心がザワザワする。
火曜はちょっと疲れたみたいで、道路に飛び込んだら一瞬の痛みで済むなぁとか考えた。
体より心の痛みのが激痛。
きっと、自殺が勇気だなんていう人は、それを知らないんだろなぁと。
勇気っていうか、気の迷いと衝動。
僕ならそんな感じ。
もしも、自分に過去世があるなら、絶望の末に自殺した過去が絶対にあると思う。
小さい頃の自分はすごく泣き虫で、何に対してもよく泣いた。
一年間、心と向かい合ったら、いままでの鈍感さがなくなって、まるであの頃のようだ。
人がピリピリしてんのとか、すっごい悲しい。
感受性の強さだとは理解しているが、社会で生きることを考えたら死にたい気持ちになった。
心が敏感だと生きていけないから、ずっと心を殺して。
それはそれで、違う限界が来ていたけど。
僕は弱い。
だけど、
覚悟や腹をくくる気なら根性出せるよ。
どちらにしても限界なら、違う道を探さねばね。
お風呂に入りながら、
いつものように自分と会話した。
「仕事をサボっても死にはしないけど、社会的に生きたら命が死ぬぞ」
っていうインスピレーション的な回答。
ですよね。
あとは、こんな疑問に対しての回答。
人の心に寄り添えれば、
感情の差が出なくて自分も楽になれるかなぁー。
「ピリピリした人間と同じ気持ちになるの?
ってか、お前なれるの?
寄り添うってのは違うだろ。
頑張っている人を見た時に、素直に感動できること。
そして、伝えられること。
つい最近、それで感動したろうがっ!!
年代や頑張りが量も違っても、素直な感情で「すごい」と言えると人は嬉しい。
寄り添うと言うなら、そうであれ。」
確かになぁ。
ピリピリした感情って、
結局は自分を殺すしなぁ。
何であれ考えることは生き死にか。
変わらないね。
なるべく関わらないようにしよ。
無関心じゃなくて、
自分を生かすために。
「変わった」って、よく言われるけど、今だって自分を生かすのに必死だよ。
何も変わっちゃいない。
変わったのは、少しだけまわりを見れるようになった。
もしも死んだら、彼女は悲しむだろうなぁって。
いま以上、自分を責める彼女は見たくない。
だから、生きる。
とりあえず、他はいいやっていうのが昨日の自分。
いま仲の良くなった人で一番、付き合いが長いはず。
地元の子たちとは縁が切れた。
彼女がいなかったら、
もう少し足を踏み出したかもしれない。
それだけ人の心に寄り添ってこれたんだなぁ。
感慨深いっすね。
彼女の優しさを感じるのもまた嬉しいこと。