話題:がんばる自分をやめてみました。

あれ、

何書こうとしたか忘れた。


最近、愚痴ってばかりだから、平和なネタでも書かななぁとは思っていた。


平和ねぇ。


争いはたくさんだし、優しさを見せれば付けこまれる。

そんな中で真に大切にしなきゃいけないものは何かとか、そんなことを数日考えていたよ。


今日、朝から頭痛が治まらねえ。


どうやら、アホには難しすぎたようだ。

でもね、もう少しで何か掴めそうな感じがしたんだよ。

それを邪魔したのは恐怖心だ。

自分の中の弱い部分と向き合うってさ、ほんとしんどいよね。


特にここ1年半。
毎日、少しずつだけど、自分の心は確かに変わった。


安定感みたいなものがついてきた感じがする。

精神の回復が早くなった気が。


社会とあまり関わらなかったのが大きいと思う。

嫌でも人と関わると、自分の心が不安定になるのはよくわかっている。


自分と向き合う時間を多く作った。


時間が取れたのも、おそらくそうすべきだったのだろう。


何が自分にとって大切なのか。

誰かを大切にしたいなら、まずは自分ではないのか。

それがわかっていたから。



この社会は、そういう心みたいなものを無視しがちな傾向にある。

頑張ることを軸に考えたら特に。

自分の主観だけど。



だからといって、心を無視して良い理由にはならない。


確かに心は見えない。

でもね、あるんだよ。


見えないけど、優しさで社会を支えている人もいるんだよ。


自分を責めている時は、
そんな優しさにも気付けない。


それじゃ、君を責めてきた誰かさんたちと同じだよね。

そうなりたいの?



自分を許すというのは、
同時に他人を許すことで。

他人を許すというのは、
自分を許すということで。


自分と他人。

人類みな兄弟。


みんな同じとは、こういうことかと思った。


自分を許さずに、誰が他人を許せるというのか。


きっと、いままでの自分は他人と向かい合う準備が出来ていなかったんだろうな。

まあ、いまも大した変わらんが。

少しはまともになった気がするよ。


それが自惚れにならないように気を付ける。

自惚れや傲慢さは、人を傷つけてしまうから。


そういう意味でも自分の心を省みるのは大切だ。

なかなかね、自分の嫌な部分を見るって難しいけどね。


気付いたとしても、責めてしまえば同じことの繰り返しになる。

だから、許してあげなきゃね。

許さなきゃ!って頑張る必要はないけど。


「それでもいいよ。よく頑張ったね、辛かったね。」


そんな簡単な言葉に心がとても反応するから、最初はびっくりしたよ。


心が頑なになっているほど、癒すのは難しいだろうね。

それも頑張ってきた証拠。
何も悪くないのだ。


昔からキレイゴトが嫌いだったけど、自分が頑なだっただけなのかもしれないと思った。


頑張るというのは、
心が固くなることも含むのかもね。

だから頑張れる。

でも、ずっとそれでは疲れてしまう。


そして、自分を省みる。

自責と反省は違う。


自責は自分を責めてグルグルすること。

反省は自分を省みて前向きに見当すること。

ずっと勘違いしていたよ。



キレイゴトの中にも柔らかな真実があったのかもしれないな。