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生きながらに死ぬのはもう嫌です。

話題:がんばる自分をやめてみました。

秋の空と風は、毎年あの年を思い出す。

お別れと生と死、命。
涙、悲しみ、笑顔。


昨日は些細なことがあって。



僕はやはり、この社会で生きることが辛い。

自分の心に触れて過ごしたこの一年。

痛みを感じないように麻痺させてきた。
痛いのは嫌だから。


でも、痛むってことは、何らかの異常があるってこと。
そして、軽い風邪を悪化させた。


それを止めて剥き出しで生きるってことは、メチャクチャ痛くて当たり前だよね。


この一年のおかげで心が過敏になったようだ。


だから、昨日みたいな些細なことも残って取れない。


本当にダメになったら逃げてしまおう。


何が一番、大切か。


生きるためには稼がなきゃなぁとボヤいた。


ああ、そうだ。

心が過敏だからこそ、出来ることもあってね。

どうにかカタチに出来ないかと思っていたこと。

でも、アイディア不足で停滞していた。

これならイケるかもしれない。

このまま自分と向かい合い続けたら、仕事はどうなるだろうか。


なんとかやっていけるのか、人との関わり一つ一つが痛みになるのか。


そもそも、初めから社会不適合者ですし。

昔から不安しかなかったよ。
12歳の時には諦めていた。

家にこもって仕事をするのに憧れたな。

ガキながらに、家にこもれる才能に夢をみた。


嬉々としてみんなが社会で活躍する夢を語るのが不思議だったよ。



社会的な成功より温かな場所が欲しかった。

ただそれだけ。
昔からそう。今もそう。



剥き出しで生きるにはあまりに痛くて、首を吊る一瞬に心が揺れる。


でも、もう嫌なんですよ。
蓋をして取り繕って生きるのは。

生きながらに死ぬのはもう嫌です。


どれかを取るなら、
剥き出しで笑われて馬鹿にされて、それでも自分に嘘を吐かない生き方を取る。


ええ、死にたくなるほど痛いでしょうね。


どうせ死ぬぐらいなら、死ぬほど痛い道を選ぶ。

もう決めたから。


諦めるのも嫌だ。


義務教育という足枷も今はないし。


こんな自分だから誰かを救いたくなるけど、一番救いたいのは自分。


それだけは頭に入れておかないと、傲慢になってしまうから。


まだ自分すら救えていないクセに。


他人を救ってあげているんじゃない。
自分が救われているってことをきちんとわかれ。


傲慢さはすべてを滅ぼすぞ。

他人を救うことに依存して。

感謝されることは気持ちが良いから。


だから、自分の心の状態を把握する。


人にエネルギーを与えられる状態か、自分がもらう状態か。


今日と明日は癒してもらいます。
そして、自分は空気を作る。



そうやって生きていきたいな。



って、朝に書いて飲みに行ってデロデロ。

お腹がいっぱいなことに罪悪感を一瞬。



肉体の老いについて考えることに疲れた。

悲観はもうしないよ。
意味がないから。


自分に対して苛立つ部分も、すべてはうまくいっているんだ。
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