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紐解きたいからまた再現

生きたいという自分を知っているが、その真逆の自分もいて。

時々、辛いとガンガン訴えてくる。


何が辛いのか紐解こうとしても、痛みが強すぎて無理。

自分の弱さといえばそうなのだが。


そういう時は感情を出しきって感じることに徹する。

まさにそんな感じの日が最近あった。


寝ても感情の重さが取れなかったから、起きてからケア。


ブログ書けるくらいには良くなった。


そして、いろいろ気付き。



心を感じるというのはそれだけ辛い作業で、だから責めることは何もないのだ。


指を切ったら痛いように、責められたら心も痛いだけ。


でも、あれだ。

昨日の感情でまだまだ歪みがあると気付いた。

そこに反対の感情を与えてバランスを整えてあげたいなぁ。

調整は痛みがでる時もあるし、後から痛みがでることもある。

また同じ状態になるかもしれない。

でも、目を逸らせば結局辛いままでいることを受け入れたことになる。


死にたいと思いながらも、必死に前を向くこと。

これが美しさなのでしょう。


美しさとか、感じる余裕もないけどなっ!


何が辛かったのか、
いまいちわからないんだ。

見ることが怖すぎて、
なだめるだけにした。


とりあえず、いまの解決策はわかったから大丈夫。


まだカッコ悪いことをやってなかった。



辛いっつてんのに、
カッコなんか気にしてたらやってらんないよ。


常にお酒飲んでるわけじゃないから、毎日楽しくなんて無理だし。

おクスリ打ちますか、
人間やめますか


そもそも、人間ってなんだ。



自分に嘘は吐けないよ。

未知が不安って、当たり前だろ馬鹿。

未来を考えて不安になるのは道理だ。

だって、わからないんだもの。



関係ない、関わらない。

それが良い時もあるよね。

合わないものは合わないのだ。

いまも昔も変わらないよ。


時々、それを忘れてしまう。

見えない規律に当て嵌めて、普通であろうとする。


そんなものはじめからないのに。


ないんだよ。
何もかも。


良いも悪いも。

出来ないなら開き直れば良い。



「未来なんか見ないで私を見てよ」と目の前の今の声。


だから、心のまま進もうか。


どうせ、行かねばならない場所がある。

社会的な意味ではなく、
心の声的な意味で。


逃がしてはくれないのなら、やるまでだ。


それを自分の意思と呼ぶのかはわからない。


この前のトークショーでこんなことを聴いた。

トークショーだっけ、ブログだっけ?


人間に自由意思などなく、
すべては行動後に脳が意味をつけているだけだと。


なるほどなぁと。


二択なんかでどちらを取れば当たりかと考えるあの瞬間。

迷った末に取る片方。

はじめから取る方が決まっていたとしたら。


いつもそれを考えて、
あえて逆を取ってみたりするんだけど。


それすらも決まっているのだとしたら。



なーんて考えているから、
生きることがめんどくさくなるのよね。



さて、酔っぱらい。



大丈夫だよ、大丈夫。

お酒でゆるくなったからじゃない。


いろいろ間違えや正解を考えるけれど。

自分がいま居る場所の正解を考えてしまうけれど。



他人が見えなくても大丈夫かなぁ。



ずっとさ、自分は自分のままでいいと言われたくて。

もがいたり、積極的になって落ち込んだり。

自問自答して、悩んで自己否定。

その繰り返し。


うん、繰り返し。



無力、脱力、無気力。


無力、無力、無力。



最近は、それでも光を見つけて。



自分の弱さだったり、ダメさや、不甲斐なさ。



パラパラ本を読んだら今の自分にヒットして泣きそうになる。



自己肯定の低さを感じたとしても、上げ方がわからなくない時もある。


つい最近のこと。


これでも一年間、内面について考えてきたんだ。


今週は、ほんとにキツかった。



人の美しさ、頑張っていること。

自分にないもの、出来ないこと。


それを責める必要がないのはわかっているんだ。



でも、環境に染まるとそれも見えなくなる。


霧の中で帰り道を探すみたいに。



不安、衝動、葛藤、否定。



その中で見つけた光。




僕は美しくありたいよ。



その願いが醜いとわかっていても。


美しくありたい。



純粋こそが美しいという一般的な話。


でも、闇を知っている人は美しい。


それが深いほどに。

なぜだろうね。



君と話したいと思う僕は醜いか。




今あったことを踏まえて少しここでだけ話したい。



僕さ、自分が間違っているのはわかっているんだ。


とても悲しいことに。


でも、そんな自分を否定することはもっと悲しい。

だからね、生きることが辛いのは当たり前で。


それを甘えとは言わないと思ってはいる。
いるんだけどね。


楽しいのかしきりに聞かれたが。


楽しかったよ。

やはり、人と話すと自分の輪郭がはっきりする。

友達をいるのとか呼べとか、若干、イラっときたのも含めて。

あと、人生ムダにしてるとか。



一般論は私以外でどうぞ。


すぐ呼べるから友達って定義どうなん。



バカらしい。



そうね、友達ね。


私にはお守りみたいなものかもしれない。


自己否定に潰された時、ギュッと握りしめて思い出すみたいな。


遠くに住んでる人、わりと近くに住んでる人。



彼の友達の定義は、
すぐに呼べる便利屋なのか。


それはそれで。


私とは違うだけだ。



楽しいな。


自分が求める正解と、他人が求めるもの。


時々、ツラくなるけど。

受け止めてくれる人がいるから、今日も笑えたよ。



それでいいよね。



男性はね、弱さを抱えて生きているのだと思う。


でも、僕は受け止めてあげられないよ。



甘えだけを許すのは違うから。



弱さなら弱さでぶつかっておいでよ。

性別も年齢も関係なく。



悲しいこと、悲しくないこと。


このブログはただの独り言でさ。

たまに暑苦しめな。


泣きたくなる感情は全部、吐き出してるつもり。


自分が綴りたいから。



きっと、僕といるとあなたは自分の弱さを見ることになる。



こわいよね。



だから、僕は嫌われます。
憎まれ役です。


弱さから目を反らしたくない自分だから。



さて、家帰って飲みなおそう。



自己否定が終わったら、他者否定。

おもしろい以外に何もない。



この感情は自己否定か。


冷静なのは仕方ないよ。

自己分析を繰り返して来たんだから。


生きるために必要で。


それを否定するならサヨナラ以外ないでしょ。



自分という人間の確立。


それは他者を否定することになるか。




人生ナメくされてねぇな。
がんばろ。



焼きナスみたいにぐたーっとしてるなう。
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