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産んだ親がいらないなら、命なんてクソですかねぇ。

話題:いまの思考


損をしたくないのは、
人生に対する無駄を省きたいから。

つまりは、焦り。


って、起きてぼんやりしながら気付いた。


何かをしていたいのも、何かをしようとするのも焦りだ。


自分のままでいたらいけないという。



それなら、生きるとは何なのか。



芸能人ですら占いに頼るのだから、社会的地位なんか意味がない。



愛って、本当に何気なくて。

寒い中、代わりに用を足してくれたり。
誕生日でもないのに、ちょっとしたものをくれたり。


そんな些細なことに感動するたび、自分は愛に飢えているのだと実感する。


陰口に対して味方してくれたり、労ってくれたり。

そんなことが、いちいち涙腺に来るガキだった。


愛って結局、


結局?



何でもかんでも与えることは愛じゃなくても、
相手がお腹いっぱいになるまで与えることは愛なのかもなぁ。



お腹いっぱいになりたい。


最近、ワガママこじらせている理由がわかった。

いろいろ思い出した。


主に親との関係性。


優しい親が欲しかったな。

私に優しい親が。



理由もなく弟にイライラして、まだ言葉を話せないのに叩いたことがある。


寂しかったんだな。


いま思うと、理不尽に叩かれた弟にギュッとなる。



母親は子どもが3人欲しくて。


弟を産むのにしばらく入院して、私はばあちゃん家に預けられた。

保育園にもばあちゃん家から通った。

寂しくて泣いて、ばあちゃんにおぶって、あやされたもらったことを今でも覚えている。


「子どもを産むなんてエゴだ」

って、この時の自分が言っているんだな。


そらね、ぶちギレますヨ。



最近のワガママが子ども時代から来ているのはわかっていたが、ここが原点か。



かまって欲しかったのね。


それから紆余曲折あり、
「自分はいらない」になったわけか。


やっぱ、ガキなんか産むもんじゃねーな。



可哀想だ。


お腹いっぱいまで愛を与えられないなら。



自分には我が子と社会の両立は、恐らく無理だから。


そう、父親に対して腕切ったことも思い出した。



いろいろ紐解いていけば、辿り着くのはかまって欲しかった。

いまだから出来る作業。



一緒になって怒って欲しかったのにな。

ただ、嘘でも良いから味方して欲しかった。



だから今まで、本当を知ったら嫌われると思っていたよ。


いや、拗れすぎて「嫌われた方が都合が良い」に変わっていたのかもしれない。

気付かないうちに。



かまって欲しいとは言えないから、ワガママと嫌われるを取る。


こうして人は歪んでいくのですね。



歪み矯正しんどいよ。

運ゲーは嫌いです。



そう、人伝に聞いた。

「叩いたらいけないってわかってるのに、叩いちゃうんだよなぁ」って、父親の言葉。


じゃあ、ガキなんか産むなよ。

これに尽きる。


子どもは尊いんだ。



なんかもう俺、自殺してもいいんじゃないかな。



ひとりになりたいから、そう思う。


最近のワガママぶりは強情も拗らせてまふ。


なんでこんなに強情になるかがわからない。




愛はたぶん暖かいもので。


そっぽ向いても噛みついても、与えられるもので。


でも、そんなものがあっては困るのです。



心の脆い部分がボロボロ剥がれ落ちていくから。



あの日の自分には与えたいと思うのにさ。



欲しい形で与えてくれても、受け取るわけにはいかないのよ。

今さら。



今さら、受け取りたくない。


くれたのが親だったら、
今さらでも受け取ったのかなぁ。




な、生きるってめんどくさいよな。
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