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産まれなかった幸せ

話題:子を作り、産むという事。



産む幸せがあるなら、
産まない幸せもあるのだろうか。

産まないってか、生まれない幸せ。


自殺者数と幸せの数。



幸せなんて、自分の気のもちようでさ。


きっかけは他人であっても、自分を変えられるのは自分だけだ。



数年前の誕生日に考えたことは、産まれたばかりの何の意識もない自分を殺せたなら。

楽に自殺出来るなー、と。


実質、自分なわけだから自殺なわけで。

自分を殺すのは法には引っ掛かりませんものね。



「いま生きていて良かったでしょ?」

って言ってくる人の面が嫌い。


まあ、母親ですけど。


そんなんエゴだ。



産むなら、こっちの感情の責任まで持ってほしい。

そんな勝手。



安心出来る環境において、笑顔を絶やさず生きられたなら、それを幸せと呼んだのだろう。



それは願いにすぎないか。


もしも、子どもを産んだら、を考えていたんだけどね。



経済的なこと、抱えるであろうお互いの内面的なこと。


結局、小さな頃の自分が「産まないで」って言ってんだよね。


「生きたくないから産まないで」



だからか。

だから、生殖行為が嫌いなのか。


だから、雌として見てくる野郎が気持ち悪いのか。



なるほど。


「生きたくない」から目を逸らしちゃいけないな。

問題の解決はここにある。


まだうまく生きたいと思えないんだ。



いつか、揺らがずに生きたいと思えたら、子どもにも伝えたいと思うのだろうか

伝わらないとしても。



自分の生存がままならないとしたら、産まないという選択肢は正しいと思う。

まず生かすべきは自分。

自然の摂理だ。



この人生において幸せになる手段がないとしたら、絶望しかないよな。

それでも自殺がいけないなんてあり得ない。

本当に絶望しかないのだとしたら。


だから、幸せであろうとするのね。

そして、幸せになれると信じている自分がいる。

矛盾しているとしても。



絶望しかなかったら、
生きている人間は一人もいなくなる。



脂の乗った鮭トバかじりながら一杯やりてーなぁ。
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