今日という日に、アホな日常を綴っている場合ではないですね。
戦争特番、ヒストリーチャンネル等で散々見ました。
戦争には断固反対。ただそれだけ。

戦後70年。
激戦に次ぐ激戦を経験した祖父は、今年亡くなりました。
太平洋戦争末期、どこかの島で、瀕死で倒れていたところをアメリカ兵に助けられたそうです。
『捕虜』として耐え難い拷問を受けた方もいるかもしれないけれど、祖父はアメリカ兵にとても親切にしてもらったと常々感謝していました。
手厚い看護に満足な食事。
戦時中で最も人間らしく生きられた日々だったと。
祖父は生前、ピーナッツが大好きでした。
それは捕虜になった際、アメリカ兵がこっそりくれたおやつだったらしく、祖父はその方を探してはピーナッツをせびっていたそうです。
それ以来大好物になったとのこと。

何人も人を殺したであろうおじいちゃん。
私には、優しくて優しくて孫のことばかり優先する人でした。
おじいちゃんはいつもいつも戦争の話を聞かせてくれた。
でも私はまたかと思ってちゃんとじっくり聞かなかった。
それがどんなに貴重な体験か、わかっていなかった。
私は昔から戦争に対する関心は高かったのに、それはおじいちゃんの影響だったのに、肝心のおじいちゃんの話をまともに聞いてこなかった。
今思うと、受け身で聞くだけでなく、私から聞いてみたいことがたくさんあったなと思います。

何十年、半世紀以上経っても戦死した仲間の写真を見ながら全員の名前とエピソードを語っていたおじいちゃん。
その記憶は、あまりに鮮烈だったのだろう。
幾人もの無念を背負いながら、祖父が慎ましくも平穏な暮らしを取り戻し、安らかな死を迎えられたことを有り難く思います。
私は、戦争を許すことは祖父達が必死で、命を賭けて守ったあの時代を冒涜することだと思います。
生きた人には死ねと、死んだ人には二度死ねと云う行為だと思います。
私達が果たすべき責任は、もう同じ過ちを繰り返さないというただそれだけだと思います。
戦争から逃げる行為は時に卑怯と言われるかもしれない。
金だけ払って国際社会から評価されなかったいつかのように、世界から阻害されるかもしれない。
でも、私にとって日本人として最大の誇りは、戦争をしない憲法を持っていることであり、それこそがアイデンティティなのです。
もしアメリカに強いられて作った憲法であったとしても。
それでも、二度と同じ思いをしてほしくない、と闘い抜いたあの時代の人々の、今に継がれる思いだと思います。

今があることは誰のおかげなのか、私たちは永遠に感じながら生きていかなくてはいけないと思います。
日本兵がどれほど残虐な行為を行ったのだとしても、戦争を回避できなかった国が悪いと思います。
侵略を続け、煽られてとうとうアメリカに喧嘩を売った。
勿論個人の行為を肯定する意図はありません。
でもあの時代、被害の実態さえ正しく伝えられる自由もないなか、市民に何ができたでしょう。
日本国は他国にとって脅威だっただけでなく、日本の人々自身にも甚大なる被害をもたらしたのです。

何とかだろうが何とかだろうが、私たちにとって代わりはいくらでもいます。
どれだけ偉くても権力があっても、私にとってはその立場の人の生き死になど、どうでもいいこと。
しかし『父』や『息子』や『友人』は代わりがきかない。
かけがえのない存在を有事に差し出せと言うなら、まず私たちにとって『どうでもいい』あんたらが最前線に行けばいいのでは?と言いたい。
もう二度と、戦争をしてはいけない。
日本があの時代の全ての人に謝罪し、報いる行為はそれしかない。
私は戦争が起きることを仕方ないと思えない。

色々な思いは取り払って、またプライベートライアンを見ます。