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自分に壊れることを許しては だめ。



痛感。私はここが弱い。


想い遣る日。

まだ6年とかもう6年とか言いますが、

難しいことはよく分からないわけで。

忘れないようにと思ってもそこは曖昧になってくることもたくさんあるわけで。





それでも、思い出すという行為が大事なのかなぁとおもう。




大事な人を大切に思い出す日。



大事な人に大事だよと伝える日。



命の日って誰かが言っていたけれど、



もしかしたら、命日って言いたかっただけかもしれないけど、



でも語源は知らねど、生まれた日は生日で、死んだ日は命日ってなんかすごいなぁ、と、いましみじみ思ったけど。



命の日。



命っていうのは、その大切な存在のことで。




その大事な存在を大切に思い出す日。




大事な存在が生きていても、生きていなくても。




薄れてしまう記憶の中でも。





記憶の中で実はどんどん育っていっていたとしても。





想うことが、想い遣ることが、だいじ。





だ。とおもう。



泣かせないように泣かせないように


泣かせないようにしてくるから、どこかに流してくることもできず、ただただ持ったまま、今に至る。









すごい映画だった。








感覚としてはスラムドッグミリオネア観たときに近い。







こう、じわじわと、息の根を止めてくる感じが、こんなこと言ったらとても失礼だけど、被爆したかんじというか。これからきっと何度も思い出すんだろうなぁ。じわじわと。




こうやって見せられると、あまりに等身大すぎて、手を伸ばした50cm先にあの人たちが生きているような。日常すぎて、とてもこう、ガッとかそういうかんじじゃなくて。気づいたらスって掴まれているというか。するすると掴まれているというか。ガッとじゃないというのは、スピード感の問題でもあり、ガッと掴めるほど硬いところを握られたのではなく、とても内側のとても柔らかいところを掴まれたようで。津波の瓦礫撤去の時に、瓦礫の中から速単を見つけた時と同じ感覚。
伝わるかな、、伝わんないね苦笑


自分の日常の50cm先にある世界だと感じたんです。この日常の延長線にあるというか。


機会があったらと思っていたけど、機会があって、私は観れてよかった。

1人で、静かな夜に、映画館で、1人で、ちゃんと2本の足で立って、観る映画で私はよかったとおもった。



余談だけど、ここからきっと私は少し引っ張られるとおもう、この映画に。そして3.11に。


あの日から色んなものをキャッチしやすくなってなんなんだとおもうことも何度もあるんだけど、でもきっとそれも優しく抱きしめて手を繋いで生きていけるようになるのは、私のこれからのひとつの目標なんだとおもう。


意味わからんこと書いてごめん。笑


私にはちょっと今日の月は眩しすぎた。


過去はほろほろと脆いものだから。


そう、和三盆みたいに。










でも、そうやって爽やかな春風にさえ、さらわれて、ひとえに塵に同じであったとしても、その過去は、その記憶が、日常生活のちょっと緊張する時に、例えば白いセーターきた日に焼肉食べる時とか、大会場の照明のスイッチ押す時とか、卒業試験の試験官で2回目の不合格を伝える為に息を吸った瞬間とか、乗り慣れていない電車に乗る時とか、、そういうときに、そぅっと、ふわりと、となりにいてくれるんだよね。


これで乗り越えられたことがたくさんあったなあ、と。


別に悲観的になっているわけじゃないんだよと言いたかっただけの更新です。笑 (心配してくださった方ありがとうございます)

でもね、あれだね、

自分の意気地なしが本当に嫌になることもあります。もう口実考えるのつかれちゃったよぅ。とかおもっている間に、すごいもやもやしていたものを思い出した!!!


ウラジオ行った時だ!!あの時も似たようなものを感じたんだ!もっと冷たくてちょっと怖かったんだけど、、
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