言う他ない。
価値観てものはやはり自分にとっての絶対で、誰かのものとは違うのだ。
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雨が降る日は風邪の時に似ている。
音の粒が屋根の桟を打ち付けているのを聞いていると、明日の予定とか友達の恋愛の話とか昔飼っていたネコの顔とか、頭の中に窮屈に押し込められていたものが浮かんでは消えていく気がするからだ。
そうすると私なんてものはこの世にはなくて、雲と水と光と風だけの世界が両手を広げたように存在している。
ただそこにあるだけのもの。
ただあるだけの私。
言葉にしたら違いは小さなものだ。
なのに、どうしてだろう。
私は生かされていて、それらは確かに生きている。
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土日はだらだら過ごすこと意外何も手につかなくなってしまった。
こんな感覚は記憶にあった。
誤解を招くが、全く同じではない。似ているだけだ。
元カレと別れる前の日々に。
仕事の愚痴はもう言いたくなくて、楽しいことを話したくて。
精一杯話題を考えて。
まず自分が楽しいもので思考を満たした。
でも楽しんでいたネトゲやお気に入りの本や古いテレビのことは話せない。話せるわけもなかった。
彼は自分の知らないそれらを受け入れようとはしなかった。
それどころかその大切な記憶、感情を傷付けられた。
何かを願うたびに、受け入れてもらうことを諦めた。
やがて話題のネタに私の知識は不要になり、彼の望む返事だけ返すようになった。無意識だった。けれど繰り返していた。
どうにか空白を埋めるために、彼が望むものを与えもした。
私には不要のものだったのに、彼を喜ばせようと必死だった。
彼が私とはけして遊ばず電話でも話さない、その曜日だけいつしか息苦しさが紛れるようになっていた。
話したくないわけではない。
けれど話すことがないのなら、もうやめたかった。
考えたが私はそれをうまく説明出来ない。
理由を言えない自分がおかしいと思ったし、彼も私をそう思うだろうと感じた。
そんな頃の私に、今は似ている。
4月はあとすこしだ。
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誓いは契約
契約は儀式
愛の名のもとに血を分け合う
全てを与えても、奪ってはいけない
互いを永遠のものにしたいのならば
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愛が永遠なのではなく。
うつろう感情を永遠たりえんとするところに愛という形があるんじゃないかと思うのだ。
良くなったと思ったつかの間、またギラギラしてきてしまったので、手帳に予定ではなくしたことを書くことにした。
体調が良くないときなんかはいつも悪くなってから気分的にも落ち込むから、こういう時にはこうなりやすい傾向みたいなものがつかめたらいいと思ったのだ。
故郷にも一度帰って、久しぶりに長くいたから少しはリフレッシュできたかもしれない。
寝てただけだけど(笑)
モチベーションがなくなるのを怖がっていないで、行動にうつせたらいいな。
ななな。