日本国憲法の授業中に見るビデオが興味深い。





2006年の安倍内閣が改憲を声高に主張していた頃のビデオ。



内容は9条に関してなんだが、考えさせられたよ。




自分は、9条を護憲すべきと主張を支持するし、そこを譲る気は全くなかったんだが、思いの外揺らいでしまった。


あたしは、これで9条を改憲した場合、国連理事会同様、歯止め無く軍事を振りかざすような国になりかねない、と思う。


このご時世、「戦争しまーす」なんてご丁寧に挨拶する国なんてないじゃない。

どんな戦いでも自衛や正義という名目の下、人を殺しに行くじゃない。


銃を片手に「我こそ正義だ平和を築くのは我々なり!」とか叫んぶのは、とんだ茶番劇としか思えない。






1946年7月13日のマッカーサー法案で書かれていた軍事放棄は、自衛を含めて認めないことを意味したのに、4年後の朝鮮戦争勃発時に日本はあっさり警察予備隊という名をこじつけて再軍備に匹敵する軍事機関を組織した。憲法を苦し紛れに解釈改憲した。



憲法は改憲できない、

ならば、憲法解釈を変えて改憲する術を考えよう、

となるらしい。







9条改憲派の中には、しっかりと自衛を目的とする軍隊を持つ、と明記するべきだという意見もあった。



解釈改憲を重ねていったら、本当に何でも出来る気がする。

その為にしかと明記する必要があるという。


なるほど、、


でも自衛目的の軍となると、こいつは危険だね、自衛目的で他国に攻め入ることが出来る、だってそうやって戦争は起こってきたんだ。

思い返せば、満州事変だってそうだった。





自衛隊のことを明記し、細かい規定を設けるというのは、それは少しそそられますな。





だがしかし、もっと訴えかけられたのは、湾岸戦争話。



資源の乏しい日本は、輸入に依存するしかこの国際社会で生き延びる方法はない。仕方ない。



そんな資源である石油目当ての湾岸戦争。

日本はこれほど希求してるのに軍隊を派遣しない。だが取り分はいただきます、てなんか汚いよね。



欲のために手を汚すのはいやだ、て滑稽なほどきれいごと。ずるいね。






色々ぐだぐだ考えたが、やっぱりあたしは銃じゃ平和は作れないと信じてる。平和な穏やかな世界になるため、どのような動きが最も有効的に働くか考えなきゃいけない。





ビデオて最も衝撃だったのは、フリーターをしていて今の世の中行きにくいと感じる人たちは、戦争を望んでるんだって。


戦争くらい起きないと自分の人生変わらない、とか

どうせ死ぬなら軍隊入って名誉な死に方したい、とか




戦争こそが希望、
平和こそが絶望である、とか


なんだか、悲しくなっちゃったよ、がんばれよ若者!












悲しくなっちゃったといえばフーガ。。


ばーばらさんに、
「前が慌てて入ると後ろも焦ってまいちゃうから」
て言われて、自分の未熟さに嫌気がさした。


塾講の時も思ったんだけど、スーツ着て前に立った途端に、出来て当たり前の存在になった。


トップもサイドも同じことだよね。

後ろを戸惑わせる原因になる。前に座るには、それらを背負う覚悟が必要。

あったようななかったような自信も喪失してきた。

練習いやって思う自分が一番いや。

でもここで投げたら後悔するのは目に見えてる。

明日から秋休み、されど練習。

がんばろ。