嫌いするタイプ。
しかも、取り付く島が無いくらいの完全拒絶系。………だと思っていたのだが。
なのに、何処をどう踏み違えたら、こーいう事になってしまうのだろう…?
「どうして俺なんか構うんですか?」
ある時、どうしても耐えられなくなって、そう訊いてみた。そしたら静さんは、暫く考え込んだあと『気になるから…?』と、ポツリと答えた。
俺はますます訳が判らなくなった。
気になるから…ってナニ?しかもケツに疑問符がついてるって事は──実際そう言った時も、何でか、凄く首傾げて悩んでたし…──静さん本人ですら、明確な理由が判ってないって事ですか?
だったらなんで、わざわざ俺なんかを構いに来る?しかも、明らかに仕事中と判る時でさえ、俺を見つけると──たとえそれが1ブロック離れた場所であろうが──いちいち近寄って来て声を掛けてくる。
そしてお約束とでもいうように、頭をグリグリ撫でまわし、俺の体調を気遣う。
飽きもせず凝りもせず、毎度毎度同じ事を繰り返す。
この人は、本当に優しい人だ。
こんな──どうしようもなく薄汚れた俺にすら、過剰なほどの優しさをくれる。
正直、煩わしいと思う時もある。
でも、それすらこの人は許容してしまう。
だから、俺は余計に判らなくなる。
俺は、この人に何を期待してるんだ…?
ただ、優しくされたい?
ただ、甘やかされたい?
それとも再生不可能なほど粉々に打ち砕かれた心を癒して欲しいのか…?
ただ、自分が楽になりたいから…?
だから、無条件にこんな俺を気に掛けてくれるこの人に縋ろうとしている…?
判らない、解らない、ワカラナイ──。
この人と関わるようになってから、俺の心の中には、疑問ばかりが増えていく。
この人は何がしたい?何を俺に求めてる?
俺は何がしたい?この人に何を求めてる?
堂々巡りの悪循環から抜け出せず、苛立ちだけが募っていく。
「大体、静さんはいつだって勝手スギなんですよ!いきなり現れたかと思えば、こっちの都合なんか無視して、超絶マイペースにコトを運ぼうとするし!今だって、これからナンパに勤しもうとしてる俺の邪魔ばっかりして!お陰で女の子達が怯えて、声を掛けるどころか、近付く前にみぃ〜んな逃げちゃってるじゃないですか!ああ…なんて可哀相な俺っ!こんなんじゃ俺の青春ライフは万年雪に閉ざされ、永遠に冬のまま!俺の心に春の訪れは無いのか?!いやそんな筈は無い!いつしか必ず春の女神が……って、ちょっと!静さん俺の話聞いてますか?!ねぇ、静さんってばっ!!」
苛立ちを紛らわすように、半ば自棄気味な気分で、思い付くままに言葉を並べ立てる。内心、絶好調!とか自画自賛して悦に入っていたら、じ〜っと俺を見詰めている静さんと目が合った。
「あ〜…悪りィ…なんだっけ?」
なんて言いながら、俺の頭をポンポン叩いて、悠長に煙草なんか吸ってやがる。
「ちょ…っ!俺が延々と喋ってた長台詞は全部スルー?!スルーなの?!信じらんない!!」
瞬間、頭にカッと血が上った。
頭に乗っていた手を叩き落とし、そのまま胸倉を掴んで引き寄せた。
俺がこんなに悶々としてるのに、なんでこの人はこんなに飄々としてられんだよ?おかしいだろ、それ?!せめて半分──いや、3分の1でも良いから悩めよ!!!なんで、いつもいつもいつもいつもいつもいつも!俺ばっかこんなグルグルしてなきゃなんないんだよっ!!!
「あ〜〜〜〜〜〜〜もうっ!マジムカつくっ!!なんでアンタはそーやって、俺の神経逆撫でするんスかっ?!たまにはちゃんと人の話を訊けよっ!脊椎反射だけで反応しないで、ちゃんと頭使って物事考えて答えろよ!ホントにアンタはムカつくったらもおおおおおおおおおおおっ!!!」
グイグイ引き寄せて、下から思いっ切り睨み付けた。それでも全然収まりなんかつなくて、なんか…無性に悔しくて情けなくて…ああもう、なんか泣きたい…。
「大体、なんで静さんはいつもそーやって俺のアタマ撫でるんですか?!愛玩動物ですか俺はっ?!リラクゼーション・マンセーなんですかっ?!そーいうのは静さんに言い寄って来るキュートでラブリーな彼女たっ…ん……っ?!」
怒りをぶちまけてる最中、突然顎を掴まれ上を向かされた。次いで無理矢理口を塞ぐように何かが触れ、直後、口の中に妙な味が拡がった。
出口を塞がれた言葉は、意味を成さない音となり、口の中で弾けて消えた。
逆上してた俺は、完全に不意を突かれた。
急に息苦しさを感じ、酸素を求めて喉が震えた。その瞬間、入り込んできたもので思いっ切り咳き込むハメに陥った。
「いい加減黙れ、このクソガキ」
息が交わる程の至近距離。
サングラス越しの瞳に射抜かれる。
楽しそうにニヤリと笑う顔が、悪戯を成功させたガキみたいに輝いていた。
ここまで来て、俺は漸く事態を把握した。
さっきのアレは煙草の煙──。
つまりこの人は、顔が接近していたのをチャンスとばかりに、俺にキスして、更に口ん中に思いっ切り煙を吐き出してくれたという訳ですか?
逆上してたとはいえ、キス魔のこの人に無防備に近付いた俺も間抜けだった。しかし、よりによって煙草の煙を他人の口に吹き込むとか…一体ナニ考えてんだ?!
うっかり吸い込んじまった所為で、気管に入り込んだ煙に激しく噎せながら、俺は静さんを睨み付けた。
「──────っじ、らんねェ…っ!ナニしてくれやがりますか、アンタわっ?!」「……キス?」
「そうじゃねーだろっ!つか、そんな真っ当な答えは期待してねえっ!!何なんだよこのセクハラ親父いいいいっ!!!」
真顔でシレッと言い返す態度に、また怒りが沸き上がる。胸倉を掴みあげて、力の限りシェイクしてやる。
何か言ってやりたいのに、色んな事が頭を巡り過ぎて、ひとつとしてまともな言葉にならない。
「お前が可愛いから…だよ」
不意に飛び込んできた台詞に、全ての動きが止まった。
──また世迷い言がはじまった。
頭ではそう思うのに、まともに顔を見返すことすら出来なくなってしまう。
「…だから、そーいうのは静さんの好きな人に…」
「言ってる」
苦し紛れに言った言葉はあっさり返され、俺はまた、どうして良いか判らなくなる。
どうして俺なんか──?
また、同じ疑問が頭を過ぎる。
その、逡巡の隙を突かれた。我に返った時には、もう、腕の中に抱え込まれていた。
「ちょ…?離してくださ…っ!くるし…ッて、この、馬鹿力…っ!…静、さ…っ、お願い、だ…から…はな、し……っ」
振りほどこうとみっともなく足掻く。
その度に、拘束する力が増していくような気がする。それでも抵抗をやめる気にはなれなかった。
俺はいつもこの人との距離を計り損ねる。
誰とでも、適度な距離を保つ事に慣れ切っている筈なのに、どうしてかいつも踏み込み過ぎて後悔する。
──この人が、俺にどんな感情を抱いてるか、全く気付いてなかった訳じゃない。
だけど俺は、見ない振りしてずっと誤魔化し続けて来た。
知りたくない。気付きたくなんかない。
俺に教えないで。俺に自覚させないで。
今ここで、この人に寄り掛かってしまったら、俺はきっと後悔する。
だから、今はまだ──。
無茶苦茶に足掻いて暴れて抵抗して…最後には、抗う気力も完全に底をついた。
「…『可愛い』って台詞は、高校生男子に対する褒め言葉じゃ無いと思う…」
肩で息をしながら、それでも何も言い返せないのが悔しくて、恨めしげな声で抗議してみる。暫く間があってから、プ…と空気が抜けるような音がした。ふと見上げると、静さんが肩を震わせて笑っていた。
何故ここで笑われる…?
ムッとした顔で睨み付けていたら、今度は額にキスされた。
「…静さん…」
「しょーがねーだろ。俺にとっては、可愛い=オマエ。なんだから」
抗議しかけた俺を遮って、畳み掛けるように言を継ぐ。恥ずかし気もなく言い切られ、こっちの方が赤面してしまう。
「──っ、だから…っ!」
反論しようとして、咄嗟にそう言った。だけど、それに続く言葉が思い付かなくて…結局、何も言えずに口を閉じた。
「しょーがねえだろ。そーいうお前が気になるんだから。だから…ガキは大人しく甘えとけ」
耳元で囁かれた言葉。
それはまるで呪縛のよう。
甘く響いて俺の動きを封じてしまう。
ねぇ…、なんで俺なんですか?
どうして他の誰でもなくて、わざわざ俺を選んだんですか──?
口をついて出そうになった言葉は、柔らかく触れてきた口唇に阻まれ、意味を成す前に霧散した。
END...