ちょっと旅行。

湖を見に行ったら、
雪のため通行止めだった。

仕方なく徒歩る。


木々の中を歩きながら思った。


ルールや規則なんてどうでも良い野生児が、
よくここまで頑張った。

極細かいルールとか見えない空気を読むとか、
ほんっとどうでもいい。

それらの必要性もわかる。

だからこそ、
出来る限り頑張ってみた。

でもね、
個人的にはどうでもいい。

だって、
生命に支障ないんだもん。



誰に言われるでも縛られるわけではなく、春の訪れ。


寒かったらまた凍るし。
暖かかったら溶けるし。



ありのまま



一番しっくりきた言葉。


自然の脅威は時に人の命を奪うけれど。

感情もなく、ただあるだけ。


なんでそんなツタが伸びるんや!

とか、

なぜそこにキノコが生える!


とか思うけど。

彼ら(?)からすると、
それが自然な姿で。

なんだか心地よかった。



「なんでキミ、そういう行動するの?」

とか社会的意味で聞かれても、
自分には自然なんですもん。


仕方ない。


「生きるために生きる」って、
それらを疑問視しないというか。


だから自然の中で生きたい!!とかはなく。

ちゃんと人も好きです。


何億と人はいるけど、
一人一人にマイルールや世界観があって、
その時々の感情があって。

そういうのをお聞きするのは大好きです。


「生きるために生きるって、それか!」って思ったけど、
(普段の2記事分くらいの文字数)

文字にするうちに全部飛んだ。
指が追い付かないのと、
飲んだくれ状態だから。


ありのままって流行ったけど、
そのまま出されてもただの自己中ってのもよくわかる。

一人一人のマイルールに合わせてあげたいとも思うけど。

到底、無理なわけで。



ありのままでいよう!

って、「マイナスな部分だと思っているものを、ひたすら出せばいい!」ってわけじゃなく。


そんなことにも捕らわれず、余計な思考のない姿。


ありのまま生きている人もそういないから、
意味合いを間違えたり理解出来ないのもわかる。


圏外クラスの自然の中に行けば、
理屈以上にわかるよ。


アタマでごちゃごちゃより、
やる方が早い。


秘境の湖で春の訪れを見ながら思った。



生きるルールなんて、
食って寝て排泄くらいなんだから。

それ以外のごちゃごちゃが出来なくても、欠陥でもなんでもねーよ。

軸はそのくらいシンプルでいいや。

だって、野生児ですし。




自然の中を歩いたら、
小さい頃の気持ちに戻れた。

こんなふうに何もかも自由だと思ってたよ。


こんなふうに自由でいる。


そんな感覚が腹に落ちた。

理屈でごちゃごちゃより何倍もの理解。
大切なこと。

木々の自然だって感覚を大事に生きてるだろうし。

自分にはそっちのが合う。

思考が変われば行動が変わる。

また新しい世界が待っているだろう。


突拍子もなく決めたけど、
有意義で府に落ちた旅だった。