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どんなに落ちぶれようと、僕は君を嘲笑いたいとは思わない。

話題:夢の自分と今の自分


彼女は彼と会話をすることをやめると、瞳に確かな怒りを宿して言った。

普段、虐げられて俯くだけの彼女からは想像もつかない姿に彼は動揺を隠せなかった。




夢をみた。

中学時代のキョロ充が私を無視する夢。


一緒に行動するのだから、場を和ませようと話しかけたのだがね。

無視なんて、どうだって良いんだけどさ。


あの頃は出来なかったけれど、嫌だと主張出来たなら、彼はあんな顔をしたのだろうか。

同窓会にも来てなかったな、そういや。


そして、友達いない俺が出席w



かわいそうな人だ。

無視なんて、どうだって良いよ。


私は君より自分を貫けるからね。


嫌われることなんざ、どうだって良いよ。


ただ、夢の中の自分がきちんと怒りを主張できたことを褒めてあげたいだけ。



無視をするなら、そこにどんな理由があるのかはっきり言うべきだ。

私には不快なのだから。


同級生が今どうであろうが、私には関係ない。

嬉々として同級生のいまを語るのがわからない。


ああ、そうか。

僕には同級生を大切にするという感情がないんだ。


悪口言われてはみ出しもの扱いされた記憶しか、ほぼないもんw

で、同級生が何?って話。

明日の天気について会話した方が有意義だよ。


同窓会にも、もう二度と参加しないだろうな。


いまの自分を誇示したかっただけだし。


そのかわりに、いま自分のまわりにいる人を大切にする。

学校が一緒だっただけの人間より、よっぽど大事。


私は出来た人間じゃないから、人と接するのに気(エネルギー)を使うのです。

どうでも良い人間に気を使いたくない。

ましてや、嫌悪した人間なんぞに。



ふざけんな。



軽はずみに人を否定するということが、簡単に許される行為だと思うなよ。


私はあったことを受け止めるだけだ。

過去は曲がらない。

無にすることもできない。

だから。



割りきりたまえ。
自分のしたことに罪悪感を持つことなく。



どうせ、みんな被害者であり加害者だから。

あいとはいったい

話題:がんばる自分をやめてみました。

なんだかんだあって、
それでも「生きる」と決めた人が愛おしい。

みんな愛おしいよ。



生きるなんて、
罰みたいなもんだしな。


それでも「生きる」と決めた人、みんな愛おしい。


自分含め。



それって、
他者への一番の愛情じゃないかと。


愛ゆえに苦しみ、愛ゆえに生きる。


その愛の大きさに感服致します。



今日も罰といえぬ罰を受けよう。

そうやって生きているいるあなたは私の励みです。




いまは無力さを受け止める訓練をしておりますよ。

出来ることはやる、
それ以上はしない。

それでも僕は愛される。

愛する価値がある。



頑張らなくても価値がある。


自分に期待をかけるのはやめた。

決して、失望したからじゃない。

その逆。


期待なんかしなくても、
やる子だからね。


期待して失望なんて、
とんだ大馬鹿野郎だよ。


出来ない自分は愛せないとか、お前は教育ママか。


期待に添えない自分に失望するのは教育ママと変わりないからなっ!!


もう自分いじめやめろよ。


愛ゆえに苦しむなら、
苦しみを手放すことも愛。


自分を労ることも愛。


今日もダラダラ仕事をすることを許可する愛。


それで良いのです。


仕事はダラダラしちゃいけないなんて、誰が決めたんだ!


ダラダラでも仕事する自分は素晴らしい。


だって、生活のためじゃないならしたくないし。



生きることが罰なら、
少しでも楽がしたい。

そう思うことって健全じゃねーか。


社畜として生きるより自分にとっては健全です。



さて、
お弁当作るか。

今日は何にしようかな。


自分の食べたいもの作るのも愛だよなぁ。
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